ダイオキシンを責める人々

たとえ医者でも実際に診察をせずに人づてに病状を聞いたり,相手が本人でも電話で話を聞いただけでは正しい診断や治療はできない.報道だって同じことだ.当該事件に関して何の知識もない人間が,現場を訪れず,関係者から直接話も聞かず,先入観念に満ちた頭で記事を書いても,間違いだらけのでっち上げが出来上がるだけだ.しかし,記事がどんな誤謬に満ちていようと,世間一般の人々はそれを真実と解釈する.その実例を見てみよう.

例は,99年2月,”精神病院でインフルエンザにより19人もの死者が出た”と報道された三重県の多度病院の事例である.これは,実はMRSAによるtoxic shock syndromeの集団発生という,極めて特殊な事例だった.更に,多度病院の感染コントロールに特別大きな問題なかったばかりか,むしろ感染対策委員会を95年から開設するほど感染対策には熱心で,そういった活動があったからこそ,MRSAによるtoxic shock syndromeという特殊な病態が解明できたのである.今やMRSAはしごく普遍的な存在であり,抗生物質を乱用する節操のない診療だけに付き物の特殊なばい菌ではないのだ(稲松孝思 (1994) MRSAの動向と高齢者対策. 感染症誌:68:426-428).詳細は長坂裕二桑名保健所長の手になる調査報告書をもとにメディカルトリビューン2000年1月13日号に解説されている.

この事例は1999年2月の報道の初期段階では,

2月10日の毎日新聞では,”インフルエンザ:入院患者19人発症、死亡−−三重・多度 ”と題して,”県では死亡した患者が高熱などの症状を訴えていたことなどから、全員がインフルエンザが原因で死亡した疑いがあるとみている。”と記載し,2月8日から3月4日までの間に死亡した19人全員がインフルエンザで死亡したと推測している.

2月10日の朝日新聞では,院長がインフルエンザ様症状で亡くなったのは19人ではなく7人と述べ,19人のうち7人が30−50代であること,286床の病院でで一ヶ月間に19人という死亡はインフルエンザとしても多すぎることも医療関係者が指摘しているにも関わらず,”インフルエンザで19人が死亡”としている.また,多度病院での診断と一般病院への転送の遅れが死亡の原因であると示唆する記述も見られる.

2月11日の朝日新聞では,”隔離せず医師手薄”と題し,内科の常勤医師がおらず,発熱患者を隔離しなかった多度病院の診療体制に大きな問題があったような記述が見られる.”インフルエンザ感染の有無は、発熱の頻度やたんの色などの症状から判断できる”と,あたかも診断が容易な感染症を見逃していたかのような記述も見られる.

これらの記事には,内科の非常勤医師が週2回勤務しているのは,単科精神病院として決して”手抜き”とは言えないこと,インフルエンザ流行時,一般病院,精神病院を問わず,発熱患者が多くなり,隔離をしている部屋の余裕など全くないことには全く言及されていない.

2月10日当日,この新聞記事を読んだ感想が,精神病院でインフルエンザを隔離せず と題してネット上に書き込んであった.精神病院は内科の常勤医がおらず,医療過疎である,インフルエンザ患者を隔離しなかったのは医療ミスであり,それが19名の死亡につながったという,報道の受け売りだけが無批判に書き込まれている.これが大多数の世間の人々の反応である.

2月12日の毎日新聞の記事朝日新聞の記事では桑名保健所の素早い調査を受けて,19名の死亡例中,インフルエンザによる死亡は8名であり,その他の11名の死因の詳細は不明で調査中であるとややトーンダウンしているが,朝日新聞では,”患者を超過して収容している事態は現在も改善されていない”として,入院患者の密度との関係を責める姿勢が見られる.

一方,事件当初であっても,実際に当の多度病院に足を運び,院長の話を聞いたテレビキャスターは,多少なりとも精神病院の診療実態を理解し,多度病院が経営を重視し,患者の身体管理をおろそかにしていたというステレオタイプの解釈を免れている.彼は,先入観なしに,

1.「インフルエンザの集団発生の疑いが出た時点で、なぜ、他の医療機関の協力を仰いで患者を集団転院させなかったのか」

2.「集団発生時点、または集団死亡が明らかになった時点で、患者家族の協力で、一時的な避難措置は取れなかったのか」

という二つの素朴な疑問を抱いて多度病院の福井院長を訪ねたのだが,そこで,

「いいですか、精神病患者を五十人も六十人も引き受けてくれる病院が日本中のどこにあると言うのですか。もし、そんな奇特な病院があって受け入れてくれたとして、その病院に入院しているほかの患者さん、ご家族が黙っていますか」

「精神疾患の患者にインフルエンザ感染の恐れがあるからと、家族が家に連れ帰って看護する。そのことが、果たして可能でしょうか。事件後、家族がこんな病院に預けていられるかと引き取りを申し出たケースもまたありません。それが精神病患者と病院の置かれた立場なのです」

という,至極当たり前の回答を聞いて,”人が追い込まれたことを追及する中で、なぜそこまで追い込まれたのかを考えることが 出来ないメディアに寂しさと、精神の貧困を感じてならないのだ。”と,これまた(メディアの世界以外では)ごく常識的な感想を漏らすのである.

メディアというのは,結局,自分たちも産業廃棄物を出す一翼を担っていながら,ダイオキシンを出すといって処分場や処理業者を糾弾するような真似しかできないのだ.自らを省みていては決して他人を責めることはできない.大東亜戦争が起こったのは軍部や政治家が暴走したからであって,”国民”はその犠牲になった.従ってその軍部や政治家たちを選択した民草には何の罪もないとする論理と全く同じである.このようなおめでたい論理がメディアで罷り通る限り,大小様々の悲劇は同じ形で繰り返すばかりだろう.

一年以上たった2000年3月4日のYomiuri On-Line医療ルネサンスで,ようやく,人権を無視した精神病院の手抜き診療が原因ではないということ,しかも,インフルエンザが本態ではなく,MRSAによるtoxic shock syndromeであることが明らかにされた.しかし,1年前の報道を反省する言辞は一言もない.そう,いちいち反省なんかしていたら,記事なんか書けやしないんだ.

学問的な詳細はメディカルトリビューン2000年1月13日号の感染症版を参考にされたい.

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