書評を読む

下記は認知症の教科書の書評である。評者は、認知症の在宅診療に関わっていると思われるお医者様である。

 『○○県の農村部に住むコウキチさん(88歳,男性)は中等度の認知症があり,私の訪問診療を受けていた。小一時間ほどの野山の散策が毎日の日課だった。あ る日の夕方に長女さんから診療所へ電話があった。コウキチさんが帰ってこない。懸命な捜索が続けられたが,3日後に数km離れた池の中で無残な姿で見つ かった。「認知症になっても安心して楽しく生活できる社会づくり」は急務であり,本書がその道しるべとなると確信している。』

コウキチさんは、「認知症になっても安心して楽しく生活していた」のではないのだろうか?評者はそのコウキチさんを医師として支援していたのではないのだろうか?
もしコウキチさんが朝布団の中で死んでいたら、それを「無残」と言うだろうか?
もしコウキチさんが畑仕事から帰ってこなかったので、探してみたら畑で事切れていたとしたら、それは「無残」だろうか?
毎日の日課だった野山の散策で、今日はちょいと気分を変えて、子供の頃遊んだあの池まで行ってみよう、そう思いついて、水面に映った綺麗な月を取ろうとして亡くなった。それが「無残」なのだろうか?

コウキチさんの遊び心を消し去ってしまうのだとしたら、そんな教科書は要らない。私はそう思う。

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