仮想敵と民度

市民への攻撃が自分に向かわないように、時の政権が市民の目を誤魔化すための陳腐な手法。ほとんどの場合、仮想敵は近隣諸国あるいは国内にいる他民族となる。前者の典型例は、「鬼畜米英」や中韓の反日キャンペーン。鬼畜米英の場合は、植民地政策が衝突したという意味で機能的に近隣諸国だっ た。ABCD包囲陣というスローガンがそれをよく表している。後者の典型例はナチのユダヤ人政策だが、現代では「テロリスト」のラベルを貼ることによって、いかなる集団も仮想敵に仕立て上げることができる。この時に必ず必要な道具がマスコミ・ジャーナリスト・評論家の類いである。

時の政権によるこのような陳腐な手法の有効性は、その国の市民とジャーナリズムのリテラシーの程度に大きく左右される。市民とジャーナリズムのリテラシーがある水準まで上がると、時の政権をある程度批判できるようになるが、そうなると今度は、政権以外の組織が、マスコミを使ってこの仮想敵 スキームを様々な対象に当てはめ、自分たちの存在意義を国民にアピールしようとする。わが国の場合、それまで強力な権力を誇示してきた軍が解体された戦後、検察が政治家や官僚を市民の仮想敵に仕立て上げ、自分たちの存在意義を市民にアピールしてきた。

郷原信郎氏が「日本海海戦」というところのロッキード事件がその典型である(下記郷原氏著書)。しかし今や大艦巨砲主義の時代は過ぎ去った。にもかかわらず、検察は相も変わらず体育会系の自白調書署名強要しか能が無い。そういう中で21世紀のガダルカナルとなったのが北陵クリニック事件で ある。

参考

【中国ブログ】中韓のように過去の歴史で米国を非難しない日本

郷原信郎 検察の正義 ちくま新書
(ロッキード事件が検察にとっての日本海海戦で、この勝利が検察の大艦巨砲主義を生んで後の暴走につながっている)

検察の正義、その根拠はどこにあるか?(郷原信郎)より

基本的に司法メディアは、「特捜が事件を手がけることは、自分たちにとってプラスだ」と考えています。そういう意味でメディアと検察は利益共同体 です。新聞記者は常日頃からヒラの検事に始まり副部長、部長らに取材をし、法務省の幹部や検察の幹部とのパイプをつなげる努力をしています。そう した努力が活きるのは、検察が事件を手がけたときです。事件が起こらないと普段自分たちの行っていることに何の意味もありません。つまり、司法メ ディアにとって、何であれ検察が事件をやってくれることは歓迎すべきことであり、したがって検察の手がけた事件がダメになってしまうことを彼らは 望んでいないということです。だから検察の問題点を指摘するようなことは一切しません。

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