碁会所とライブ中継

→参考:大盤解説

外科系の研究会,学会では,時々手術のライブ中継がある.内視鏡手技でもやる.ライブ中継がなくたって,ビデオで手術の評価が行なわれる.これは命 を守るための技術を常に磨くためだ.命のやり取りと全然関係がない,囲碁・将棋のようなゲームでさえ,ライブ中継をする.生の対局を全国の人に見てもらう 緊張感の中で試合をする.

だったら,内科医の仕事がライブ中継されないのは,おかしいと思わないか?ビデオに記録されて検討会が行なわれないのはおかしいと思わないか?内科医の面接,診察にだって,命がかかっているのに,囲碁,将棋以下の訓練でいいはずなかろう.

内科医なら,自分の面接と診察が手術に相当する.ポリクリ室などという閉鎖された空間で仲間内だけ集まってこそこそやるのは,単なるお医者さんごっ こであって,そこには互いに評価しあう緊張感など全くない.学習者から評価されているという緊張感が教育者になければ,教育は成り立たない.

あなたは,医学生や研修医に自分の外来を見せたいか?見せたくないとしたらそれはなぜか,考えたことがあるか?へぼ将棋,へぼ碁未満の診療だから か?そんな診療に命を預けている患者に申し訳ないと思わないのか?そんな診療で支払い基金からお金を受け取るのは詐欺だと思わないか?忙しいから,時間がないから教育できないというのは嘘だ.恥ずかしくて見せられないからだ.医学生や研修医に見せられないぐらいの恥ずかしい診療なら止めてしまうがいい.

とまあ,このあたりでひとまず撃ち方止め.

アフガニスタンにおける,器材や医薬品の制限以上に,時間の制限は絶対だ.あなたは,その絶対の制限の中で,最善を尽くしている.決して手 を抜いているわけではない.あなたが働く姿は,カンダハル郊外の診療所で働く同業者に決して劣らない.同じ現実の中で診療していかなければならない医学生 や研修医が見たいのは,現実世界であなたが働く姿だ.

あなたは,一度たりとも患者の命を,生活をおそろかにしたことはない.あなたの誠意,技術は,診療報酬以上のものがある.だったら,若い人に,あなたの働く姿,あなたの苦労,ここまで医者としてやってきたあなたの知恵を伝えてはどうか?

あなたと同じ,いや,もっと厳しい現実の中で診療していかなければならない医学生や研修医はすぐわかる.まれにはすぐわからない奴もいるかもしれない.そういう奴にわからせてやるために,あなたがいる.教育者としてのあなたがいる.

あなたの診察室へ若い人に来てもらおう.そして,あなたのありのままの姿の診療で教育しよう.そして,あなたの診療をビデオカメラに撮って 記録してもらおう.そして批判してもらおう.教育してもらおう.若い人にも教えてもらおう.それでようやく,医学教育が町の碁会所レベルにまで充実する.

碁会所よりもずっと高いところにライブの世界がある.外科医なら,自分の手術が実況中継されて,多くの人に見てもらえるなんて,観客にとっては最高の教育材料ばかりでなく,術者にとっても最高の訓練になる.

ライブ中継が,学習者にとってよりも,むしろ実演者,教育者の訓練になることに気が付いてもらえただろうか?では,ライブ中継活動がどのように行なわれているのか,説明しよう.

ライブ中継の実際

二条河原へ戻る