19年前の書評
駆け出しの医者は,言葉の形ではないにせよ,”どうせ若くて健康なあなたには,私の気持ちなどわからないでしょう”というメッセージをしばしば患者から受け取る.まともな医者というのは,そういう感受性を持っている.著者はその感受性が強すぎて,健康や若さという後ろめたさに耐え切れず,うつ病を患った.
しかし,大病を患ったばかりでなく,いまや齢五十を越え,命の終わりを他人事と考えなくなった著者は,もう,その後ろめたさを感じる必要のない安全地帯に逃げ込んだ.本書には,そういった安心感が随所に見て取れる.私も,もう少しの辛抱だ.
「事此処に至れり」という言葉を検索していたら自分の記事(四十七歳の抵抗)が検索リストの4番目に入っていた。そこには「南木佳士 急な青空」への言及があった。えっ、こんな本読んだっけ?ああ、そう言えば と思ってアマゾンの当該ページに行くと、書評にはどこかで読んだ文章が。文庫本になったのは2006年3月だから、この2003年6月4日付けの書評は単行本読後のそれだ。
そうだ、ネット上で取り上げられていたので、早速注文した覚えがある。19年前の自分の書評を読んで、著者に随分と共感を覚えていた様子がわかる。上越の国立病院で卒後20年を迎え、臨床医としての限界を感じていた。そうして製薬企業への面接を8社受けた。けれど、ことごとく落ちた。それまでずっと臨床しかやってこなかった四十七のおっさんなんて、会社員としては絶対に使い物にならないから、採用される可能性なんか限りなくゼロに近いことがわかったのは、ずっと後になってからだった。
しかし、世の中棄てたもんじゃなくて、棄てる神から拾う神を教えて戴いた。8社目の面接で「ウチじゃ無理だけど、厚労省なら医者が足りなくて困ってるから応募してみたら。給料はウチより大分安くなるけど」と言われて、藁にもすがる思いで連絡したところ、早速人事担当者らしき人が東京から上越まですっ飛んできてくれたはいいが、「医師免許を持った人なら誰でもいいです」と面と向かって言われても、「なんだとこの野郎」と啖呵も切れず、やむなく決めた厚労省への就職を1ヶ月後に控えていたところだった。
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