訴訟の影に怯える以前に、まず自分への説明責任の緊張感がある。自分の診療行為についての自分への説明責任の重さの前には、訴訟の影なんて消え去ってしまう。
相手が訴訟を起こすか起こさないかは、コントロール不能だ。また裁判官の頭の中もコントロール不能だ。そういったコントロール不能の物をコントロールしようとして、この患者は自分を訴えるかもしれない=この患者は悪者かもしれない。結果的に患者に対して検査・治療のリスクや経済的負担をかけている=患者を傷つけている。
たとえば心窩部痛の患者を診たら、下壁梗塞を除外するために、感度のことも考えずに全例心電図を取って、糖尿病性ケトアシドーシスを除外するために、全例血糖を測って、大動脈解離を除外するために全例CTを撮って・・・・「訴訟を防ぐために」という自分の身勝手のために、患者をいくら傷つけたら済むのだろうか。患者を傷つけるだけではない。自分もどんどん馬鹿になっていく。馬鹿になればなるほど事故を起こしやすくなり、訴えられやすくなることに気づけないほど馬鹿になっていく。防御的医療Defensive Medicineは、実は肝心の医療者自身のリスクを高めているパラドックスに気づけない悲しい姿だ。
逆に、自分への説明責任を常に心がけていれば、自分自身が賢くなっていく。実力がついていく。リスクマネジメント能力が高まっていく。コミュニケーションスキルも向上していく。だから自分が事故を起こす確率も低くなり、訴えられにくくなる。
「自分がコントロールできることに集中する。自分がコントロールできないものには反応しない」(松井秀喜)は、プロ野球に限ったことではない。
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