医学部でのリベラルアーツ

大学での教員時代は、臨床とは離れて,医学部3年生に対して薬理学の中で「医薬品の有効性・安全性」を医学部4年生に対して公衆衛生学の中で「臨床試験・臨床研究」を担当していました.さらに全学(経済学部,教育学部,工学部,水産学部等)の学生の講義(「薬」がテーマ)も受け持っていました。

全学での講義内容は医学部3年生に対する講義と全く同じにしていましたが、反応は全学の学生の方が遙かに良く,講義内容の評価も高低取り混ぜて刺激的でした。「就活」「キャリアパスリスクマネジメント」「成人発達障害者」「合コンでもてる方法」といった言葉や,トンデモ医事裁判の話題に全学の学生は敏感に反応してくれて「大学に来て初めて大学らしい講義に出会った」とまで書いてくれた学生も複数いました.

それに比べて医学部学生の方は、出席率はいつも1/3未満だったし、「こいつ,何言ってるんだ?」「薬と全然関係のない話するんじゃねえよ」「試験に出ない話するなら出席するだけ無駄」という冷たい視線を露骨に感じました.そのためでしょう,講義内容の評価も当たり障りの無い定型的な反応が目立ち,「相手にされてないな」と感じました.私の話に興味を持ってくれた学生はごく一部で,社会経験のある学士入学者の比率が高かったことが印象的でした.医学部のような純然たる職業訓練校でのリベラルアーツ教育の難しさをつくづく感じた大学教員時代でした.

巷間話題となるメディカルスクール構想の裏側に「医学部におけるリベラルアーツ教育をどうするか?」という難題が隠れています.難題なだけにhidden agendaで在り続ける続けるわけです.

トヨタに就職した人の大学時代の同級生が全て自動車会社に就職しているなんてことはありません.職業訓練校ではない大学では,リベラルアーツ教育を提供できます.一方,入学した人間を全て医師にする職業訓練校では,リベラルアーツ教育を提供する余地は,普通ありません.思い起こせば,私自身も,自分の研究のことばかり夢中で喋る教授に対して「学生の要望に応えようとしない落第教官」と烙印を押していたものでした.

そんな職業訓練校でも,以前はどこの大学でも2年間の教養課程があり,そこでリベラルアーツ教育が提供されていました.しかし今では全国医学部で唯一,東京医科歯科大学だけがリベラルアーツ教育責任組織としての教養部(College of Liberal Arts & Sciences)を残しています.生命倫理・研究倫理・死生学・・・・医師は必ずリベラルアーツを学ぶ必要性があるにもかかわらず,昔も学ぶ機会が限られていました.なのに,医科歯科以外の大学は,学部教育でのリベラルアーツ教育を廃してしまったのです.その代わりに卒後の機会を提供したかというと決してそうではない.大学で教育できなければどこで教育が行われるのでしょうか.

今から考えても,少なくとも私にとっては,あの2年間は私が医師を続けていく上で不可欠でした.医師としての私の人生に,豊かさと,選択肢と,柔軟性を与えてくれた.あの2年間がなければ,医師でない患者さんの自宅での生活や人生に思いを馳せるための想像力は非常に貧弱なものだったでしょうし,医療面接もずっと下手で診療リスクもとっても高いままだったでしょうし,医師免許の活用の範囲も自分で勝手に限定してしまっていたでしょう.今日まで続く友人関係の多くも,あの2年間の教養課程で生まれました.診療では私情の混入は間違いの元になりますから,同じ学生とはいえども,専門課程では生涯続く友人関係は新たに生まれにくいのかもしれません.もちろん教養課程で「大学らしい講義」をしてくださった先生方も全て「忘れられない人」です.

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