狂牛病の正しい知識 Version 4.1
−あなたも,”ゼロリスク探求症候群”?−
国立犀潟病院 臨床研究部 池田正行(所属は当時)
要約;
1996年3月の英国政府の発表以来,牛海綿状脳症 (BSE: Bovine Spongiform Encephalopathy) は極めてまれながら食物を介して人間に感染し,新型異型クロイツフェルト・ヤコブ病(nvCJD new variant Creutzfeldt-Jakob disease)として発症する可能性が指摘されている.2001年9月末現在,英国では107人のnvCJDが報告されているが,その潜伏期間,これから予想される患者数ともにわかっていない.一方,英国では,BSE自体は種々の防疫策が奏功し終焉の方向に向かっている.またBSEの病原体が食物の中に混ざらないようにする対策は,英国ではすでに1989年から始まっている.2001年9月のBSE第一例の報道以来,日本では,行政当局の不手際が次々に明らかになったが,それでも,各種対策は英国並みあるいはそれ以上となったことは正当に評価されねばならない.現在の日本では,食品を含めて,牛由来の製品の安全性は,欧州諸国以上に確保されている.このような状況下で,牛肉や牛乳を拒否することは,ゼロリスクを求めるあまり,その行動が大きな社会問題を起こすことに気づこうとしない心理,ゼロリスク探求症候群に基づくと考えられる.

ゼロリスク探求症候群に振り回されず,いかに偏らない見方でリスク判断ができるかが,あなたの危機管理センスを示している.豊か過ぎる食生活に慣れきった我々は,知恵としたたかさを失っていないだろうか? ゼロリスクを探求するあまり,平凡な市民生活を破壊していないだろうか? 行政を非難するだけでは決して本質的な問題は解決しない.BSEが日本で1000頭発生してはじめてnvCJDが1人出るリスクと,毎年10万人近くの日本人を殺しているタバコのような,はるかに差し迫った危険とのバランスを考えた上で,我々は自分の生活を組み立てるべきである.

2000年11月からの欧州でのBSE騒動は,BSEを英国特有の問題と決めつけ(英国だけをエンガチョ扱い),対岸の火事視してきたEC諸国の問題点が表面化したものである.日本でも2000年末までは欧州から動物性飼料が輸入されており,その流通,使用に対しても有効な規制がなかった.さらに,日本におけるBSEの発生の可能性も,すでに3ヶ月前の2001年6月のEUの報告書で指摘されていた.これらの教訓と警告を生かせなかった日本の行政当局の責任は重大だが,その過ちの原因を分析せず,ただ対策の遅れを非難するだけでは,また,同じ失敗が繰り返されるだけだ.当世流の言い方を借りれば,危機管理には痛みが伴うことを,国民一人一人が自覚する必要がある.たとえば,2001年9月10日以前に,日本でBSEが発生する可能性を明言すれば,どんな迫害を受けたか,あなたは考えてみたことがあるだろうか?

BSEパニックのような事態に際しては,無責任な報道が更にパニックを煽ってしまうこともまた,欧州での貴重な教訓である.目立たず,興味を引かず,売上にはつながらなくとも,正しい情報,正確な知識に基づいた報道こそ,非常事態下におけるジャーナリスト根性の見せ所である.

注意:BSEに関する個々のお問い合わせには,一切答えられません.励ましのメールをくださった方々には心から御礼申し上げますが,お返事できないことをご容赦ください.このページの紹介,リンクには何の制限も設けておりませんので,事前の承諾は一切不要です.ネットへアクセスのない方のために印刷配布も事前の許可は不要です.

報道機関の方へ:インターネットにアクセスのない方々への正しい情報提供のために,正式な取材には応じたいとは思います.しかし,私の本来の職務との兼ね合いでさまざまな制約がありますので,詳細は電子メールにてお問い合わせください.

この文章の内容は,2001年10月末の時点で,私が集められる範囲内の情報に基づいています.BSE/CJDに関しては,まだまだわからないことも多いのです.ある時は正しいと思ったことが,あとになって間違いだったとわかることもあります.この文章を読む時は,そのことを忘れないでください.

更新記録: 2001/11/6 v 4.1 日本での経緯:失敗を今後にどう生かすかリスクのバランス感覚の大切さを改訂 2001/11/1 v 4.0 ゼロリスク探求症候群を解説
2001/10/25 v 3.5 BSE関連サイト信頼度判定マニュアル生前診断はできないのか?を追加
2001/10/21 v3.4  日本でnvCJDが見つかる可能性について言及

目 次

はじめに:ゼロリスク探求症候群とは?
狂牛病って何でしょう?
人間のプリオン病:クロイツフェルト・ヤコブ病
英国政府の対応の経緯
転換点:1996/3/20英国政府の発表の要旨とその問題点
英国での見通しは?
生前診断はできないのか?
2000年11月:第二次BSEパニック
欧州の轍をそのまま踏んだ日本
これから日本ではどうなるのか?
何をどう食べて生活していけばいいのかゼロリスクの探究?
日本でnvCJDが見つかる可能性は?
報道被害を避けるために
リスクのバランス感覚の大切さ
終わりに:知恵としたたかさの復活を願って
BSE関連サイト信頼度判定マニュアル
より詳しく知りたい方のために
BSEに関する簡単な年表
著者のプロフィール

はじめに:ゼロリスク探求症候群とは?
狂牛病騒ぎの背景には,私が,”ゼロリスク探求症候群”と呼んでいる普遍的な社会病理があります.これは,一言で言えば,”ゼロリスクを求めるあまり,リスクバランス感覚を失い,他人が犠牲になることも理解できなくなる病的心理”です.この症候群は,これまで,しばしば重大な社会問題を起こしてきました.らい病患者の隔離,ダイオキシンの風評被害による埼玉県産の野菜拒否,MRSA保菌者隔離といった問題がその代表例です.ゼロリスク探求症候群の特徴は次の通りです.

1.感染症・中毒といった病気や,食品・飲料水といった生存に必須な物資の安全性を求める行動が根本にあるので,正当化されやすい.例:病気になりたくない,生活必需品を確保したい.

2.リスクを過大に評価する誤解やデマが背景にある.例:らい病は不治の病であり,接触によりうつる,MRSAは凶暴なばい菌だから,保菌者は隔離しなければならない.BSEの牛の肉を食べると必ずクロイツフェルトヤコブ病になる.

3.個人レベルでは影響がないか,ごく小さい.例:らい病患者が隔離されても,自分は痛くも痒くもない.自分一人が牛肉を控えることと,焼肉チェーン店が倒産して大量の失業者が発生することとは直接関係ない.

4.しかし多数派化・集団化によって社会問題化する.例:らい病やMRSA保菌者の隔離問題は言うまでもなく,炭疽菌感染の予防にと,たくさんの健康な人が抗生物質を要求することによって,本当に必要な人に行き渡らなくなるような事態もそうです.

5.ゼロリスク探求により生じた社会問題の責任を,行政やメディアに求める.例:らい病患者の隔離はすべて旧厚生省が悪い.BSEの発生はすべて農水省が悪い.BSEの風評被害はすべてメディアが悪い.炭疽菌用の抗生物質が足りなくなるのは,すべて厚労省と薬品会社の対応が遅いからだ.こういった論理の背景には,自分自身の責任を認めたくない,自分はあくまで無垢な一般市民であると考えたい心理が働いています.そのためには,役所のような,決して反撃してこない公組織は絶好の攻撃対象です.

ゼロリスク探求症候群への対処がやっかいな理由も,以上の特徴で説明できます.すなわち,1の安全を求める行動は非難できないばかりか,しばしば正義を主張します.2の誤解やデマは,正しい情報へのアクセスを確保することにより,ある程度対処できますが,社会的なパニックの時は,間違った情報の方が大量に出回り,正しい情報が埋もれて見えなくなってしまいます.また,パニックの時は行政機関が非難の対象になっていることが多く,そこからの情報が信用されません.数少ない中立機関が情報発信すると,各方面からの問い合わせが殺到して,機能が麻痺してしまう恐れもあります.3,4の,個人の行動が社会問題を引き起こすということは,理屈ではわかっていても,1の安全を求める行動が優先して,しばしば抑制が効きません.このため,5の,行政やメディアといった組織を非難の対象にして,個人の責任を問わないという逃げ道が作られます.


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狂牛病って何でしょう?
騒ぎの発端:1996年3月20日,英国政府は,狂牛病(正式には牛海綿状脳症 BSE:Bovine Spongiform Encephalopathy)が,極めてまれに人間にうつり,新型異型クロイツフェルト・ヤコブ病(nvCJD new variant Creutzfeldt-Jakob disease)となって発病する可能性があることを認めました.それまで,人間にはうつらないとしていた英国政府が一転してうつる可能性を認めたのですからヨーロッパを中心に大きな混乱が起こりました.日本でも英国の牛,羊を原料とした食品,医薬品の安全性を心配する声があがりました.

1)BSEにかかった牛はどうなるの?:BSEは,1986年に英国で発見されました.BSEにかかった牛は脳を冒され,歩くこともままならなくなり死亡します.BSEにかかった牛の脳を顕微鏡で見ると,非常に細かい穴がたくさんあいたように見えます.この様子がスポンジに似ているので,海綿状脳症と呼ばれるのです.

2) BSEはどこにある?:BSEは圧倒的に英国に多く(BSE全体の98%以上),英国だけでも18万頭見つかりました.その他のヨーロッパ諸国でも見つかっていますが,アイルランドで748頭,ポルトガルで605頭,フランスで443頭と,英国に比べてその数は,ははるかに低くなっています.

3)BSEの原因は?:プリオンとよばれる特殊な蛋白が病原体といわれています.プリオンは冷凍にも料理の熱にもびくともしない,たちの悪い病原体です.羊にはBSEとよく似たスクレイピーという脳の病気が200年以上も前からありました.このスクレイピーもプリオンが原因です.英国では,1970年代後半から1980 年代はじめまで,羊の死体を牛のえさにしていました.ですから,BSEの大元はスクレイピーにかかった羊の組織(骨と肉)が混じっていたえさ(ボウンミール: bone meal 肉骨粉)を食べたために発生したする説があります.一方,スクレイピーとは全く別に突然変異で牛にBSE型のプリオンが生じたとする説もあります.しかし,いずれにせよ,BSEに感染した牛(発症前の潜伏期間中)の神経組織や内臓を加工した動物性飼料(肉骨粉)を感染源に,食物連鎖で広まっていきました.あくまで動物性飼料(肉骨粉)を介してうつるのであって,生きている牛から牛へと移る病気ではありません.異常プリオンで汚染された飼料を食べてから発症するまでの潜伏期間は2年から8年と言われています.

プリオンは正常なものと異常なものがあり,異常なプリオンだけが感染性を持っているので,プリオン=病原体という言い方は厳密には正しくないのですが,とりあえず,そう理解しておいてください.

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人間のプリオン病:クロイツフェルト・ヤコブ病

BSEが人間にうつるかどうかを考える前に,BSEに似た人間の病気のことを知らなくてはなりません.人間にも海綿状脳症があります.発見した人の名前をとってクロイツフェルト・ヤコブ病(Creutzfeldt-Jakob disease:CJD)と呼ばれています.CJDは50才代半ば以降に多く起こります。主な症状は痴呆で,病気が始まってから1年以内に死亡します。CJDも異常プリオンが原因で起こります.しかし,人間のCJDは動物の肉を食べて起こるものではありません.

スクレイピーは200年以上昔からありました.人間はそれよりずっと昔から羊の肉を食べてきました.でも羊の肉を食べてCJDになった人はいません.CJDの9割は原因不明です.あとの1割前後は遺伝性あるいは発症前のCJDの人の脳組織(例:脳硬膜,下垂体から抽出した成長ホルモン)を治療目的に使った場合(医原性)に起こります.
スクレイピーがある国でも,ない国でも,羊を食べようと,食べまいと,世界中どこでもCJDの発生率は同じでした.スクレイピーと人のプリオン遺伝子も異なります.したがって羊のスクレイピーは決して人に移らないのです.これを”種の壁 ”と呼びます.同様に,人が牛を食べても,BSEは人に移らないとされてきました.ではなぜBSEが極まれながら人間にうつるといって大騒ぎになったのでしょうか?

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英国政府の対応の経緯

英国政府は,スクレイピーと同様,BSEが人間にうつることはないと考えて,1986年にBSE が見つかったあともただちに厳しい対策はとりませんでした.もちろん,BSEの症状がはっきり出た牛はすぐ殺されて,食べ物にはならなかったのですが,BSEの潜伏期間(病原体が体に入ってから,病気の症状がはっきりするまでの期間)まで考えた対策はかなり遅れました.1988年7月になってはじめて,たとえ健康そうに見える牛でも,牛の組織を他の牛の餌にすることを禁止し,牛の間で食物連鎖を断ち切りました.そして,1989年末になってようやく,すべての牛に関して,脳,脊髄,扁桃,脾臓,胸腺,腸といった内臓を人間の食用にすることを禁じました.これらは,もしその牛がBSEにかかっているとすれば,異常プリオンを含む可能性のある内臓です.

ここで問題となるのはBSEの潜伏期間が2年−8年と長いことです.したがって,見た目は何ともなくても,実際には牛の体の中に異常プリオンがいて,その牛が食用になる可能性はあるのです.特に1989年末の,内臓肉食用全面禁止以前は,異常プリオンがたくさん潜んでいる内臓が人間の食物になっていた可能性があります.96年3月に,英国政府が,BSEが人間にうつってCJDが発生した可能性を認めたのも,特に1989年末以前の食品についてです.

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転換点:1996/3/20英国政府の発表の要旨とその問題点

1996年3月20日の英国政府の発表の要旨は次の通りです.

ここ10カ月で10例の新しい型の非定型的CJD(nvCJD)が発生した.この10例の非定型的CJDはこれまで知られていたCJDとは,非常に異なった症状や脳の変化を示しているので,これまでとは違った新たな原因でCJDが起こったのかもしれない.その新たな原因として,1989年末の牛の内臓食用禁止令以前に,BSEにかかった(潜伏期の)牛の内臓を食べたことによって, nvCJDになった可能性が否定できない.したがって,BSEの潜伏期の可能性のある,2歳半以上の牛を,特殊な施設で屠殺する.この対策により,英国牛肉はさらに安全となるので,牛肉を食べてCJD になる確率は極めて低いと考えられる.

このように,農業大臣が愛娘とともにハンバーガーをぱくつく写真まで新聞に掲載し,BSEは人間にうつらないと否定し続けてきた英国政府が,一転して人間への感染の可能性を認めたものですから世界中が大騒ぎになりました.

その後,nvCJD症例と動物実験の両面から研究が進みました.その結果,nvCJDはBSEが人に感染したものである可能性を示す研究結果が出てきました.(しかし,まだ完全にそうとは決まっていないことを頭の片隅に残して読み進めてください.終わりのほうで,どんでん返しの可能性をお話します).原因として疑われているのは,1989 年末の牛の内臓食用禁止令以前の食べ物です.特に,禁止令以前のハンバーガーなどの肉製品への脳や脊髄の混入が問題視されています.1989 年以後も脊髄の混入についてはかなりルーズで,特に脊椎骨周辺の肉を取る時の操作に問題があり,1995年に至るまで脊髄の混入があった可能性が指摘されています.(*)

*Inquiry blames missed warnings for scale of Britain's BSE crisis. Nature 2000;408:3-5

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英国での見通しは?

一連の研究により,nvCJDはBSEが人間に感染した病気であることはほぼ確実になりました.1996年3月での患者数が10人で,それから5年半たった2001年9月の時点で107人ですが,この増加率が何を意味しているのかよくわからないのです.というのは,平均潜伏期間がわからないので,患者数の爆発的増加があるのかどうか,あるとしたらいつなのかがわからないのです.

この疑問に答えるための大がかりな調査が98年9月より英国で行われました.CJD患者では異常プリオンは脳ばかりではなく,虫垂でも見つかることがわかったので,英国全土の病院で保存してある切除虫垂の標本から異常プリオンを検出する作業が行われました,いつの時期にどの程度の異常プリオン保因者がいたのかという数字から,nvCJDの患者総数,平均潜伏期間も推定できるのではないかと期待されましたが,その後発表された結果では,4000例を検索したけれども,異常プリオン陽性者は一人もいなかったとのことで,保因者の頻度は未だ不明のままです.

生前診断はできないのか?:
プリオン病の診断には動物、人のいずれでも生前診断することはできません.死亡後に解剖して脳を調べて,異常プリオンを検出しなければなりません.発病する前の潜伏期の段階で異常プリオンを検出する生前診断は、BSE、nvCJDのいずれでも現在のところ不可能です。

扁桃,虫垂など,脳以外の組織にも異常プリオンが検出されることがあると報告されていますが,プリオン病にかかったすべての動物,人の扁桃,虫垂で,必ず検出されるわけではありません.脳に異常プリオンがたまっていても,扁桃や虫垂にたまらなければ,扁桃や虫垂を生前に調べる意味がないわけで,確実に診断するには,プリオン病にかかった場合,異常プリオンが必ず見つかる臓器,すなわち脳を調べなければならず,脳を調べるためには,非常に特殊な場合(生きている人間の脳を一部だけ取り出して調べる生検)を除いて,死後取り出すしか方法がないのです.

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2000年11月:第二次BSEパニック
この騒動は,11月はじめに,フランス国内のいくつかのスーパーマーケットで,誤ってBSEに感染した牛の肉が売られたことをフランス政府が認めたことが発端となっています.この事件だけでもフランス国民の間にパニックが広がり,牛肉の販売量が6割も減りました.

これらの事件の影響は当然フランス国内にとどまらず,周辺国にも波及しました.ロシアとイタリアはフランスからの牛肉輸入を停止,スペインとハンガリーは,フランスとアイルランドからの牛肉の輸入を停止しました.こういった動きはEU全体の問題に発展して,動物性飼料の暫定的な禁止にまで至りました.2001年1月には,ドイツで混乱の責任をとって閣僚が二人も辞任し,肉牛40万頭を処分することになりました.

2000年末からの欧州各国の反応は,それまで,BSEを徹底的に対岸の火事と決め込んでいた政府の姿勢の反動が強く現れた結果です.典型例は,二人の大臣が更迭されたドイツでした.96年3月,英国でパニックが勃発した時,ドイツはEC内でも英国牛肉全面禁輸の急先鋒だったのです.

その時,謙虚になって,他山の石と考え,単に英国の牛を拒否するだけでなく,防疫処置を学び,国内での検疫体制を整えていれば,これほどの大騒ぎにはならなかったでしょう.というのは,BSEの原因が,動物性飼料(肉骨粉)を使っていたという,英国固有の事情だけではない可能性があるからです.つまり,動物性飼料を使っている国ならば,どこでも起こる可能性があると考えべきだったのです.

欧州の轍をそのまま踏んだ日本

日本にも2000年末までは英国を含む欧州諸国から動物性飼料は輸入されていたのですから(1),日本でもBSEが発生する可能性が研究者の間では考えられていました.しかし,BSEが発生する前に,研究者が単独でBSE発生の可能性を指摘すれば,社会の混乱を起こすことは必至でしたので,行政や国民からの要求や合意なしには,公にそのような発言はできませんでした (2).私自身は,すでに96年から,このホームjページを維持管理し,日本でのBSE発生に備えてきましたが,私はBSEの研究者ではなく,一介の内科医なので,私の声は,行政にも,研究者にも届きませんでしたし,今も届いていません.まあ,これだけ役所の悪口を言っていれば,無理もないことですが.

日本の行政当局が国内でのBSE発生の可能性を事前に認めるチャンスは2回ありました.第一回目は,2000年11月,ドイツ・フランスを中心に起こった,第二次欧州BSEパニックの時です.日本と同じように対岸の火事視していたドイツで,二人の閣僚が辞任する事態になったのですから,より確率は低いと思われるが,日本も他人事ではないという方針を打ち出せたのです.稀ながらも,もし起こったら大きな混乱と被害を引き起こす,そういうリスクに対する危機管理体制を打ち立てるために,東海村の臨界事故や地震や噴火の防災が大いに参考になったでしょう.

第二回目は,EU(ヨーロッパ共同体)が,日本でのBSE発生の可能性を指摘した報告書を出そうとした時です. 2001年6月,日本で最初のBSEが報告される3ヶ月前のことでした.この報告書に対し,農水省はこともあろうに待ったをかけました.EUの調査に協力しないと明言したのです.(Mad Cow Study Unsettles Japan Stephanie Strom New York Times Service Thursday, June 21, 2001.農水省の永村武美畜産部長は、”EUによる感染調査では、日本は感染リ スクが高い国と評価される可能性が出てきたことから、調査の続行を断った”と明言しました)

この時,EUの報告書をありがたい忠告と受け止め,格好の”ガイアツ”として利用し,日本にもBSE発生の可能性はあること,しかし,欧州での教訓と,日本の優れた獣医学と防疫体制でコントロールは十分可能であることを広くアピールすべきだったのです.BSEが日本で発生したらという想定で演習をやっておけば,農水省は,国内からはもちろん,世界中から絶賛されていたでしょう.実際に,2000年3月に発生した日本での口蹄疫(BSEが接触感染しないのに比べて,口蹄疫は接触だけで感染する)のコントロールの手際よさは,日本の獣医学と家畜感染症の防疫体制が世界でもトップレベルにあることを示しました.何しろ獣医学では伝統的な力のある英国があれほど苦戦した口蹄疫を,わずか3ヶ月足らずで完全に制圧し,その3ヶ月後には口蹄疫清浄国に復帰してしまったのですから.日本の家畜衛生防疫活動は,まさしく金メダルものなのです.日本の行政の現場には,このような優れた面もあることも理解してください.

”ガイアツ”があれば,事前の可能性指摘という”賭け”に対する畜産業,流通・小売業や農水族といった名だたる方面からの圧力も抑えられたでしょう」.農水省は危機に備える絶好のチャンスを逃したのです.その後,2001/9/10に日本でBSE第一例が報告され,行政の失敗が暴露され,大きな社会的混乱が起こったのはご存知の通りです.

前述の永村部長は,この日,国内BSE第一例発表という,不名誉な,しかし自業自得の記者会見を行なう羽目になったのですが,その席でも,「EUの基準はいわば古い物差し。わたしどもの評価基準の方が整合性がある」と,危機管理失敗の証拠を目の前に突きつけられた現場でも,その失敗を認めようとしませんでした.このくらい面の皮が厚くないと,役人はやってられないという証拠も見せてくれたわけです.

その後の混乱で,日本の畜産業と,関連する流通・小売業は,大きな打撃を受けました.管轄する産業を守ろうとしてリスクに目をつむり危機に備えなかった.その結果,産業を守るどころか大きな損害を与えてしまった.英,独,仏を含めて多くの国が同じ失敗を繰り返してきた前例があるのに,その前例から何ら学ぼうとしなかった.そのような罪も明らかになりました.

1.農林水産省生産局: 第3回牛海綿状脳症(BSE)に関する技術検討会の概要:農林水産省報道発表資料(2001年3月14日)
2.山内一也 日本での狂牛病発生に万全の対策を. 科学 71, 1403-1405. (2001).

これから日本ではどうなるのか?:
”安全宣言”は,これからどんどん見つけますよという水際作戦宣言:2001年10月18日からは,(屠殺して)市場に出す牛については,全例,屠殺時に脳の一部を取り出して異常プリオンの有無を検査します.そして陰性を確認した後,初めて市場に出します.”安全宣言”とは,市場に,異常プリオンを持った牛由来の製品を出さないという水際作戦のことであって,日本からBSEがなくなったということでは決してありません.安全宣言とは,従来なら見過ごしていたであろうBSEをこれからどんどん見つけますよとういことなのです.このところを誤解している人が,役人にも政治家にも,そして一般市民にもたくさんいます.そういう誤解が,今後BSEが出てくるたびに,またまた”役所の嘘つき”の嵐を引き起こします.だから,”安全宣言”なんてノーテンキな名前は止めて,”水際作戦開始宣言”という勇ましいキャッチコピーにしておいた方がいいんです.

2001年10月18日から行われている水際作戦では,二段階の検査が行われます.なぜ二段階にするかというと,一段階で済むような完全無欠の検査はないので,お互いの欠点を補い,特長を生かすように2種類の検査を組み合わせる必要があるからです.第一次検査では,疑わしいもの(擬陽性)までもチェックして,漏れがないようにします.そのあと,疑われたものに対して確定検査をして,真の陽性かどうか決めます.

では今後,日本ではどのくらいBSEが見つかってくるのか? 正確なことは私にも全くわかりませんが,いくつか判断材料があります.EUの報告書は日本をフランスと同じリスクとしています.その根拠ははっきりしませんが,それを鵜呑みにすれば,最悪の場合は,フランスと同様,400頭余りの発生を覚悟せねばなりません.一方,英国から輸入されていた肉骨粉の量は数百トンと言われています.大部分はニワトリの餌と肥料用で、ウシにはほとんど用いられていなかったと言われていますが,仮に英国から輸入された分が全部もぐりで牛の飼料になったとしても,3万トン以上を輸入していたフランスやドイツと比べれば桁が違います.ですから,日本での発生は,最悪でも100頭未満と予想します.それ以上にはならないでしょう.逆に言えばこれから数十頭見つかる可能性があるということです.しかし,強調しておきたいのは,この数字は,今後の我々の食生活のリスクが高まるという意味ではありません.今までなら見過ごされていたであろうものを見つけ出すだろうということです.日本で危険が最も高かったのは,皮肉なことに,2001年9月10日,日本での初めてBSEが見つかった日よりも以前だったということは,ここまで読んでいただいた皆さんにはご理解いただけると思います.

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何をどう食べて生活していけばよいのか?:ゼロリスクの探究?

まずはじめにはっきりさせておきたいことがあります.それは昔の危険性と,今の危険性をごちゃまぜにして考えないことです.英国では,1988年からの防疫対策の結果,BSEの数は94年(月2000頭)をピークとして確実に減っています.また,1989年以降は,異常プリオンをたくさん含んでいる可能性のある内臓肉を,人間の食べ物に使うことが禁止されました.2000年11月以降,英国以外のEU諸国でもBSE監視態勢が厳しくなっています.

上述のように日本の役所の危機管理能力は目を覆うばかりですが,2001年9月にBSE第一例が見つかってからの日本での検査体制と牛肉流通制限はむしろ十分すぎるくらいになっていますから.あなたのいつも利用している肉屋にBSEに感染した肉が出回るという確率はゼロに近いという大前提を納得してください.はるかに危険の少なくなった現在,牛肉,牛由来の製品を一切拒否するというのは現実的とは思えません.

ねずみを使った実験では,BSEの肉を食べさせてBSEがうつったという報告はありません.研究者が言えるのはここまでです.それでも,”もし万が一牛肉を食べてうつったらどうするんだ”と,理屈では解消できない不安を消してくれという人が必ずいるものです.しかし,人体実験ができないのですから,100%安全を保証するのは理論的にも不可能です.こんなことがわからないのですか?自分の仕事のことを考えてみてください.一昔前の証券会社のセールスマンじゃあるまいし,100%安全を保証できるものなんてありますか?自分の判断が絶対に間違いない保証は?自分では絶対にできないものを他人には要求するのですか?

肝心なのは,いかに偏らない見方でリスク判断ができるかどうかです.わかりやすいように,とんでもない考え違いを教えてあげましょう.我々の周りにあって生命を脅かす環境リスクのうち,最大の物は直接・間接喫煙です.だから,禁煙席のないレストランで,BSEを恐れて野菜サラダを食べる方が,全席禁煙のレストランでビフテキを食べるよりも,生命の危険は,数百倍,数千倍も高いのです.

人口5700万の英国で発生したBSEは18万頭にも上ります.そしてnvCJDによる死者は2001年9月末現在で107人です.仮に,日本でのBSEの発生が1000頭(!)になったとして,人口1億2000万の日本全体で1人の死者しか出ないことになります.小学生でも計算できるこのリスクと,例えば,年間9万5000人もの日本人が直接あるいは間接喫煙で死んでいる喫煙リスクとのバランスを考えて,あなたは自分の生活をどう変えようというのでしょうか?

特に感染症に関して,学問的に根拠のない憶測や不安に基づく行動が,らい病患者の隔離やMRSA保菌者への差別を生んだ事実を,忘れてはいけません.牛肉や牛乳が拒否された結果,まじめに畜産業に取り組んできた人々,流通業,小売業の人々が大変な苦しみを強いられています.

ちなみに,これまでに報告されたnvCJD患者の病前の食生活で,特に変わった点はありませんでした.また,患者の職業にも特別のリスクありませんでした.つまり,牧場で働いているとか,食肉取り扱い関係者が多かったとかいうことはありませんでした.また,1980年代から,英国には常に数万人の日本人が住んでますが,在英経験のあるの日本人に関して,英国でのnvCJDの発生を受けて1996-97年に厚生省が全国的にCJDの調査を行っていますが,英国在住経験と密接に関連したCJDの発生は確認されていません.

日本でnvCJDが見つかる可能性はあるか?:逆説的に,”ある”
BSEがnvCJDの原因だとすれば,前述のように,nvCJDが出る可能性は限りなくゼロに近いわけです.しかし,私は,BSEがnvCJDの原因ではないとする論文(British Medical Journalという,世界的権威のある医学雑誌の2001年10月13日号に載りました)を読んでから,日本でもnvCJDが見つかるのではないかと思うようになりました.この謎々のような判断の根拠を以下に述べます.
”nvCJDは,BSEと関係なく,新しい病気でもなく,BSE発生以前からあった病気である.それが,BSEが人にうつるとしたら大変だという気持ちで医者が診療することによって,それまで見逃されていた病気がどんどん見つかるようになったに過ぎない”.この論文は,そう主張しています.疫学的データと動物実験の分析の両面から,筋の通った論旨展開です.実は,新しく出現したように思われた病気が,実は新しくなく,ただそれまで気づかなかっただけだったという例は枚挙に暇がありません.特に,nvCJDのように,脳を特殊な方法で詳しく調べないと診断できない病気はみんなそうです.アルツハイマー病,パーキンソン病,ハンチントン病,そして(古典的)クロイツフェルト・やコブ病も.発見者の名前が記念してつけられたこれらの有名な病気も,実はこれらの偉人たちが生まれる前から,存在したのです.
もしこのシナリオが正しければ,BSEの発生数とは全く関係なく,日本でもnvCJDが見つかる可能性があります.そして見つかる時期は,日本でもBSEパニックによって,医者もnvCJDを恐れるようになった時期ではないか.そう,例えば2001年-2002年.BSEとnvCJDが関係ないとすれば,むしろBSEパニックが高まった時期にこそnvCJDが見つかりやすいのです.どうです,私が,逆説的に,近いうちにnvCJDが日本で見つかるかもしれないと予想するからくりをわかっていただけましたか?
そして,もし,日本のBSE数が一桁あるいは二桁の時期に,英国在住歴のない日本人にnvCJDが見つかったとすれば,そのこと自体がまた,BSE原因説への有力な反証になるのです.あなたは,サイコロを10回投げて10回とも同じ目が出たら,偶然だと思って,のほほんとしていますか?そうじゃなくて,”イカサマだ!!”と思うでしょ.それと同じ事で,もし,近い時期に,英国在住歴のない日本人にnvCJDが見つかったとすれば,ゼロに近い確率でしか起こらないことが起こったことになりますから,BSE原因説も,このサイコロと同様に疑われなければならないのです.
一方,nvCJDの発生の有無について,しっかりした疫学的データを得るために,スコットランドに住んでいた私のようなハイリスクグループ(BSE原因説に基づけばの話ですが)をフォローしてもらいたいのです.プライバシー云々の声があがるかも知れませんが,少なくとも私は,真実を知るために協力したいと思います.

報道被害を避けるために:
BSEのような感染症の問題はセンセーショナルな反応につながりがちです.報道被害も大きくなります.役所が大馬鹿者だから,何を言っても許されるということではありません.2000年11月の欧州の騒ぎでも,多くの畜産業者が資産も商品の販路も失う結果となっています.96年の第一次BSEパニックの時,アメリカでは,ビーフバーガーはもう食べないと言ったラジオのアナウンサーが畜産業者から訴えられて敗訴しています. 日本でもいい加減な測定の結果の,これまたでたらめな報道によって,埼玉県産の野菜がひどい風評被害を被ったのも,記憶に新しいところです.
牛由来の製品をすべて危ないとする報道姿勢がどのような社会的悪影響を及ぼすか,メディアの人々は考えるべきです.また,牛由来の製品で,あれが危ない,これが問題だと,根拠もない憶測を垂れ流す前に,せめてWHOの見解(英語,下記参照)ぐらい勉強してもらいたいものです. BSEよりはるかに高い健康リスクであり,副流煙で非喫煙者の命も脅かしているタバコの広告を,日本のメディアが拒否したというニュースは寡聞にして知りません.そんなメディアが,牛肉のリスクを論じるとは,笑止千万.

ネット上でも既存のメディアでも,さまざまな情報が氾濫していますが,大部分は便所の落書き同様の質で,信頼できる情報はごく一部です.その見分け方を下記に示しました.

BSE関連記事信頼度判定マニュアル:
下記の条件が揃っていることが,その記事やウェブサイトの情報の質,信頼度の判断基準となります.どの条件も特別なものではなく,当たり前のものです.それだからこそ,以下の条件さえクリアしていない記事やサイトは全く信用できません.これらの条件を考えれば,現在,牛肉が危険だとしている書籍,記事やサイトには,すべて便所の落書きと同程度の責任で書かれています.読むだけ無駄なばかりではなく,らい病患者やMRSA保菌者の隔離の手助けをしてきたのは,このような便所の落書きだったということを忘れてはなりません.なお,個々の著作については,コメントしません.なぜなら,便所の落書きを消して回るほど,私は暇ではないからです.

1.著者が匿名,仮名でないこと:最低限の責任です.匿名,仮名のサイトの信頼度は問題外です.でたらめな情報を出して,畜産農家から訴えられるのが怖いので,名前を出せないのです.

2.作者の背景,特にBSEへの関わり合い,なぜ情報提供を行なっているかが明らかになっていること:特定の利益団体に所属したり,あるいは特定の団体を攻撃する立場にないかどうか.偏らない判断,意見のための必要条件です.

3.情報源をはっきりさせていること:あいまいな記憶をもとに書いたり,わざと違えた引用の仕方をしていないことの必要条件です.

4.著者が生命科学・獣医学・医学のいずれかの教育を受けていること:プリオン病,人畜共通感染症という,特異な病気を理解し,解説する能力が必要です.

5.著者が英語の医学・生命科学論文を読んで解説できる力を持っていること:これも信頼度の高い情報を提供するための必要条件です.なぜなら,BSE関連の重要な情報源の多くが英語であること,その多くが日本語に翻訳されていないこと,そして残念ながら日本語の情報に誤りが多いからです.

リスクのバランス感覚の大切さ:

英国でのBSEは18万頭で,nvCJDの死者は2001年9月末現在で107人です.人口1億2000万人の日本で,仮にBSEが1000頭出たとして,nvCJDがようやく1人.我々は,いろいろなリスクと背中合わせで生活しています.その中でもBSEはほとんどゼロリスクに近いのに,なぜ多くの人々はリスクのバランス感覚が狂った行動に走るのでしょうか?

例えば,日本では毎年1万人以上が交通事故で死んでいますが,自動車をこの世から無くしてしまおうとは誰も主張しません.しかし,そういう馬鹿げた主張をしない人も,牛乳は飲まない.車の場合には,対向車線からダンプカーが突っ込んでくるような,自分ではコントロール不能なリスクもあるわけですが,そのリスクもふまえて乗るという理性的な行動ができる.これは車の他に代替手段がないからです.開き直りですね.しかし,BSEの場合,交通事故と比べ物にならないくらいリスクが低くても,そのリスクを冒そうとせず,豚,鳥,魚などの代替手段が容易に手に入るから,そちらへ逃げてしまうのです

また,タバコは年間9万5000人もの日本人を殺しています.自分は非喫煙者だから関係ないというのは,大きな間違いです.喫煙者が吐き出す副流煙には,発癌物質を含めた有害物質が,喫煙者自身が吸い込む煙よりも高濃度に含まれているのです.その結果,タバコで殺される日本人の非喫煙者は年間数千人以上に上るでしょう.ですから,非喫煙者がタバコで殺される確率は,BSEの数千倍以上です.しかし,禁煙席のないレストランに文句をいわない非喫煙者でも,そのレストランで牛肉料理を避ける.また,子供に間接喫煙させている親が,学校給食に牛肉を出してくれるなという.どちらも格好の漫画ネタです.

こうして,リスクバランスを失ってしまうのが,ゼロリスク探求症候群です.この症候群の特徴は,自分自身に正義があるとの幻覚妄想症状と,自分が差別や風評被害の加害者であることを忘れる健忘症状です. 他人の労力と犠牲のもとに,どんなリスクもゼロにしたい,あなたも,そんなの一人ですか? 狂っているのは牛ではなく,人間の方ではありませんか?

終わりに:知恵としたたかさの復活を願って
ゼロリスク探求症候群は,日本が豊かであることに起因します.ノミ,しらみと共存していた時代,赤痢や腸チフスが当たり前だった時代ならば,限りなくゼロに近いnvCJDのリスクをこれほどまでに人々は恐れなかったでしょう.10年前に私が住んでいた当時のスコットランドでは,BSEが猖獗を極めていました.しかし,英国でも貧しい地域で,失業率も10%をはるかに超えていたスコットランドでは,牛肉が最も手軽で安いタンパク供給源でした.魚はもちろん,鶏肉も豚肉も牛肉に比べて割高で,貧乏留学生の私も含めて,経済的に余裕のない人々は牛肉を食べないというわけにはいかなかったのです.1996年の第二次BSEパニックの時も,スコットランドでは,安くなった牛肉を大量に仕入れて冷凍しておく,したたかな連中がいました.
現在の日本は不況とは言え,失業率は当時のスコットランドの半分以下,健康食品や意味不明な抗菌グッズとやらがもてはやされ,汚いもの,不潔なものをすべて排除しようとする余裕のある奇妙な豊かさ.牛肉を食べずとも十分生活していける豊かさが氾濫しています.しかし,その豊かさと引き換えに,リスク感覚のバランスと,生活をやりくりしていく知恵を失ってしまいました.かつて我々も持っていたはずの,そういった知恵としたたかさを,このページの勉強を通して取り戻していただければ幸いです.

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より詳しく知りたい方のために 

1.BSE騒動の本質:社会現象としてのBSEパニックの評論.内容は以下の通り:対ゼロリスク探求症候群戦略,リスクコミュニケーションの重要性,失政をどう生かすか,農水省がバカだというあんたはもっとバカ,ゼロリスク探求症候群の増悪因子,なぜ多数派はいつも間違うのか?,役所は出来の悪い子供

2.生命科学に興味ある人のためのプリオン病の解説(池田)で,たんぱく質であるプリオンがなぜ経口感染するかという疑問への答えも含めて,生命科学の観点からよくある質問に答えています.

3.BSE/CJDに関する最近の知見(池田)は,専門の研究者やお医者さん向けです.

4.読者からのお便り:励ましメール以外は即ごみ箱行きです

5.プリオン病とはどんな病気か:私が私淑する山内一也先生の総説です.学問的に正確な内容,短くまとまっていて非常にわかりやすい.

6.リスクを市民に伝達する役目を負うすべての専門家へ:地震・火山防災のサイトの一部なのですが,リスクコミュニケーションの技術の勘所をわかりやすく解説しています.BSEのリスク伝達でも,大いに参考になりました.

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BSEに関する簡単な年表
200年ほど前:スクレイピーの発見
1920:クロイツフェルト・ヤコブ病の発見
1970年代後半:英国で牛の餌に羊の内臓,骨を使い始めた
1980年代はじめ: 海綿状脳症の原因がプリオンではないかと提唱された
1986: BSEの初めての報告
1988.7 : 牛の内臓を牛の飼料にすることを禁止
1989.11: 英国で特定の牛の内臓(SBOs)を人間の食物の材料に使うことを禁止
1990:第一次BSEパニック.英国政府はBSEの人への感染の可能性を真っ向から否定.
1992: BSEの発生数が月3500頭とピークになった.それ以後減少.
1996.3.20:英国政府がBSEが人間にうつる可能性をはじめて公式に認めた.この時のnvCJDの患者数は10人
1997.9:nvCJDとBSEの類似性が,プリオンの生化学と神経病理学の両面から指摘された.
1998.9.nvCJDの患者数が27人となった.切除虫垂保存標本における異常プリオンの検索が英国全土で始まる.(その後4000例調べても陽性例はなかったと報告あり)
2000/10/26.BSEスキャンダルの最終報告書がまとまった.
2001/9:日本でのBSEの報告
2001/9/28現在:英国でのvCJD患者総数107人.
2001/10/13:英国医学雑誌 (British Medical Journal)に,nvCJDの原因はBSEではないとする論文が掲載された

著者のプロフィール: 
1956年,東京は神田の生まれ,現在は新潟県中頚城郡大潟町(なかくびきぐんおおがたまち)在住の内科医.内科専門医,ACP Member (アメリカ内科学会会員),神経学会専門医,医学博士.人を診るのが商売であって,病気を相手にするわけではないから,”専門”というものはないが,脳の感染症・中毒,痴呆,重度精神遅滞の診療経験が長い.現在の仕事は,上越にある精神科・神経内科の病院で,痴呆,精神障害,重度精神遅滞の患者さんの診療の傍ら,病理解剖のオンコール,月6回の当直,リスクマネジメント部会長,職員検診もこなす,コンビニ開業医の院内版である.そんな田舎医者がここまでBSEにこだわるのには理由がある.BSEが英国で猖獗を極めた1990−92年の2年間(年にじゃなくて,月に!!3000頭発生),スコットランド(英国の中でもnvCJDの発生率が最も高い地域でもある美しい国)はグラスゴーでごく普通の食生活をしていた既往歴の持ち主で,日本人の中ではnvCJD発症のリスクが最も高いグループに属するからである.更にBSEへのこだわりを支えているものとして,一つは,多数派(例えば牛肉拒否派)への従属に対する生来の嫌悪感(家人によれば単なるあまのじゃく),もう一つは,常に,信頼できるデータから算定したリスク・ベネフィットのバランスに基づいて行動し,決して不安感だけに左右されないという,医療人としての誇りがある.このページは1996年,英国政府がBSEのヒトへの伝播を認めた時に,在英邦人向けのBSE日本語情報源として開設され,以来5年半にわたって,著者一人の手で管理運営されてきた.

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