日常診療は利益相反にまみれている
高松少年鑑別所 池田正行
緒言
企業から影響を受けた医師の判断が患者の利益を損なっているのではないか?
という懸念から、医療における利益相反に対して社会から大きな関心が寄せられている.本稿の目的は、金銭よりも金銭以外の利益相反
の方が、はるかに普遍的かつ診療リテラシーへの影響もより重大であるという立場から、金銭以外の利益相反に関する論考を通して、医師
の判断の公正さを担保し、市民からの信頼獲得に資することにある。
日常診療は利益相反にまみれている
利益相反と言われて多くの医師が真っ先に思い出すのは、学会・論文発表の際に開
示を要求される利益相反であろう。通常問われるのは、製薬企業から受けた謝礼や所有する株式など、可視化が容易な個別の金銭的利益であ
る。多くの医師は個別に金銭的利益相反を持たないため、自分は利益相反とは無縁だと決め込む。第二次大戦後の医療サービス大量消費が生み
だし、今日の日常診療場面に溢れる医療経済的利益相反は、こうして医師の意識から消去される。
患者は、「薬をもらってきた」とは言っても「薬を買ってきた」とは言わない。医
師の側にも、通常「薬を売っている」という意識がないが、これは、現物支給を原則とする日本の保険制度下では、商品・サービスの購入とい
う構図が見えにくくなっているからであって、医師が市場の末端で「薬の売り手」として機能していることは、だれも否定できない。 しかも、他の小売業と違って、購入者である患者には、自分の意思で薬を選択する余地がほ
とんどなく、医師が首を縦に
振らなければ、薬の種類も購入量も変えられない。処方箋を書くのは薬剤師でもなければ製薬企業の社員でもない。ましてや厚生労働省の役人
でもない。他の小売業とは比べものにならないほど、我々医師は商品の販売を強力にコントロールする権限を持ち、日々の診療を通して、社会
に対して絶大な影響力を行使している。
選挙の場合には選挙権と投票行動が明確に結びついているが,処方箋が書けるのは
医師のみであり,薬の売れ行きは医師の処方行動如何にかかっていることは,通常意識されていない。選挙の結果を決めるのはテレビに頻繁に
登場する評論家の言葉ではなく,選挙権を持った一般市民一人一人の投票行動である。それと全く同様に,薬の売れ行きを決めるのは一人一人
の医師の行動であって,製薬企業と関係の深い大学教授ではない。しかし,どれほどの医師が,自分の処方箋が社会に及ぼす影響力の大きさを
自覚しているだろうか。自分が薬の売り手であるという自覚が無ければ,そこに営業攻勢の入り込む隙ができる。さらに,自分はプロフェッ
ショナルだから,客観的事実を踏まえて行動し,学会の時に出される昼の弁当や,製薬企業の営業が机の上に置いていくボールペンごときには
影響されないという誇りそのものも,様々なバイアスが混入する隙になる。さらに、ジャーナリスト達も、スキャンダルとして記事にしやすい
金銭的利益相反に対しては厳しい目を向けても、それ以外の利益相反の仕組みを理解し、一般市民にわかりやすく伝えるだけのリテラシーを持
ちあわせない。多くの医師が利益相反を意識せずに日々診療できるのは、このような仕掛けによる。
医療と利益相反の歴史ー特に国家権力に対する医師の利益相反についてー
冒頭の利益相反の定義を掲げたInstitute of Medicineによる報告書1)が出版されたのが2009年であり、我が国でもそれと前後した時期に政府機関や各学会が利益相反に関連した指針を
出している。このため、利益
相反は比較的新しい問題のように思われがちだが、すでにヒポクラテスの誓いに「能力と判断の限り患者に利益すると思う養生法云々」とある
ことからもわかるように、実は極めて古典的かつ普遍的な問題である。いつの世でも、ある時点より以降に起こる変化の速度は、それ以前に起
こった変化の速度を上回るのが常である。この原則は医療における利益相反に対しても当てはまると考えれば、今後の10年先を見通すにあたって歴史を振り返る意義は大きい。
医療経済活動が活発化する以前は、金銭以外の利益相反の方が、金銭的利益相反より一
般的だった。伝統的非金銭的利益相反は、自由な意思表示がしばしば困難な精神・神経疾患患者の診療で特に重大な問題と
なった。たとえば,Philippe Pinelは、患者以外の人々のための副次的な「利益」に基づく拘束を解除したと考えることができ
る。
パントテン酸キナーゼ関連神経変性症(Pantothenate kinase-associated
neurodegeneration : PKAN)の忌まわしい旧称であるHallervorden - Spatz症候群は,自らの興味と名声のために,ナチ政権下で「安楽死」させられた精神・神経疾患患者脳 の「コレクション」を用いて 「多大な研究業績」を上げた精神科医Hugo Spatzと神経病理学者Julius Hallervordenにちなんだ病名である3)。戦後も彼らはニュルンベルク裁判の法廷に立つどころか、その「業績」が認めら
れ、共にMax Plank研究所の神経病理学研究を主導し天寿を全うしている。しかし、それは彼らが特殊な人生術
を持っていたり、特別に幸運
だったりしたからではない。彼らの仕事ぶりもナチが権勢を振るった同時代人の間で決して突出してはいなかった。彼らを含めたドイツ精神医
学の泰斗達の名のもとに行われた強制移住,強制断種,強制研究の被害、そして殺人に対し、ドイツ精神医学精神療法神経学会は70年もの間沈黙を守り続け、その間も学会員達は粛々と診療・研究・教育にいそしん だ。4)
今でこそ深刻な利益相反行為と考えられるロボトミーの場合も、当初は「画期的な
治療」としてもてはやされていた。1936年にこの手術を開発したEgas Monizは1949年にノーベル医学・生理学賞を受賞しているし、ロボトミーを強力に推進した後継者達も、
大学や権威ある病院の高名な
医師達だった。不正を行っているという自覚は当時の彼らには全くなく、むしろ、ノーベル賞のお墨付きまで得られた最新の治療を行える医師
として堂々と診療していたし、当時の社会もロボトミーを是認していた。米国では、復員軍人援護局が大戦中の戦闘によるPTSDの難治症例に対して、ロボトミーを公式に推奨していたほどである5)。1952年のchlorpromazine開発を端緒とした抗精神病薬の普及以後、ロボトミーは急速に廃れていったが、患者を不幸
のどん底に陥れる「人体実 験」としてロボトミーを施行した医師達が糾弾されたのは、それよりもさらに十年以上後になってからである6)。
独創的な研究や最新医療の開発といったスローガンには、患者に素晴らしい福音を
もたらすように見えながら、医師が抱える利益相反により、むしろ患者を大きく傷つける可能性が潜んでいる。しかしその被害については、
「異常な時代背景の中で、ごく一部の不届きな研究者や医師が引き起こした特異な事件」として主に倫理的な観点から議論され、しばしば彼ら
を断罪することで、メディアや一般市民側の対応も終了してしまう。しかし、そのような観点では、これらの深刻なスキャンダルの原動力と
なった、時代や国境を越えた普遍的な利益相反を真の意味で理解することはできない。今後、過去の研究倫理・医療倫理問題を、利益相反の観点から再考する意義があると私が考える理由はここにある。
医療サービス大量消費に伴う利益相反の普遍化
第二次大戦後までは、利益相反により患者に重大な被害を与えるのは一部の医師や
研究者に限られていた。しかし、戦後の社会状況の変化は、以下に述べるように利益相反の様相も大きく変えていった。戦争が終わり、社会の
関心が人間の生命や健康問題に移行するに伴い、医療が一般市民の間に浸透していった。ペニシリン合成に代表される有機化学合成技術が発達
し医薬品の大量生産が可能となるとともに、経済的に豊かな国では保険診療が普及し、医療サービスの拡大・産業化が企業を潤していった。か
くして医療サービスの大量消費時代が訪れ、製薬企業が巨大化し、医師の処方裁量が生む利益相反も普遍化・巨大化していった。
医薬品が大量に消費されれば、そのリスクも顕在化しやすくなる。いわゆる薬害
は、利益相反を意識しない医師が、医薬品の有効性にのみ注目し安全性を軽視した結果生み出した診療被害に他ならない。その背景には、医薬
品の大量消費を可能にした国民皆保険制度がある。1959年11月の東京特別区を皮切りに、1961年4月からはすべての市区町村で国民皆保険制度が実施されたが、サリドマイド7)、スモン8)といった古典的な薬害問題が顕在化したのは、正にこの時期である。「睡眠薬」としてサリ
ドマイドを7)、「胃腸薬」としてキノホルムを、いずれも「良く効く安全な新薬」として、日常診療で大
量に処方したのは、「悪徳大
学教授」ではなく、市中で診療する医師達だった。しかし、サリドマイドにせよキノホルムにせよ、断罪されたのは実際に処方した医師ではな
く、企業と規制当局(厚生労働省)だった。スケープゴートを企業と規制当局に限定し、実際に処方した医師の責任を問わない奇妙な慣習は、
後年の血友病HIV訴訟やイレッサに関する訴訟でも踏襲された。平素は「薬の専門家」として中医協を始めと
する公の場で自らの利権を頑
迷に固守する医師達が、こと薬害問題については彼らが「現場を知らない厚労省の役人ども」と呼ぶところの人々に責任を全て押しつけた。し
かし、個々の医師を被告としないのはあくまで訴訟戦術であって決して医師を免責するものではないことを、原告側弁護士が明言している8)。
ランチョンセミナーに見る医師達のリテラシー
以上見てきたように、金銭以外の利益相反による患者の被害は、金銭的利益相反よ
る被害よりも、質・量の両面で遙かに重大である。しかし、これらの被害は、第二次大戦前後を通じて、ごく一部の医師、あるいは国家や企業
による重大な倫理違反として断罪されてきた。このため、利益相反という全ての医師に共通する普遍的な問題が見えなくなり、広く一般の医師
が日常診療における利益相反に対してリテラシーを失ったまま今日に至っている。我々が最優先で取り組むべきは、正にこのリテラシーの回復
である。その点で、利益相反の場そのものである学会のランチョンセミナーは、利益相反に対する一般の医師達のリテラシーについて、象徴的
な光景を見せてくれる。
ボールペンのような些細な贈り物でも処方行動が変わるというエビデンス9)がある一方で、弁当ごときで自分の処方は変わらないと自負する医師達がいる10)。しかしどちらが正しいかは実は本質的な問題ではない。真に問題なのは、ランチョンセミ
ナーを開催する企業に運営費
を負担してもらわなければ、つまり企業にたからなければ開催できないような学会と、そんな学会に喜々として参加し、昼休みを無銭飲食と居
眠りに充てるような学会員達のリテラシーである。幼稚園の遠足でも昼食は自分の家庭で用意した弁当を持って行く。自分の昼食さえ用意でき
ないような大人に、自分の処方行動は弁当ごときに影響されないなどと大見得を切る資格は無い。
医療と利益相反の今後
臨床医として第一線で働く自信を失い、面接を受けた製薬企業8社にことごとく不採用を言い渡され、やむなく勤めた厚生労働省で、「学会のランチョンセ
ミナーに出席することは禁止 しないが、たとえ出席しても弁当は食うな」と言い渡されたのが、忘れもしない2003年7月1日の初出勤日だった。企業ランチョンを一切排除して学術総会を運営する日本精神神経学会
が「臨床研究の利益相反に関する指針」を打ち出す8年も前のことである。今思えば大変先進的な教育を受けていたことになるのだが、そんなあ
りがたい助言をもらった私
は、何を隠そう「弁当ぐらい食べたって自分の頭の中が変わるわけではあるまいに」と冷ややかに受け流すだけだった.そんな私が、こうして
ランチョンセミナーを糾弾している。自分の身に起こることさえ全く予想できないのだから、利益相反を巡り、今後、何がどう変わるのか想像がつくわけがない。そんな先見の明のない私にわかるのは、
いつになっても変わらないこ
とだけだ。私の恩師である塚越 廣(東京医科歯科大学名誉教授)は、医局員が製薬企業の営業担当と話しているところを目撃すると、「遊ん
でいるんじゃない!仕事をしろ!あんた それでも医者か!」と烈火のごとく怒ったものだった。営業担当とお喋りができるような暇
人には,医局員どころか医師 を名乗る資格さえない というわけである。今を去ること30年以上も前,「利益相反」なんて言葉は影も形もなかった時代の話である。
(2014/12/4)
文献
1) Institute,
of Medicine. Conflict of Interest in Medical Research,
Education, and Practice.
2) Shimazawa,
R., Ikeda, M.: Conflicts of interest in psychiatry: strategies
to cultivate literacy in daily practice. Psychiatry. Clin.
Neurosci., 68 : 489-497, 2014.
3) Harper,
P.S.: Naming of syndromes and unethical activities: the case
of Hallervorden and Spatz. Lancet. 348 : 1224-1225, 1996.
4) 岩井一正: 70年間の沈 黙を
破って
ドイツ精 神医学精神療法神経学会 (DGPPN )の2010年総会に おける
謝罪表明
精神神経 誌.,
113 : 782-796, 2011.
5) The
Wall Street Journal. ロボトミー手術を受けた兵士の戦後.
2013/12/19.
6) Ken,
Kesey: One Flew Over the Cuckoo's Nest. Viking Press &
Signet Books, New York City, 1963.
7) 佐藤嗣道: サリドマ イド薬害の実態
第1回医 薬ビジランスセミナー報告集.
P36-44.
8) 泉
公一: スモン
第1回医薬ビジランスセミナー報告集.
P60-63.
9) Katz,
D., Caplan, A.L., Merz, J.F.: All gifts large and small:
toward an understanding of the ethics of pharmaceutical
industry gift-giving. Am. J. Bioeth., 3 : 39-46, 2003.
10)
日経メディカルオンライン: 弁当くらいで処方は変わりませんー医
師2567人に聞く「学会のランチョンセミ
ナー、必要?ー」,
2014/10/21,