Massie IKEDA: Housewife

主婦業は貴族の楽しみ

先日たまたま持病の頚部痛が悪化して自宅で静養していた.全くの重病というわけでもないので,休み休み,洗濯,食器洗い,家計簿つけ,手紙の執筆,電子メールの送付など,家の中で出来る範囲の仕事をしていた.

家にいても,あれこれやらなくてならないことが浮かぶ.自分一人しか頼る人間がいないから,自分で問題を掘り起こし,対策を考え,実行し,不都合な所が出てくれば,それに対する対策をまた考える.自分一人で問題を解決できたときの達成感,手応えは,組織の一員として感じることはできない.未だ手錠をかけられていない犯罪人の常套句である,”皆様にご迷惑をかける”こともなければ,”皆様のお世話になる”こともないのだ.なんと爽快な世界だろう.

主婦業が家庭に閉じこめられた虐げられた仕事だという悪質なプロパガンダは一体誰が垂れ流しているのだろう.これは明らかに愚民政策だ.もし,主婦自身がそう感じている人がいるとしたら,その人は本当の主婦業を知らないのだろう.主婦業の素晴らしさは内助の功でもなければ,三食昼寝付きの素晴らしさでもない.自分で問題を掘り起こし,対策を考え,解決していく醍醐味が主婦業の素晴らしさだ.この仕事は科学そのものだ.古より,金にあくせくしないで済む者,つまり貴族だけが科学を楽しむことができる.

一方,主婦業の最大の欠点は,外から批判されることが少ないゆえに,独善に陥りやすい事だ.その弊害を避けるために,ネットワークがある.町内会でもいい,ボランティア活動でもいい.パソコン通信でも,インターネットでもいい.ただし,互いに傷をなめ合うようなネットワークであってはならない.

もちろん主婦業を女だけが独占する理由はない.主婦業をするチャンスがなかった男どもも,定年退職は,主婦業に手を染めるチャンスである.長生きとは,主婦業をするためにある.しかし,長年独占業を営んできた相方はそうそう簡単に生業を渡さない.昔気質の親方と同じである.何十年も培ってきた自分のノウハウをそんなに簡単に盗まれてたまるかと思うのである.新米弟子としては,ひたすら耐えて技術を盗むしかない.それが嫌なら粗大ゴミに甘んじることだ.

定年と聞くと,私がスコットランドに滞在していた時,同じ研究室にいたデボラ・ドーソンの言葉をいつも思い出す.当時彼女はまだ25才だったが,いつも冷静にデータを分析し,着実に論文にしていく彼女の才能に,上司のジムをはじめとして皆一目を置いていた.ある日私は,大学院卒業を間近に控えた彼女に将来の希望を聞いたことがあった.すると彼女は,

”そうね,どこかの製薬会社の研究員になって勤めた後,35才になったら退職して人生を楽しみたいわ”
”結婚はどうするの”
”どちらでもいいわ.人生を楽しむのに,必須な要素とは思えないわ.でも家の仕事は楽しみたいわ”

当時彼女の言っている意味が僕にはよくわからなかったが,どうやら彼女は,25才の若さで, (結婚しようとしまいと)主婦業の魅力を感じとっていたのだと,首を痛めて家でごろごろしていた今日,はじめて悟った.

ルビコン川の向こうへ