自ら助くる者

八つになりし年、父に問ひていはく、「佛はいかなるものにか候ふらん」といふ。
父がいはく、「佛には人のなりたるなり」と。また問ふ、「人は何として佛にはなり候ふやらん」と、父また、「佛のをしへによりてなるなり」とこたふ。
また問ふ、「教へ候ひける佛をば、何がをしへ候ひける」と。また答ふ、「それもまた、さきの佛のをしへによりてなり給ふなり」と。
又問ふ、「その教へはじめ候ひける第一の佛は、いかなる佛にか候ひける」といふとき、父、「空よりや降りけむ、土よりやわきけむ」といひて笑ふ。
「問ひつめられてえ答へずなり侍りつ」と諸人(しょにん)にかたりて興じき。(徒然草第243段(最終段))

パ イロット、タクシー運転手、プロ棋士、弁護士・検察官・裁判官、プロスポーツ選手、ファンドマネジャー・・・資格の有無にかかわらず、多くの専門職では,プロはプロが育てる ことになっている。プロの教育はプロの間で完結しており,現場にいる顧客の考えや感情がプロ個 人の技量に直接影響を及ぼすことはない。

医者の場合は違う。直接の受益者である患者と,その患者を支える家族は医者の評価者であり、教育者でもある。自分が命を預けるのだから、この医者にしっかりしてもらわなきゃ困る、そう思う患者がその医者に対する教育者になるのは、当然である。

天は自ら助くる者を助く.この医者を助けてやろう,育ててやろうと思う患者が,自分の命を助けるのである.

教 育者は学習者に対してそれなりの振る舞い方をするようになる。自分が目の前の医師を教育すると思える患者と,そう思えない患者の間には千里の逕庭がある。患者から学ぼうとす る貪欲な医師と,患者なんかから学ぶものなんかこれっぽっちもないと思い込む医師免許保持者との間に千里の逕庭があるのと同じように.

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