どんな医者になりたいか?
-だって?馬鹿馬鹿しい.そんなことを考えるのは時間の無駄だ!いや,自分の人生を危うくするだけだ!

「自分に合った仕事なんて探すな」
 仕事というのは、社会に空いた穴です。道に穴が空いていた。そのまま放っておくとみんなが転んで困るから、そこを埋めてみる。ともかく目の前の穴を埋める。それが仕事というものであって、自分に合った穴が空いているはずだなんて、ふざけたことを考えるんじゃない、
 生きている患者さんを診なくていいというのも、解剖に向かった大きな理由です。一番助かったのは、もうこれ以上患者が死なないということ。その点だけは絶対安心でした。人殺しをする心配がないからです。しかし患者さんを診るという行為から逃げ出しても、遺族の面倒だとか何とかもっと大変なことがありました。

未来の未知性について
ロックスター君」にしても、「作家」になっていても、「漫画家」になっていても、「ビジネスマン」なっていても、「そのようになるべく粛々と歩んできた自分」というものを「そのようなもの」になった後に、自在に事後的に構築することができるのである。彼がそれを偶然だと思わないのは、それが潜在的「願望」に含まれていたからである。潜在的願望と現実が合致した人間は、そこにあたかも宿命に導かれてたどりついたような「錯覚」を抱くことになる。そう、「錯覚」なのである。そして、「錯覚」であるにもかかわらず、「錯覚できる人間」と「できない人間」のあいだには千里の径庭がよこたわっている。
おおかたの人は誤解しているが、願望達成の可能性は、本質的なところでは努力とも才能とも幸運とも関係がなく、自分の未来についての開放度の関数なのである。それは「未来を切り開く」という表現からはきわめて遠い態度である。未来の未知性に敬意を抱くものはいずれ「宿命」に出会う。未来を既知の図面に従わせようとするものは決して「宿命」には出会わない。

内なる審査官の暴言に耐える引きこもり愛好症&弱点克服ゲーマー
自分は医者には向いていないと思ったからこそ医者になり,自分は医者には向いていないと思ったからこそ医者を続け,卒後30年近く経って,やっぱり自分は医者には向いていなかったと気付く。はつらつとして働いている(ように見えた)お医者様たちに嫌と言うほど出会って,自分はああはなれない,やっぱり自分は医者に向いていない,臨床なんてやるんじゃなかった,と来る日も来る日も医者を辞めようと思い続けながらも,なんとか辞めずに済んでいる自分との出会い。

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