失敗のコホート研究
ー後悔という名の後付解析の愚ー

「生物統計は数学ではない」という台詞の後には、「ツッコミ力だ、思考停止を防ぎ、哲学する力だ」というキャッチコピーが来ます。その具体例が下記です。なおここでは,あなたが後悔するための必須の組み入れ基準である,十分すぎるほどの記銘力を持っていることを大前提にして話を進めます(*1)

その後悔にエビデンスはあるのか?:後悔にツッコミを入れて、後悔の無意味さを知る
1.後付解析(後出しじゃんけん)禁則違反:他人の結果論は非難するのに、自分には結果論を適用するのか?
2.介入試験計画の趣旨を忘れている:善かれと思ってやった結果ではないのか?
3.介入試験計画を立てたのは誰かを忘れている:自分は常に有能な予言者であるべきだと思っているのか?→何様だと思ってる!
4.比較対照を置かない試験だったということを忘れている:対照を置いて比較試験をすべきだったとでも思っているのか?→おとぎの国の話!
5.試験結果の考察の誤り:そもそも、本当に「間違っている」のか? 「間違っている」の判断基準は何か?
6.観察期間は適切か?:今、誤りと判断していいのか?

こんなふうに自分の人生を、後付・層別なんでもありで解析する人ほど、他人の行動を盲目的に非難します。
他人/自分xいいとこ/悪いとこ の4分割表のうち、一部だけ取り出して、残りはきれいさっぱり忘れられる、人間の、記銘力障害の「使い方」の見事さといったら・・・
他人/自分の重複領域がかなり大きかったり(例えば配偶者同士)、いいとこ/悪いとこがグレースケールで容易にカットオフポイントが設定できなかったりして、ひどく面倒だから無視しちゃうってこともあるのかもしれませんが・・・

後悔の話に戻ります。後悔は、無時間モデルの中で、かつ、思考停止とワンセットになって初めて、その無意味性が成立します。 そこに、時間軸を導入して、つまり、未来に向けてより幸せなアウトカムを得るために、過去の自分の行動を分析をするような習慣をつければ、無時間モデルの中で「後悔」と呼ばれていたものが意味を持ってきます。では、「後悔」をどう利用するのか?

失敗は成功の母、人間万事塞翁が馬→「失敗」のコホート研究(*2)を大切にしよう→時間軸を導入すると、「失敗」の組み入れ基準はかなり厳しくなる→「失敗」と決めつけることに謙虚であれ→無駄な後悔止めましょう→自己嫌悪のダイエット・自己評価の低下を阻止 という流れですね。

 ここでも、「自分は馬鹿だ」と思ったら、そこで止まらない。止まらずに、チャンスと考える。つまり、「自分は馬鹿だ」と思ったら、そこですかさず、「馬鹿と鋏は使いよう」というツッコミを入れるわけです。

*1 記銘力障害がない人だけが後悔します.認知症の人はそもそも過去の出来事を覚えていないので後悔しません.私は認知症はまだ患っていないと勝手に自己診断していますが,やはり後悔はしません.何故かというと,自分に都合の悪いことは全て忘れてしまう,特殊な選択的記銘力障害の持ち主だからです.(あと,自分に都合の悪いことは全て聞こえない選択的聴力障害も持っている)

*2 失敗の研究のほとんどは、時間経過とともに、明らかに失敗と評価が固定した事例についてretrospectiveな分析を行うものです。しかし、当初失敗と思われたものが、時間経過に従って失敗とは言えなくなる事例の数の方が、実は非常に多い。ところが、こういう事例については、ほとんどの場合、当初失敗だと判断した記憶は消し飛んでしまって、成功という結果しか見えません。その結果、当初失敗だと判断した(これも誤った判断)理由やら、成功に変化していった経過などは全く分析されません。retrospectiveな分析は当然特有のバイアスに苦しむ.だから、当初失敗と判断された事例の経過を負っていくコホート研究が必要なのです。

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