臨床医原理主義

(ある研修医から、臨床で疲れて休職することになったという連絡をもらったので、その返事)

お手紙ありがとうございました.また成長しましたね.というのは休職できたからです.休職は,「休職だけは絶対にしてはいけない」という、奴らからの不当な圧力に打ち勝った,何よりの証拠だからです.奴らは○○さんの命に責任持ちません.というより,もし○○さんがこの世から居なくなれば,「片付いたか」と思って,次の餌食を求めるだけです.怖いですよね.臨床医原理主義って.

休職という絶対防衛ラインを確保したからには,後は三年寝太郎としてゆっくり考えればいいわけですが,寝太郎にも,刺客はつきまといます.○○さんなら私のスライドを御覧になったかもしれませんが,一応書き出しておきます.

「それだけ休んだからには,もういい加減起きて働いたらどうだ」
「働くとどうなるんですか」
「お金がもらえる」
「お金がもらえるとどうなるんですか」
「寝て暮らせる」
「だったら,もう寝て暮らしています」

私の卒後35年間は,臨床医原理主義集団から派遣された刺客との戦いでした.それも今だからそう言語化できるのであって,当初は○○さんと全く同じ状況でした.私の場合は,休職する勇気はなかった.それでも,刺客をやりすごし,時にはどなりつけ,時にはなだめすかして,一番大切な自分の命だけは守った.それが私の一番の誇りです.

大学院生として基礎研究,留学,重度心身障害者・知的障害者施設での診療,厚生労働省,法務省,全て臨床医原理主義への当てつけであり,反旗です.お前らの言うことは絶対に聞かない.俺は自分の命を守る.そういう宣言です.大学教授としてさえもそうでした.私は教授をやっていた5年間,年に数回,各地に呼ばれて神経疾患の患者さんの問診,診察をするだけで,世間で言うところの真っ当なお医者様として患者様を診療したことは一度もありませんでした.今やっている矯正医療だって、世間様は「どこでも使い物にならなくなった医者が行く吹きだまり」と思われているので、私にとっては絶好のシェルターとなっています。ドクターGは臨床医原理主義集団のご機嫌を損ねないための仮の姿です.

ざまあみやがれ,臨床医原理主義.卒後35年経って,ようやく,そうつぶやけるようになりました.まだ、大声では言えません。休職を勝ち取った○○さんは私より勇気があるから,そう叫べる日が来るのはもう少し早いと思います.

(後日,面談を終えて)
本日はお忙しい中ありがとうございました。とても楽しく、あっという間の2時間半でした。先生のような方の話を聞けてとても勇気づけられました。
先生は立派な経歴もありながら腰は低くて、人間としてできた人だなと改めて尊敬しました。何より、自分の弱さをさらけ出して、生きる糧にしてここまで歩まれた事が立派です。先生の仰るように、臨床医原理主義集団にはいい顔をしてやり過ごしたいです。是非また、お会いしたいです!重ね重ね、本日は誠にありがとうございました。今後ともお願いいたします。

(お返事)
多分,私の方が,初めて自分の物語を語れる機会を与えてもらって,この機会を逃してなるものかという気持ちで一気に語ったのだと思います.今までは,こんなことを言っても誰も本気になって聞いてくれない.まともに受け止めてもらえない.冗談にしては人の気分を暗くさせすぎるんじゃないか.
「こんな人だとは思わなかった」
「私は医者が天職だと思ってやってきたのに,そんな私をお目出度い人間だとでも言いたいのか?」等々,とんだ誤解を招いてしまうのではないかと懸念して,相手も自分も傷つけてしまうのを遠慮して,わざわさ言う必要もないだろうと思って言えなかった.言わなかった.
でも○○さんならわかってくれるんじゃないかと思って.何しろその真っ只中にいる人で,僕が為し得なかった休職というカードを手にした人だから,ひょっとしてこの人は僕とはまた違った方向で伸びていく人じゃないかと思ったのでお話しできたのだと思います.

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