犬としての教育者:目から鱗が落ちるわけ

あなたは、道端に一万円札が落ちていたのを見つけるのと、タンスの中にかけてしばらく着ていなかった自分の上着の内ポケットに一万円札が入っていたのを見つけるのと、どちらが嬉しいだろうか?

後者を選ぶ人ならば、自分を尊重し、自分に興味を持ち、自分の頭の中を探検して、新しい発見をする喜びを味わえる。

「目から鱗が落ちる」とよく言うが、それは自分への驚きと賞賛に他ならない。目から鱗が落ちて見えてきた物は、自分の頭の中に眠っていた資源の発見であり、他人から新しいことを教えてもらったのではない。他人から押し付けられたものがそんなにうれしいはずがない。新しい発見が実は自分の所有物だったとわかって初めて本当にうれしくなる。自分の所有物だからこそ,使えそう,使おうという気になる。自分の物だから慈しんで使う。すると使い勝手がどんどん良くなり、自家薬籠中の道具となる。

そこで,有能な教育者の役目は犬である.つまり、ここ掘れワンワンである。ちょいと洒落て言うと「ファシリテーター」となる。自分の頭の中を探検して発見する喜びの味を知るようになれば、その面白さを人に伝えたくなる。そうなれば、もう、立派な犬である。

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