経験とは何か?

2003年7月、広島に招かれて、初めて大盤解説をコンセプトで、拙い自分の面接を人前で披露し、批評を受け、自分が伸びていく喜びを感じて以来、地方巡業、武者修行を繰り返し、医療面接の腕を大分上げたと思っている。確かに、それ以前より、今の方がうまくなっているだろう。しかし、今時の学生や研修医より、自分の面接の方が上かと問われると、全く自信がない。

それから6年経った2009年6月。香川大学医学部で行われた勉強会で、72歳男性患者さんと医師として働き始めて2ヶ月の研修医。67歳の男性患者さんと医学部5年生。いずれもおじいさんと孫娘のような年齢差がある2例の問診を見せてもらった。学生だから、駆け出しだから、医療面接なんて、恥ずかしくてとてもできないと、二人とも渋っていたが、僕は心の中で「何言ってやがる。あんた方、自分の腕に気づいていないだけだ。どうせこっちが羨ましくなるような見事な面接を披露してくれるに決まっているさ」と相手にしなかった。

1例目。あちこちの医療機関を受診しても、診断名を明らかにしてもらえないことを不満に思い、とめどなく喋る患者さんに対してひたすら傾聴する研修医。一見、押されまくっているように見えた。しかし、終わってみれば、あんなに自分の話をよく聴いてもらったのは初めてという患者さんの満足感が得られた。

2例目。逆にこれまでの関節リウマチを長い間患い、その合併症に悩まされ、何度もの手術を経験しているので、また新たな合併症が出てきて、手術を申し渡されるのではないかとの懸念から、すんなり病歴を語れない患者さんに対し、やはりぽつぽつとしか問いかけができない学生。その二人が迷いながら、粘り勝ちで、ベテラン開業医も知らなかった情報が得られた。

いずれも決して、手際鮮やかな面接ではなかった。生物学的な意味での診断名を得ることだけが目的だとしたら、随分と回り道も多かった面接だった。それでもなお、そこに居合わせた腕っこきのベテラン医師たちを唸らせたものは何だったのだろうか。

自分の年齢を性別を考えたら、おじいちゃんと孫娘の関係にはなれない、ベテラン医師たちの、そういう絶対的に不利な立場は致し方ないとしても、あの、二人の孫娘さん達の、たどたどしさが魅力的に見えたのはなぜだろうか?初心者の面接は、しばしば、まとはずれ、非効率と非難され、その点を改良すべく、ベテランの医師達は精進してきたのではなかったのか?

若い医師が、自分の若さを未熟さと直訳し、その若さ恥じらう謙虚さが、患者に対して、自分が医師を教育する立場にあることを自覚させ、実際に、医師の教育者としての能力を発揮させる。孫娘のような医師を前に、患者が知らず知らずのうちに、医師を教育する能力を十分に発揮する場面を見て、ああ、自分にはもう、あの若さがなくなってしまった。そう思うからなのかもしれない。

医療面接は、しばしば、「職人芸」、「経験が物を言う」と言われる。でも、本当にそうなのだろうか?馬齢を重ねれば重ねるほど、若さの持つ優位性にどんどん手が届かなくなっていく。素直さ、率直さ、威圧感のなさ。どれをとっても、若い人にはどんどん叶わなくなっていく。

年を取ってもなお活路があるとすれば、若い人から学ぶ謙虚さを維持して、成長し続ける道だろうか。

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