見世物としての食品偽装

見世物としての価値の本質は、”ざまあみろ”にある。食品偽装暴きワイドショーは、この、”ざまあみろ”感情を強烈に刺激するゆえにいつの世でも、根強い人気を誇ることになる。

我々は日常、様様なへまとごまかしをしている。冷蔵庫に生ものを長期間入れっぱなしで腐らせてしまう。期限切れの牛乳がもったいないと飲んでしまう。つり銭が多いことに気づいた時(まあ、そんなことは数年に一度ぐらいで、おそらく同じ頻度でつり銭が少ないときもあるのだろうが、それには気づかないのは、自分が善人だからと勝手な理屈をつけて)は、にんまり笑ってすべてのつり銭を懐に入れる。一方で、電車の中では携帯電話を控え、たばこの吸える場所を必死で探し回る順法精神も持っているといった、白黒では割り切れない現実的な存在、まだら善人である。

組織を構成する個人がへまとごまかしを繰り返すまだら善人の存在なのだから、まだら善人の集合体が真っ白になるわけがない。まだら善人の集合体ならばまだら善組織になるはずだと、実は、誰もが知っている。しかるに、わが国のあらゆる組織は、自らを全き善と自称して憚らない。プロ野球球団買収資格審査の際に、ライブドアが、アダルトサイトの運営にも関わっていることを率直に認めたのに対し、楽天は関わりを一切否定した。真っ白と自称しないと、この国では商売ができない。しかし、自称真っ白組織は、羊頭狗肉が暴かれる危機を常に内在している。

このような状況は、冷徹なお客様を作り上げる。あひるのくせに白鳥を自称する企業に対して片腹痛いと、お客様は常々思っている。神様とおだてられてもごまかされないぞと思っている。自分のようなへまとごまかしの塊がなんで神様なものか。社長さんの家だって、たまには冷蔵庫の中の食べ物が腐ったりするでしょうに と思っている。

だから、企業コンプライアンスと称して、JAS、食品衛生法遵守を錦の御旗と押し立てる企業を,多くの市民は冷ややかに見ている。実は自分も同じような自称真っ白企業に勤めて給料を貰っているにもかかわらず、賞味期限を堂々と印刷した品物で儲けている企業を見る度に,あいつらは奇麗ごとを言って儲けやがってと嫉妬の気持ちで胸が一杯となる。そこへ、食品偽装の内部告発である。枯葉を集めたごみ置き場に点火したような、ざまあみろの大合唱騒ぎになるのは当然である。

時速200キロも出せない特急を1時間おきでも定時で走らせることができない英国人は、10両編成の満員電車を2分おきに、時速250キロの列車を5分間隔で走らせて、毎日数百万人を運ぶなんて正気の沙汰ではないと考えている。私が彼の国で、スーパーマーケットで買ったジャムの中に芋虫が入っていたことがあった。その現物を店に持って言ったところ、店員達は,面白いおまけが入っていたわねえと,けたけた笑いながら品物を交換してくれた。

だから、食品偽装ワイドショーは,わが国のオリジナル商品となるが,アニメのような輸出品になるかどうかは,はなはだ心許ない。

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