(ある家庭医との対話から)
診断をつけることの意義を考える場合に、次の論点を心得ておくと、頭の整理(自分自身との対話=brain storming)が面白くなります。
1.生物学的診断の深さ(階層);通常は診断を「詰める」と表現しています。
2.診断をつけることに対して、誰が何を求めているのか?:患者、家族の各メンバー、担当医、その施設の職員、紹介先の医師それぞれに「思惑」があります。
1と2は互いに独立ではありません。2の各ステークホルダーによって1を使い分けます。
1は、たとえば、1年前から体が動きにくい>慢性進行性の神経の病気らしい>パーキンソン系の神経疾患?>パーキンソン症候群>パーキンソン病か多系統萎縮症か?
といった具合です。ご紹介いただいた患者さんも、下半身不随>背中を通っている神経がおかしくなった>脊髄炎>多発性硬化症>多発性硬化症以外の疾患も今すぐに全て除外しなくてはいけない!
しばしば、1の点で担当医と紹介先の医師の間ので食い違いが起きます。その食い違いを生じさせるものは、疾患の知識だけではありません。患者さんや、家族や、紹介元の施設の診療資源など、圧倒的な情報格差(もちろん紹介元が圧倒的な情報量を持っています)も食い違いの大きな原因になります。しかも、その情報がリアルタイムで変化する。
この1例だけでも、とってもたくさんのことを考えますよね。それがそのまま質的研究の絶好の材料になります。こういう研究は診療所という状況設定の中で初めて可能です。新薬はもう20世紀でネタ切れになりました。何百億も投資したのに、第?相でオシャカになるような新薬開発がどんどん増えてきています。22世紀は行動科学・心理学を使った医学研究が中心となります。そういう意味で、診療所での質的研究は、最先端の先を行く研究なのです。