言葉の言い換えが起こるとき
「総合診療医」という言葉は、私が医者になった頃は影も形もなかったこと、そして、そういう言葉がなくても、新米を育てる教育=医者
の基本中の基本の教育=「ただの医者」を育てる教育が、今で言う「総合診療医」を育てることに他ならなかったことは以
前書いた。
痴呆→認知症、精神分裂病→統合失調症。病気は変わっていない。しかし、言葉が変わった。言葉が変わって「患者様」は、より幸せになっただろう
か?言葉を変えたアウトカム評価が行われたという話は寡聞にして知らない。それでも大騒ぎしてわざわざ言い換えたのは、どこかの誰かにとって何ら
かの便益が
あったのだろうが、私にとっては、ただ、面倒なだけだった。言い換えをこちらからお願いしたわけでもないのに、あんな面倒な作業は、もう真っ平御
免だ。
それと同様、「総合診療医」とは「ただの医者」を、よりわかりにくいように(使う漢字の数も増えた!)言い換えたに過ぎない。さんざん大騒ぎした
変更作業のアウトカム評価が行われたという話は寡聞にして知らない。それどころか、いまだに名称変更論争が絶えないのは、どの名称にするかで、ど
こかの誰かにとって何らかの便益があり、他の誰かにとってはそれが損になるからだ、そう互いに思い込んでいるからだろうか。(*)
大型二種免許を取るためには、普通免許を取ってから3年以上経過している必要がある。しかし、大型二種免許を取っている人が、普通免許を持ってい
るとは自慢しない。
神経内科専門医になるにしても、一般内科医として開業するにしても、心臓血管外科の教授になるにしても、医師免許を取ってからの年数ばかりではな
く、免許を取ってから、まずは「ただの医者」になるための教育・訓練を受けなくてはならない。私は医師免許を持っていますと自慢する神経内科医も
開業医も心臓血管外科の教授もいない。それと全く同様に、私は「ただの医者」になるための教育・訓練を受けていますと自慢する医者もいない。
「自分は心カテはできないけれども、問診・診察には自信がある」と思っている人は、いるだろう。それでも、「問診・診察には自信がある」と明言す
ることはお勧めしない。それはもちろん、「自分はただの医者に過ぎない」と自慢することに他ならないからだ。
「問診・診察なんて医者のやることじゃない、俺様の心カテの腕を見ろ」と思っている人はいるだろう。それでも「問診・診察ができるなんて、ただの
医者のやることで、自慢にも何にもならない」と明言することはお勧めしない。そんなことを言えば、すぐさま「では、あなたの”ただの医者”として
の能力は?」とツッコミが来ることは目に見えているからだ。
*この種の名称変更論争は私にとっては、ほんの少し関係する。ほんの少しというのは、せいぜい番組のタイトルが「かかりつけ医 ドクターK」に変
更になるぐらいだからだ。番組のタイトルがどうなろうと、「NHK
に毎年レギュラー出演している偉い偉いお医者さんを藪医者呼ばわりするとは何事か!!!」と、最高検を恫喝する道具に使えることには
変わりがない。
→二条河原へ戻る