居場所

 

”医学部を志したのは人の役に立ちたいから”,ちょっと考えただけでも,まともな医学生や医者だったら,こんな歯の浮くような言葉を言うはずがないのだが,何回も聞いたような気がする.そしてそんな言葉を聞くたびに,何を寝ぼけたこと言ってやがると思ったのは,若気の至りだけではなかった.

 

というのは,商売をやって20年経っても,実際に他人様の役に立ったと思えるようなことは,未だに一度もないからだ.せいぜい,見逃さないで済んでほっとした,自分にしてはよくもまあ気づいたもんだと思える程度のことしかない.

 

他人にどうこうという以前に,いまだに自分のことを考えるのが精一杯なのだ.それも,情けないことに,仕事の結果がどうこうというより,とにもかくにも自分の居場所を見つけることに四苦八苦しつづけてきた20年だった.

 

ここ10年間やっている重症心身障害者の診療でだって,”誰も振り向いてくれないかわいそうな知恵遅れの子供達のお役に立ちたい”,なんて思ったことは一度もない.誰もが勤務を希望しないこの場所でなら,自分にも仕事をさせてもらえるという,そういう卑屈な安堵感しか感じたことがない.

 

第一線の医療,最新の知識と技術,高い専門性.そういった宣伝文句には,学生時代からついていけなかった.卒業後は自分の力量と現実を見比べて,ますますレースについていく自信がなくなった.それでも,自尊心だけは一人前だった私には,初めからレースを放棄するのは耐えがたい屈辱だった.だから,とにかくスタートラインに立ち,懸命に走ったが,遅れに遅れた.列の最後尾で喘ぎながら,脱落の屈辱による自尊心の崩壊を回避しつつ,レースを終える方法を捜し求めていた.

 

私の回答は,自分でゴールを勝手に決めて,居場所を定めることだった.その居場所を与えてくれたのが,重症心身障害者であり,痴呆の高齢者であり,精神障害者だった.彼らは,第一線の医療,最新の知識と技術,高い専門性を私に要求しなかった.よかった.もうレースはしなくて済むのだ.しかし,そんな安堵がとんでもない見当違いだったことに気づくのに,さして時間はかからなかった.(→続き

 

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