年寄りと限界

ある悩める医学部学生からお手紙をいただいた.以下がその回答である.

完全無欠を目指すのは悪いことではありません.完全無欠を目指すということは,裏を返せば,自分が欠点だらけだと自覚しているからです.始末に追えないのは,次の二つの極端です.一方は,自分の欠点が見えなくなることと,他方は,欠点がいつまでたっても直らない自分はだめだと思い込むことです.

神ではない人間には誰にでも時間と空間の両面から物理的制限があります.医者にも患者にも,誰にとっても一日は24時間,一年は365日です.交通・通信手段の発達により空間の制限はやや緩和されたように見えますが,二つの異なる場所に同時に自分が存在することはありません.

しかも,交通・通信手段の発達という空間制限の緩和は,時間を食い物にしています.新幹線がない時代には,新潟ー東京での日帰り仕事など考えられなかったのに,新幹線ができたばっかりに,そんな仕事を頼まれてしまうといった具合です.新潟でなければできない仕事をする時間がなくなってしまうのです.これが本当に便利になったと言えるのかどうか,はなはだ疑問です.

人生の長さという点からも,人間は時間の制限に縛られます.46にもなりますと,高校・大学時代の友人の訃報をぼちぼち聞くことになります.いつ何時,何であいつがと思う側から思われる側に回るかわかりません.

これらの絶対的な限界だらけの中で,私自身ができることは限られています.私は歌うのが好きで,高校時代はヴェルディのアイーダで脇役も演じたことがありますが,これからオペラ歌手としてデビューすることは疾うに諦めています.ですから,あくまでお医者さんとして生きていくしかありません.

お医者さんの仕事は,目の前の患者さんの診療から始まり,目の前の患者さんの診療で終わります.しかし,それから様々な仕事が派生してきます.例えば,病理解剖当番,院内リスクマネジメント部会長,臨床研究費の申請書書き,実験室の機械のメインテナンス,コンピュータのウイルスチェック,学会出張の切符の手配,果ては全国各地の農協から牛の病気について講演してくれと頼まれる・・・

年をとると様々な面で限界が見えてきます.限界が見えてくると,どうしても仕事の優先順位をつけなくてはなりません.つまり切り捨てです.こんなことまで,できっこないと思うが早いか,片っ端から切り捨てる一方,昔は先延ばしにしていた仕事に早く手をつけるようになりました.例えば,家にテレビジョンの受像機は置いてありませんし,新聞もとっていません.まあ,NHKの受信料と新聞代金の節約という目的もありますが.一方,患者さんの紹介状とか,退院サマリなどはその場で書くようになりました.

四十不惑と言いますが,あれは,色気が多すぎて,迷う時間さえ惜しくなったので迷わなくなっただけです.これが年寄りの言う,”悟り”の正体です.

今済ませておかないと,明日棺桶に入ってからでは取り返しがつかない.毎日それしか考えていません.

あなたの疑問への回答にはなっていないかもしれませんが,限界だらけの中で,何とかやりくりして今日も一日生きられたという自転車操業の毎日を送っている年寄りの回答はこんなものです.

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