助けてもらえる医者

医者は,病気を治さなくちゃいけない.患者さんの苦しみを取ってあげなくちゃならない.患者さんに何かしていいことをあげなくちゃいけない.そうい う気持ちを持つことは大切なことだと思う.でも,そういうことが全くできなかった時,あなたは医者としての自分の存在価値を否定していないだろうか.あな たはそんなに名医のつもりなのだろうか.病気を治せない=何もできない ではない.だって,病気ではなくて人を診ろと言ったのはあなたでしょ.

死は,医者にとっても,患者にとっても,最も悲惨な敗北のように見える.しかし,誰にも死は必ず訪れる.その必ず訪れる結末に立ち会わなくてはならない医者がいる.その医者はすべて藪医者だろうか.

上越にある重症心身障害者病棟で,重度精神遅滞の45歳の男性を看取った時のことだ.十年来の措置入院で,親父さんはすでに八十を超えたご 老体だったが,週に2度はかならず病棟に顔を出して子供の顔を見ていた.患者さんは寝たきりだったが,意識は清明で,経口摂取もできていたが,ある冬,2 -3日に経過であっと言う間に両側の肺が真っ白になって亡くなった.この間,私は徹夜に近い状態だったが,肺病変の原因検索も含めて,病理解剖をお願いし た時のことだ.

親父さんにとっては,最愛の一人息子である.了解してもらえるかどうかわからないが,亡くなった本人のためにも,何が起こったのか,ここ で明らかにしておきたいと思った.私にはすでに主執刀十五体の経験があった.主治医がそのまま病理解剖を執刀するとなれば,納得してもらいやすいだろう. しかし,もうアルツハイマー病かもしれないおじいさんに話してわかってもらえるだろうか.

”私が執刀しますので,解剖して調べさせていただけませんか”

”ああ,どうぞお願いします”

淡々としながらも明確で,納得感に満ちた口調が不思議でならなかった.一人息子を失った直後だというのに,この落ち着きは何だろう.感情鈍 麻では絶対にない.大きな悲しみは確かに生じている.それははっきり感じ取れた.しかし,無理やり隠そうとして隠し切れずに丸見えというわけでは決してな かった.悲しみを完全に自己と調和させている姿だった.普通なら,これほど落ち着いた受容感は,如何に齢を重ねても,悲しみの後,年余を経なければ得られ ないはずだ.普段の外来なら,その疑問の解決の糸口を探す時間と気持ちの余裕があるのだが,承諾がとれた安堵感で,連日の緊張感が一気に抜けたところへ, 次に投げかけられた言葉は,まるで小春日和の縁側でお茶を出す時のような,穏やかな思いやりに満ちていた.

”先生も連日徹夜で大変だったでしょう.解剖が終わったらゆっくりお休みなってください”

この爺さんの偉大さにそれまで気づかず,アルツハイマー病かもしれないなんて思っていた自分の情けなさを恥じると同時に,人生最大の悲しみ の中でも,息子を助けられなかった医者を思いやる優しさを感じて,流れ出ようとする不覚の涙を必死でこらえて,私は解剖の準備に向かった.

重度精神遅滞という病気を治すこともできなかった,命を助けることもできなかった.それでも,あのおじいさんは私を責めはしなかった.それどころか,慈愛に満ちたねぎらいの言葉をかけてくれた.

医師免許を取ってから四半世紀の間に何の進歩もなかったことを考えると,私がこれから患者さんを助けるようになれるとは思えない.しかし, 患者さんや家族に助けてもらえる,”自分は,あの医者を助けてやったんだ.大切なことを教えてやったんだ” そういう喜びを患者さんに味わってもらえる, そういう医者になら,なれるかもしれない.

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