犬のnarrative

”犬死”にという言葉に対して,動物愛護協会が抗議行動に出ないのはなぜか?もしかしたら,犬をよく知る者ほど,”犬死に”が,決して犬に対する差別用語ではないことを理解しているからかもしれない.

どんな病であろうと,従容として死に赴く犬を見ると,人間よりもはるかに立派に見える.死の受容を犬(まあ猫でもいいんですが)から学ぶのが21世紀のnarrative-based medicineとなるだろう。非ヒト言語性のコミュニケーション,バウリンガルの臨床応用というわけだ.

死ばかりではない.老い方も犬に見習った方がいいことが,すでに14世紀からわかっている。→徒然草第百五十二段

日野資朝には高校時代から強い魅力を感じていた。最近、映画による精神分析(?)が流行しています。その向こうを張って日本の古典に見る認知行動療法なんて、面白い題材だが、医学書院の商品にはならないだろう。ちくまなら何とかするかもしれないが、そもそも書き手がいない.私?勘弁して下さいよ.それでなくても,某出版社から依頼された構想が塩漬けになっているのに.

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