医学教育と言語化

医学教育と言語化をキーワードに,brain stormingの材料を、ざっと書き出してみた。

○医学教育では(他分野の教育でも共通するところがあると思いますが)言語化できるできる部分とそうでない部分がある
○言語化できる部分の代表例は人間生物学である
○卒前教育では人間生物学に力点が置かれている。それは多分、容易に言語化できるものの方が教えやすいから。
○人間生物学の知識と異なる、現場に出てすぐ使わなければならない道具(コミュニケーション・プレゼンテーション技術、面接技術、行動科学、心理学など)はほとんどが現場に出てからのon the job trainingに依存しており、卒前に医学部で教えられる部分は非常には少ない。
○現場に出てすぐ使わなければならない道具の多くは言語化できる部分とできない部分が混在している
○このため、これらの道具”教える”(言語化できる部分を中心にというニュアンス)というより、”伝える”(言語化できる部分とできない部分を明確に区別せずにというニュアンス)形を取ることが多い。
○言語化できる部分とできない部分は常に固定されているものではなく、地域、個人(医療者、患者本人、家族)、道具の種別、診療科等、様々の要素によって変動する。
○言語化できない部分を”職人芸”の一言で片付けてしまうと、学習・教育の面白さが見えなくなってしまう可能性がある。たとえば、日常生活動作に注目した問診項目を、”リカチャンハウスとプラレール”と言語化することによって、神経疾患の診断に興味を持つ人が増えて、学習・教育効率も向上する面白さが見えてくる。

公演先で学生さんと懇親会で話す時も、こういう話題になることが多い。そこでのヒントから、上記のような論点を書き出していって、そこからパワーポイントを作ると、1時間ぐらいの話ができあがる.

医学教育を考える場は何も医学部だけに限定する必要はない.教育学のノウハウをもっと積極的に取り込んでいこう.たとえば,名古屋大学高等教育研究センターの成長するティップス先生は,2000年のウェブ版ができた当初から、個人的には面白そうだなと思っているのだが、医学教育学会あたりで話題になっているのだろうか。

教育が大切だと口先ばかりでなく、「教育を学ぼう」という意欲を組織として認めて評価する、例えば、成長するティップス先生のような面白いノウハウを持っているところに国内留学するとか、科研費使ってコラボするとか、そういう発想が出てこないのはなぜだろうか。

教育は、お金も箱物も要らないし、人材が育つ、ローリスク・ハイリターンの事業なので、苦しいところほど、教育を目玉にすべきなのだが、なかなかそうならないのは、「今の若いモンは・・・」と妄言ばかりを繰り返している人達が要所に居座っているからだろうか。

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