あなたのために書いてます

浜の真砂の数以上あるであろうブログの類に目もくれず、ここを読んでくれる読者にはいつも感謝している。でもそれはなぜなのだろうか?

多分、あなたは、即答できないだろう。でも即答できないとしても、何も心配することは無い。実は、「なぜマッシー池田の文章を読むのか」 という問いに対する答えは、あなた自身が持っている。ただ、それを言語化できていないだけだ。

だから、私がその答えを教えて進ぜようと言っても、全く遠慮することは無い。あなたが持っている答えを包んでいる風呂敷を解くだけだから。

あなたは自分の言いたいことが、ここに、そして私のHPのあらゆるところに書いてあるから、だから私のHPを読んでいるのだ。

私が書くことに共感できるから、私のHPを読む。共感を得たいから。

発達障害戦略研究所長、団塊の世代とやらの尻拭いを強要された世代、下町育ち、医者、スコットランドを愛している、神経内科専門医、薬事行政、教育への情熱、病理解剖の経験、狂牛病パニックの最中に消費者団体に向かって牛肉を食べろと言った反骨精神、トランスレーショナルリサーチ、精神科のセンスと実務経験、家庭医療・総合診療への関わり、EBM、レギュラトリーサイエンティスト

どの側面でもいい。いや、どんな側面でなくても、初老のおやじの戯言というだけで共感を持ってくれる人が日本国内だけで何千万もいるだろう。

だから私にはあなたの共感を得るように書く使命がある。それはあなたにおもねる文章ではない。あなたがそう思っていながら意識下に沈んでいる、言語化できない想いを言語化し、あなたにお返しする。私はそのために書いている。

自分の書いたものを読んでいただく読者のことを全く考えず、自分の言いたいことだけ(実は,自分は何が言いたいかさえもわかっていないのだが)を書き散らす奴らが氾濫している。そんな大馬鹿者と私が決定的に違うのはそこだ。

私は読者を理解するために書く。私は、あなたに「そうだ。私はそう言いたかった」 そう言ってもらうために書く。

ロラン・バルトの言う「作者の死」の作者とは誰だろうか?それは、「たまたま、その文章を書いた一読者」に過ぎないのではないか?だから、正確に言うと、作者とは読者という対比は、文章が読者を得た瞬間に消滅し、「たまたま、その文章を書いた一読者」が読者集団に紛れ込むことになる。
 

二条河原に戻る