機能的なLGBT

インターネットテレビなんて、テレビ局のようにスポンサーに遠慮する必要が無いという利点はたしかにあるだろうが、それでも労働集約産業であることには変わりがない。一体いつまで続くんだろうと、冷ややかな目で見ていただが、なかなかどうして、健闘しているんじゃないかと。「コンテンツが主で映像が従」。「そのコンテンツも既存のジャーナリズムが扱わない視点」「登場させるのも、既存のメディアにさんざん露出している人間ではなく、当事者意識を持って批判を厭わず本音を言える人間を使う」といった点で既存の報道から差別化を図っている。

下記の番組も、生物学的だけでなく機能的にもLGBT社会が顕在化しつつある現実をわかりやすく描いている。私は映像そのものは見ていないが、静止画像と文章だけで、映像を見なくても番組の趣旨がわかるところが非常に有り難い。その意味で「テレビ視聴なんぞ時間の無駄だ、老い先短い自分のような人間には無用の長物である」と公言して憚らない私のような変人にも配慮が行き届いている。一方で、『職業は”ヒモ”』というこの番組のキャッチコピーに対し、反射的に嫌悪感を感じる層(例えば堀江貴文に対して嫌悪感を感じる層と重なるところが多い)は「絶滅危惧種=別に視聴てもらわなくてもいい奴ら」として全く無視している。
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「稼働は月8日」15人の”ヒモガール”からお金をもらいながら暮らす男性、”飼育”する女性側の心理とは?
そんな北条氏の考えるヒモのメリットは「面倒ではない距離感」「男性を支配している喜び」「心の浄化&癒し」だという。「彼氏のために、結婚相手のために尽くし、"自分は仕事をセーブしないといけない。彼氏に合わせて家に帰っていないといけない"というような自己犠牲の関係を続けすぎると、女性の心が擦り切れていってしまう。そういうことがヒモにはまったくない。私の内面が男っぽかったのかもしれないが、家事をしなくてもいいし、仕事に邁進したい時は"今は会いたくない"とバシッと言ってしまえる。専業主婦が家事を全部やってくれて楽だ、というのとちょっと似ていたかもしれない」
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まあ、「機能的なLGBT」なあんてもったいぶったタイトルをつけるような問題じゃなくて、要はもっと基本的な社会常識「相手の立場になって考え・行動してみる」を実践してみて、「金を払っているんだから自分の言うことを聞け」 vs 「養ってもらっているんだから、言うことを聞かなくちゃいけいない」という関係からは、それが家庭であれ仕事場であれ、不幸しか生まれないことを学んでいるに過ぎないんだけどね。

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