○親と子のつながり,配偶者同士のつながり,病者と健常者のつながり,そして現世と彼岸のつながり.我々日本人は,家庭で,地域社会で,伝統的にそういうつながりを保ち,異質の集団間で効率的で有用なコミュニケーションを維持していた.
○ところが,明治維新以降,医療者は,「最新医学は素晴らしい」「生きることは素晴らしく,病や死は惨めな敗北である」というメッセージを発信し続けることによって,病者と健常者,生者と死者の間にあった伝統的なつながりを次々と断ち切ってきた.
○長年,一般市民は,父権主義者としての医療者からのメッセージを無批判に受け取ってきたが,特に戦後,一般市民の間にも批判精神の萌芽が見られた.それが,医師神格化への反省,説明と同意の要求,医療過誤訴訟の増加,という形になって現れ,最近では「ドクハラ vs モンスター患者」,「自動車並のパフォーマンス&アウトカム保証を要求する診療契約の強制 vs 医師逃散」のバトルとなっている.現在の医療崩壊現象は,そういった過渡期を表している.
○医療崩壊を演出する最大の舞台装置が最新医学教である.この宗教では,問診・診察といった効率的な危機管理戦略が,時代遅れの職人芸と誤認,無視され,ご本尊であるところの最新機器や夢の新薬への過度の依存が生じる.このご本尊からは,あたかも良好な治療結果が期待できるかのような幻想が振りまかれる結果,ある者は不老不死を追い求め,ある者は最新の診断機器と夢の新薬を使いこなして次々と難病患者を救うスーパードクターに自らを擬して陶酔感を得る.
○ところが,現実を見せられば,その陶酔はたちどころに消失し,悲劇がやってくる.幻想通りの結果が得られない失望感から,一部の患者はモンスター化し,モンスター患者から訴えられた一部の医師は,幻想の被害者,あるいは最新医学教の殉教者を演じることとなる.このような悲喜劇を見飽きた多くの医師は,自分に出番のお呼びがかかる前に早々と芝居小屋から脱走する.これが医療崩壊の舞台裏である.
○では,脱走したはいいが,後はどうするのか?最新医学教の魔の手を逃れても,我々は今なお医療崩壊の真っ只中にいる我々はどうすればいいのか?実は至極簡単だ.最新医学教が医療崩壊の舞台装置なのだから,その逆をやればいい.私がそう主張すると,あなたはきっと言うだろう.「最新医学を否定するだって?そんな大それたことできるわけがない.日本中,世界中の最新医学教信者から,反撃を食らうだろう」
○でもちょっと待ってもらいたい.あんた何様のつもりだ.誰もあんたに神様になってくれと頼んじゃいない.あんたに日本全国を変えてくれって頼んでやしない.自分の日常に集中してくれ.あんたにはそれしかできないってことは,私もよく知っている.ただでさえ忙しいんだから,まずは自分の家庭,自分の職場,自分できる範囲のことだけやってくれればいい.
○すなわち医療者自身は,自分が直接関わる診療現場で,自らを神格化せず,実現不可能な夢を与えることを止める.一般市民側も,やはり自分が関わる診療現場で,いないはずの神や不老不死を求めるのを止める.
○具体的には,医師は,「神の手」たることを止める.「神の手」たろうと思うと,常に目の前の患者にいい格好をしなくてはならないという強迫観念に駆られ,うっかりすると結果保証をしてしまう.「神の手」ではなく,勉強熱心で誠実な,医療の限界をよく知る医師を目指せばよい.あなたがヤブだと思って逃げていく患者がいたら,神の手を求めてドクターショッピングする危険な患者が去ってよかったと思うこと.何しろただでさえ忙しいのだから.
○すると患者のなすべきことも自明である.つまり,「神の手」を求めないこと.自分に,医者の腕を見極める眼力があると思い込み,目の前にいる医者は藪だという人間不信に陥ると.「神の手」を求めることになる.病気を抱えて冷静な判断力が鈍っているのだから,結果保証を求めて「神の手」探しに走るのは危険だ.
○「神の手」を求めると,あなたの目の前にいるのがあなたにとっての名医だと気付かずに立ち去る危険が生まれる.さらに,自分が「名医」「神の手」と信じて依存した相手が全力を尽くしても,結果がたまたま悪ければ,あなたは,きっと医療過誤があったに違いないと思い込み,自分がつい昨日まで名医だと吹聴してきた相手を,犯罪者呼ばわりするようになるだろう.
○「名医」「神の手」探しに走るのではなく,まずは目の前にいる医師の誠実さを見極めよう.ではどうやって誠実な医師を見極めるか?それは簡単な話だ.その医者が本当にあなたのことを思ってくれるかどうか,見ればよい.その医者が本当にあなたのことを思ってくれるのならば,そして医者としての自分のキャリアを大切にするならば,自分の手に余ると思った時は,適切な医者にあなたを紹介してくれる.プロとアマチュアの本質的な違いは,実は「○○ができるかどうか」ではない.「○○の限界を知っているかどうか」である.その意味で,己の限界の見極めが,一番難しい.どんな職業でもそうである.
○医師の目の前にいる患者は医師の敵ではない。医師の最も頼りになる味方である。その証拠に、医師はいつも自分の患者に助けてもらっている。問診はどこが具合が悪いのか、患者に教えてもらう作業である。どこが悪いのか、治療してよくなったのか、教えてもらわなければ、医師は商売ができない。診察も、同様である。患者の体に呼びかけて、どこが、どうして具合が悪いのか、非言語性のメッセージで患者に教えてもらう作業である。医師を助けてくれるのは患者であって、高価な検査機器ではない。だから、「患者の話をよく聞け」「患者をよく診ろ」は道徳ではない。戦略である.問診・診察でのやりとりという、協同作業を通して、医師と患者は問題解決法を一緒に考えていく。それは実はいつの時代も変わらぬ,医師と患者の両方を守る基本戦略である。