いや、どこぞの総理大臣に対する論評じゃありません。私は笑っちゃいましたよ。大笑い。だって、可笑しいじゃないですか。学生も、お医者さんも、そして観客席の高月さんとやらも、笑いが全く欠けているじゃないですか。下記のその脚本を紹介する.
「いいお医者さんとは、うまい、つよい、えらいの3つの言葉で言い表される」って??? 臆面も無い学生におだてられた3人のお医者さんが、同じく臆面も無く壇上に雁首揃えているって?それだけでも、十分吉本ネタなのに、ご丁寧に、フロアの観客の背筋が凍りついているって?舞台も,フロアも,一緒になって,みんな真剣そのもの.これが喜劇でなくして、何が喜劇か?
”最も優れたコメディとは、全ての登場人物が、それを喜劇と意識せずに、真剣そのものに演じている作品である” (モリエール←というのは、多分嘘。多分というのは、私はモリエール全集を通読したわけでもないし、通読してすべてを記憶しているわけでもないから。もしモリエールの言葉でもなかったら、池田正行オリジナルになる)
”「医療崩壊」の現実を前に、我々の真剣な論議を茶化すとは、池田正行は、何という不謹慎な奴だ” そんな声も、きっと場外から上がってくるだろう.そんな声も,エキストラでいいから、是非ともこの喜劇に参加したいって意志の表れに過ぎない。
問題は、これが典型的な喜劇と捉えられない日本の国民の皆様、メディアの皆様のリテラシーというか、東アジア儒教文化園の特徴なんでしょうな。イタリア人なら、このシナリオで、アカデミー賞だって狙えるのに。
参考:以下に紹介するのがアカデミー賞喜劇部門が狙える脚本。” 私たち「医師のキャリアパスを考える医学生の会」でも、医師の教育について考え、自分たちでできることをやっていきたいと思います。今後とも温かい目でお見守りくださいますよう、お願い申し上げます。”→もちろんさ。こんな素晴らしい喜劇脚本を書ける医学生なんだから。
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臨時 vol 27 「現場から医学教育を叫ぶ!!」 2009年2月16日発行
東京大学3年 森田知宏 竹内麻里子 嶋田裕記
http://mric.tanaka.md/2009/02/16/_vol_27_1.html
<いざ鴨川>
去る2月4日(水)、「明日の臨床研修制度を考えるシンポジウム」が亀田総合病院にて開催されました。テーマは医師の教育について。しかも制度論ではなく、医師を育てるためにどのような教育がいいのか、ということについて、様々な分野でご活躍なさっている先生方がディスカッションする珍しいものです。
東京からバスに揺られること2時間半。千葉県鴨川市ののどかな田園風景に突如出現するリゾートホテル地帯、それが初めて亀田総合病院を見た印象でした。亀田総合病院は900床以上のベッド数を誇る千葉県南部の中核病院で、研修病院としても人気の病院です。
今回シンポジストとして招かれた先生方は、土屋了介先生、嘉山孝正先生(山形大学医学部長)、亀田信介先生(亀田総合病院院長)、秋山美紀先生(慶應義塾大学総合政策学部専任講師)とまさにオールスター。当然、内容も非常に濃いシンポジウムとなりましたのでここにご報告いたします。
なお、私たち「医師のキャリアパスを考える医学生の会」は、シンポジウムのほんの一週間前、土屋了介先生(国立がんセンター中央病院院長)の前で医学生という立場から医学教育を論じるという“怖いもの知らず”な発表*1をしたところであり、今回のテーマに共通するものを感じました。そこで、企画をなさった小原まみ子先生(亀田総合病院腎臓高血圧内科部長)に頼んで、シンポジウムにて前座を務めさせていただきました。
<「いい医師」とは?>
亀田信介先生の言葉をお借りしますと、医学教育は「いい医師を育てるため」にあります。それでは「いい医師」とは一体何でしょうか。この単純かつ抽象的な問いに対して私たちの出した答えは、「いい医師は『うまい、えらい、つよい』医師である」というものです。その例として土屋了介先生、嘉山孝正先生、小松秀樹先生(虎の門病院泌尿器科部長)を挙げました。大学生が、特に東大の学生がこのようなことを言うととかく誤解を招きやすいのですが、以下に詳細を述べさせていただきます。
我々は卒業すると医師として社会に出ます。臨床医として勤務するのであれば、腕のいい医師になりたい、こう思うのは必然です。適切な治療法を選択し、必要な技術を備えている、つまり「うまい」、これは医師として生きる以上、核になるものだと思います。上に挙げた3人の先生方も、土屋了介先生は胸部外科、嘉山孝正先生は脳神経外科、小松秀樹先生は泌尿器科、各専門領域において誰もが認める一流の臨床医です。
次に、「えらい」について。「えらい」医師は日本全体を俯瞰しつつ、地に足がついています。日本の医療をよくしようと考えていると同時に、現場の細部まで目が行き届き、他の人への理解が深く、思いやりがあります。3人の先生方も視野が広く、医療問題について様々な提言・活動を行うとともに、大変温かいお人柄の持ち主です。私たち学生が会いに行った際も、ご多忙の中お時間を割いて快くインタビューに応じてくださいました。
そして3つ目。「うまい」「えらい」医師であっても、自分の正しいと思うことを実践するには多大な労力を要します。その努力をいとわず、伴うリスクもものともしない、そのような医師を「つよい」と表しました。訴訟リスクを念頭において委縮した医療を行うのではなく、医学知識にのっとって自分の頭で考察し、正しいと思われる治療を行うことができるのは「つよい」医師です。
実際、「うまい」「えらい」「つよい」を備えた3人の先生方は、自ら行動を起こし、世の中を変えています。土屋先生は国立がんセンターに600億円の負債があることについて週刊現代で「覚悟の告発」を行い、嘉山先生は国立大学の国からの借入金が全体で1兆円に上ることを国公私立大学大医学部長会議で発表*2しました。お二方の発表により、ナショナルセンターおよび国公立大学の独立行政法人化に伴う赤字問題が明るみに出て、国会ではあの鈴木宗男議員が質問主意書*3を提出するまでになっています。小松秀樹先生に至っては九州医師会にて「日本医師会の大罪」と題した講演*4を敢行しました。これは日本医師会のあり方、医療界の自律についての爆発的な議論を巻き起こし、その勢いはとどまるところを知りません。(以下略)
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臨時 vol 26 「背筋が凍った東大医学生の「いい医師とは」のキーワード」
2009年2月13日発行
明日の臨床研修制度を考えるシンポジウムで感じた2つの違和感
IMK高月(株)代表取締役 公認医業経営コンサルタント
高月清司 (コウヅキ キヨシ)
2月4日の夜、千葉県鴨川市にある亀田総合病院で行われた掲題シンポジウムに参加した。私が担当する医療訴訟でも研修医の関わる医療事故が増えており、仕事上でも危機感があったし、患者の1人としても大変興味があったからだ。
報道陣も含め100名近い人数で会場は立ち見も出たほどのにぎわいだったが、いわゆる医療従事者が大半で、私のような非医療従事者はごく少数。まぁ、これはいつものことなのでだいぶ慣れてもきたし、今回のシンポの内容は大変充実していて、とても意義のある研修会であったことは間違いないのだが、内容とは離れ
た別の所で2つの「違和感」が最後まで消えなかったので、あえてお伝えしたい。
1つ目の違和感は、シンポの先陣を切って行われた東大医学部学生諸氏による発表の内容だった。冒頭、司会の方から「飛び入りでどうしても発表したいとご要望がありましたので・・」とのお断りがあって、10分間の発表が始まった。すぐに始まる予定だった土屋先生の講演資料に目を通していた私は、彼らの発表の題名も聞き洩らしたし、結局何が言いたかったのかもよく把握できなかったが、その中で「いいお医者さんとは、うまい、つよい、えらいの3つの言葉で言い表される」といっているようだった。
この言葉に「えっ?」と思って目を資料から正面の画像に移すと、そこには「3人の英雄」と称される高名な医師の方々のお名前があり、彼ら学生諸氏はこの医師の方々に「直撃インタビュー」を行って、そこから得た「いい医師」のイメージとして、この3つのキーワードを上げているようだった。
私の頭に浮かんだ最初の感想は、「うそだろう?」だった。なぜなら、私が医療訴訟の現場で感じていた、必ずといっていいくらい患者とトラブる医師のイメージも、実にこの3つのキーワード、すなわち「うまい、つよい、えらい」の言葉で言い表すことのできる医師像だからだ。
患者とトラブルという意味は、患者の主張と相容れないという意味だが、自分を「うまい、つよい、えらい」と思っている医師は、どうしても自己主張を一方的に行ってしまう傾向があり、最後まで患者の視点や争点に合わすことが出来ない。患者側はそこから「傲慢」とか「利己的」というイメージを固めてしまい、結局お互いが何も得ることがないまま離れ離れになってしまうのだ。
こうした類(たぐい)の医師は、上司という肩書を持つと急に増殖し始める傾向があるようだが、それを医学生の頃から感じてしまう、あるいは目標にしてしまうとしたら、末恐ろしい気がして背筋が凍る思いがしてしまった。
さらに悪いことに、この3つのキーワードは弁護士業界にも言えるような気がする。「うまく話して、つよく戦い、相手からお金をいっぱい取ってえらくなってやろう」とする弁護士が、こうした医療側と訴訟の現場で戦い始めると仮想したら、ますます患者の居場所はなくなってしまうではないか、というのが私の不安だ。
では、どういう医師が「いい医師か?」と問われたら、私は即座に「患者にやさしいお医者さん」だと答えたい。シンポの意見交換コーナーでも「研修教育にも愛を!」と発言されていた現場の医師の方がいらしたが、私も大賛成。患者(一般人なら相手)の視線で物事を考え、患者(相手)の言葉で話すことが出来、患者の家族(相手の周
囲)にまで配慮の出来る医師。ミスは誰でも犯すが、こうした医師は万が一ミスを犯しても、患者とトラブ
ルになることはまずないと断言できる。訴訟現場に限らずとも、患者から信頼されるやさしい医師は、ミスの相談は受けても訴えられるところまでいかないというのが私の考えだ。
逆に、「うまい、つよい、えらい」医師の前では、患者は完全に「指示待ち」状態で、自分で治そうとは思わないのではないか。仮にそこでミスがあると、その反動から「先生が言った通りにやったのに治らなかった。ミスに違いない」となってトラブルの原因になってしまう。山形大学の嘉山先生がいみじくもシンポの講演で仰っていたように、「これからは自分で考え、自分で行動するという、いわゆる自立と自律を中心に据えた研修教育が必要」なのと同様に、患者にも自立と自律が求められる時代が来ているのだと思う。
そうした意味でも、患者と医療側が腹を割って話し合うことのできる、早稲田大学の和田教授が提唱されている「院内メディエーション」は、訴訟を抑制する効果と同時に、何より患者と医療側の話合いの場がより近くで、さらに多く持てることで、相互の信頼関係の維持や構築に大いに役立つものと期待している。
本当は、ここで終わりたかったが、もう1つの違和感もあえてお伝えしたい。それは、会場で質問や発言されていた現場の医師の方々の多くが、自分のことを「ぼくは」「ぼくは」と自称されていたことだ。私の周りにも結構「ぼく」を連発する友人・知人が多いのも事実であるし、今回のシンポはいわば身内の気軽さがあってのことかもしれないが、親しい仲間内や立場の上の方が場を和らげようとして使う場合ならともかく、こうした不特定多数の場で使うなら、世間の一般的な慣用として、やはりここはしっかりと「私(わたくし、わたし)」を使ってほしかった。
これも訴訟現場の話で恐縮だが、示談や法廷等において「ぼくは」などと発言したら、それこそ極めて幼稚な(=責任逃れをしている)印象を与えてしまい、相手にペースを握られてしまうことにもなりかねない。
国会の審議の場ですら一国の首相が「おれ」を連発して顰蹙(ひんしゅく)を買っているが、我々も日頃から、特に患者に不安を与えないように、やはり「私」の使用に慣れてほしいと思うのは僕だけ、否、私だけだろうか。
なお、発表された東大医学部の学生諸氏にはその場で私から上記内容を質問し、「つよさの中に秘めた優しさ」など、大変満足のいくお答えを頂いているので、念の為付け加えさせて頂く。
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