検査万能教
「医療における全ての検査は感度・特異度ともに100%である」
「どんな検査も、やった方がやらないよりも正しい診断につながるに決まっている」という滑稽な思い込みを、
ここでは仮に検査万能教と呼んでおきます。多くの読者は、自分は検査万能教とは無縁であると思っているでしょう。しかし、患者さんの検査万能教に随分と苦労させられた人は少なくないはず
です。さらに、医療者が無意識のうちに検査万能教に影響されている例も、残念ながら枚挙に暇がありません。以下は「そんなこと、
言われなくてもわかっている」という声が聞こえてきそうなぐらい当然のことですが、患者さんへの説明だけでなく、検査万能教に対する自分の抵抗力を高めるためにも役立ててくださ
い。
感度100%の検査などない
ごく一部の例外を除いて、感度100%の検査など、この世の中にはありません。カットオフポイントを恣意的に操作することにより、
理論的には感度100%にすることはできますが、感度・特異度のトレード・オフにより、感度100%にすれば特異度はゼロになり、検査の意味がなくなります。
たとえば、糖尿病か否かを空腹時血糖あるいはヘモグロビンA1cの値で判断する場合、そのカットオフポイントを低くすればするほど感度は高くなります
が、特異度は低くなります。カットオフポイントを高くすれば特異度は高くなりますが、今度は感度が低くなります。
感度が100%でなければ、当然検査による見逃しが起こります。この、検査による見逃しを見つけるのは、人間にしかできない仕事です。ところが、「頭部CT/
MRIでくも膜下出血が検出できる」といったような、極めて漠然とした記載をそのまま受け入れて思考停止すると、「どんな状況でも、どんな状態の患者さんでも、頭部CT/
MRIはくも膜下出血を必ず検出し、絶対に見逃さない」、そんな検査万能教を受け入れて、検査による見逃しをチェックする人間本来の役割を放棄するように
なります。
どんな検査でも、患者さん、検査機器の動作条件、検査結果を解釈する人の三要素からそれぞれ発生する様々な変数が、検査結果に重大な影響を及ぼします。頭部CT/
MRIによるくも膜下出血の診断一つとっても、どのような患者さんに(患者さんのヘモグロビン濃度、出血量、出血部位、発症からの時間、脳萎縮の程度、motion
artifactの有無等)、どのような撮影条件で(スライスの方向、スライス厚等)、誰が(救急当直で睡眠時間が不足している研修医なのか、
画像診断専門医なのか)読影するかで、感度は全く異なります。
特異度100%との思い込みによる悲劇
感度よりも、さらに罠にかかりやすいのが特異度です。特異度が100%という検査は存在しませんから、偽陽性も必ず生まれます。
この偽陽性が以下に述べるようなプロセスで、しばしば悲劇を生みます。
異常を見つけて、その異常を是正するという作業は、診療行為の中で頻繁に行われるために、得られた所見が本当に異常なのか?
その異常を是正する必要があるのか?
是正することが患者の利益になるのか?といった根源的な問いかけが、ないがしろにされ、思考停止したまま診療行為が進むことがあります。
検査の偽陽性所見は、このような誤りを生み、誤診を誘発します。偽陽性の検査結果による誤診と気づかずに治療を進めれば、有効性がなく、副作用の危険だけを患者に与えることになります。
その治療が、リスクの高い診療行為だった場合には、取り返しのつかない悲劇が起こります。
わかりやすいのは外科手術ですが、内科診療でも特異度を考慮しない悲劇はしばしば起こります。MRIは小さな古い脳梗塞を非常に感度良く検出しますが、
これが偽陽性所見となって、低血糖、敗血症ショック、高炭酸ガス血症、甲状腺機能低下症といった、緊急性の極めて高い疾患による意識障害を脳梗塞による意識障害と
誤診する悲劇が生じます。
MRIのように高価な機器や最新鋭の検査の場合には、特に特異度に関する注意が必要です。臨床現場で十分な洗礼を受けていない話題の新薬(*)と同様に、
高価な機器や最新鋭の検査は、検査法そのものが現場で揉まれていない分、その短所が洗い出されていなかったり、検査を使う人間の側が短所を心得ていなかったりするからです。
多くの場合、最新鋭の検査は、感度の高さを売り物にしています。ところが、特異度については、患者さん、検査機器の動作条件、検査結果を解釈する人の三要素からそれぞれ発生する様々な変数に
よる影響を、長年にわたって臨床現場で検討して徐々に明らかになってくるものです。ですから、最新鋭の検査の未知のリスクは、
そのほとんどが特異度に関わるものとなります。
検査万能教の背後にある人間不信
診療では、問診・診察を尽くした上で、さらに検査を使って自分の判断の妥当性を検証します。つまりあくまで人間が診療の主役で、
機械は人間の下僕に過ぎません。そして機械は自分で自分をチェックできません。機械をチェックする仕事は人間にしかできません。
人間が機械をチェックする場合、その判断の拠り所となるのも、人間の判断です。機械は単にメッセージを出すだけで、そのメッセージをどう生かすかは、
受け取る人間の力量によります。その力量に乏しい人間ほど、人間が、自分が信じられず、盲目的に機械に従います。
問診や診察で得られた自分の判断と照らし合わせて、矛盾があるように見える場合、思考停止して検査結果を受け入れて、自分の判断を無理矢理検査結果に寄り添わせるのは、
検査万能教そのものです。一番大切なはずの自分の判断よりも検査結果の方を信用するような重症の人間不信に陥った医師は、患者の言うことよりも、
患者の体から発せられる身体所見よりも、検査結果の方を信じるでしょう。そんな医師に誰が診てもらいたいと思うでしょうか?
参考
*
最新医療は本当に“最もいいもの”か?
→二条河原へ戻る