Jokerからの距離

どこの組織でも、心底からの悪意ではないにせよ、その発言や行動が、ことごとく仕事の妨げになる人がいるものだ、そういう人の取り扱い要項についての議論から。

Jokerからの距離
jokerという概念は,目標が明確な組織をかく乱する要因を考えるとよくわかる.たとえばPMDAの新薬審査部では、承認審査という明確な組織目標がある。如何に効率よく審査するか?それがハードエンドポイントだ。明確な目標を持って組織が行動する時、効率化の妨げになる人間をjokerと呼ぶ。実際には、短期間でのjoker排除は困難なことが多いので、効率化のために、「jokerからの距離」の概念が導入され、実行される。

スクリーニングを経て組織に配属されてくるわけだから、明確な悪意を持って妨害する人間などいない。また、単純に仕事のスピードが遅いだけの人間も排除される。スクリーニングの網を潜り抜けてくるのは、自分では悪意なしに、しかし、チームワークの妨げになるような影響力を行使する人間がいる。それがjokerだ。

肝心の本人に悪意がないから始末に困る。平社員jokerならば、教育・是正しようとするドライブが働く(それでも是正は効かない場合がほとんどだが)が、自分より職位の高いjokerのコントロールは不可能だ。(どうしてjokerの職位が高くなるのかは、面白い疑問だが、話が長くなるので、改めて)

コントロールが不可能ならば、距離を置くのが最善策となる。コントロールが不可能なのに、下手にコントロール願望を発揮したりすると、ろくなことにならない。そんな事例をたくさん見ると、距離を置くのも上手くなる。

大学という名の商店会
PMDAのような明確な目標をもったチームの集合体に比べたら、大学も、病院も、夜店に毛の生えた程度のテナントの集合体に過ぎない。組織論やチームワークとは全く無縁の集合体だ。だから、大学人もお医者さんも、組織論を肌で感じることはできない。教授会は、自分は教授にふさわしいと思い込んでいるjokerが大半を占める集合体。自分は優れた経営者と信じ込んでいる人達ばかりが集まった商店会。そこには組織論のかけらもない。

審査センターに勤め始めた頃、そのチームワークの見事さに感嘆する度に、不思議そうに尋ねられたものだ。「医療も、チームでやるものじゃないんですか?」ってね。僕は苦笑するばかりだったけど。

「いい人願望」の危うさ
大学も、病院も、しばしば大きな椅子と立派な机にjokerが占める割合が非常に高い組織だ。職位が高くなればなるほど、いろいろな分野に関わることが多くなるから、それだけjokerになる確率が高くなるのだが、決して同情はできない。実際にjokerではない人もいるのだから。数こそ多くはないけれど。

jokerが大多数を占める組織では、jokerをjokerとして認識できる機会が極めて少ない。jokerの認識がなければ、jokerから距離を取ることもできない。そこで、「いい人願望」が生じる。「教授(院長)になると、いろいろ大変なんだろう。だから今回は尻拭いしてやろう。まあ、我慢してやろう。大目に見てやろう」。思いやりのある自分というわけだ。しかし、自分がjokerに巻き込まれたからといって、他人まで巻き込まないでくれよ。

自分の言葉一つが、如何に多数の部署、多くの人間にとんでもない影響を与えるか、大きな椅子に座った人間は、それを知っていなければ、その椅子に座る資格はない。しかし、「あんたはjokerだから、教授・院長の資格がない」なんて、面と向かって言うのもまた愚かな行為だから、距離を取る。それがこれまでの職場で僕が得た大切な知恵の一つだ。

「いい人願望」の危うさは、職位の上下とは関係ない。前述のように、相手が職位が上でjokerの場合には、自分が酷い目に遭う。一方、「いい人願望」の持ち主が部下を相手にした場合には、「部下思いの上司」の幻影に酔ってしまう危険性がある。組織の目標のために、「いい人」が,「非情な上司」に豹変して、お互いに傷つけあうリスクに気づけない危うさというわけだ。

「いい人願望」の危うさは、職位の上下とは関係ないと、今しがた申し上げたが、「いい人願望」の危うさは、性別の組み合わせとも関係ない という主張に対しては、あなたはどう考えるだろうか。

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