驕るメディアは久しからず
ー医療事故報道に見る昭和型報道メディアの終焉ー
か
つて,昭和という時代があった.その時代が終わって半世紀以上が過ぎた.しかし,メディアはいまだに昭和を生きている.ベルリンの壁が崩壊したのは昭和と
いう時代が終わった1989年であることに象徴昭和という時代は,敵国,Them and Usという二項対立のスローガンで特徴付けられる.
「聞いてください」って言われたって、あたしにゃ、そんな暇はありません。なぜ新聞の発行部数を人口減の責任に求めるような、そんな能天気の人たちの言い分を聞いているほど、あたしゃ暇じゃありませんて。
新聞の発行部数と世帯数の推移に
よれば、新聞の総発行部数は2000年の2014年にかけて16%の減少。この間、人口は2000年の1億2692万6千人から2014年には1億
2708万3千人と0.1%ながら増加している。(日本の総人口が初めて減少に転じたのは2009年だから、新聞の発行部数は人口減によるものではないこ
とが、ものの3分もあれば調べられる時代に、いまだにそんな子供だましのデマを飛ばして話を聞いてもらうおうというような無定見な連中の肩を持とうとは私
は思わない。
そもそも単位人口あたりの発行部数が世界でも突出しているだから、現在の発行部数の減少は、それがごくゆっくりと正常化しているに過ぎない。では、なぜ、そんなに発行部数が高かったというと、これはもちろん国民の皆様の信頼度が世界でも突出していたからだ。
そもそもメディアというのは、自社製品の品質管理システムも社員の教育システムも全く持たないばかりか、どんな粗悪な商品であっても同等と売り逃げて何の責めも負わない非常に特異な商売である。なかでも新聞はテレビよりも信頼が厚い。
北陵クリニック事件のような、どんなひどいでっち上げ・捏造報道をしても、国民の皆様は奥深い慈悲の心で見逃してくださってきた。いまさら発行部数が多少
減ったからといって、文句を言うとは何と罰当たりな連中なのだろう。購読を止めた市民は顔を何度となくなでられた仏様というわけだ。
愚民
を騙して金を巻き上げる。そんな奴の言うことなんか誰が聞くものか そう思うのが常識ある大人である。新聞の発行部数の減少も視聴率の低下(*)も、今や
そんな常識ある大人達がサイレントクレーマーとして、新聞の購読を止め、テレビの受像器を自宅に置かないという行動に出ているに過ぎない。
警
察や検察の垂れ流しばかりに依存していれば、事前の調査も事後の検証もする必要が無い。調査報道能力も自社記事の検証能力も無くなってしまった新聞社の記
事がデマやでっち上げになるのは必然的な事象なのだ。自社製品に全く責任を持たずに粗悪品ばかり売りまくって収益を上げ雇用を確保する会社を誰が支持する
だろうか。
今やその気になれば誰もがデマを特定できるようになった。メディアと大学・警察・検察の合同チームによる産官学共同のデマであ
る北陵クリニック事件も、決して秘密のベールに包まれているわけではない。判決文、再審請求書、弁護団意見書、検察意見書といった公開情報で、ほとんどの
嘘やでっち上げは特定できるようになっている。診療録のような、一般にはアクセス困難一次資料も、一般市民向けにわかりやすく解説した意見書の形で公開
し、誰であろうと自由にそれを批判できる形にすれば、その信頼性が担保できる。一見すると、これが新聞やテレビにはない、ネットの威力であり、優位性であ
るように見えるが、実はそうではない。本来メディアが組織としてやるべきことを、個人が特定の事件に関して、時間をかけてこつこつやってきたに過ぎない。
自
社記事・番組の検証環境を整えた上で、どこの誰がどんな根拠を元にどのような主張を展開しているのか。その透明性を確保した上で市民の判断を仰ぐ。これは
本来はメディアの使命なのに、彼らはその使命完全に放棄してしまったので、これまで5年間私が検証環境を整え続け来た。おかげで私は検察と裁判所の両方か
ら、名誉毀損と威力業務妨害の嫌がらせ、つまり天下の藪医者呼ばわりされるようになってしまった。長年警察・検察の走狗となってきたメディアはご主人様に
嫌われるという見捨てられ恐怖から、過去の冤罪事件やでっち上げの検証を放棄してきた。一方、私は表向きは天下の藪医者呼ばわりされながらも、毎年NHK
に出演し、仕事も法務省の中に確保し、日々の仕事の中で、職務上医療を知る必要がある裁判官や検察官と対話を繰り返している。
ジャーナリ
ストの方々は、なぜ発行部数が減る一方なのか、少しは理解できただろうか?理解して泥舟から逃げ出す算段をするのもいいだろうが、それは逃げ出す先があれ
ばの話である。一方で泥舟に乗ったままその船を木の船に変える魔法を持ち合わせていればいいのだが、そんな魔法を持っているぐらいだったら、そもそも泥舟
には乗っていないだろうから、さてどうしたものやらと思案のしどころですね。いや、私にとっては他人事ですからね。あなたがたの仕事の代わりをするだけで
精一杯。ということは、私の代わりに北陵クリニック事件の「真相究明」をする仕事は確実にあるわけです。
*視聴率の低下では、自宅にテレビの受像器を置かなくなった人々の行動は把握できないから、テレビを見なくなった人の数は視聴率の低下よりも大きい。
→二条河原へ戻る