謝罪は要らない


謝罪は通常,謝る相手がいる.しかし,そうでない場合もあるようだ.例えば,新聞社が,昔掲載した記事が間違っていたと謝るような場合だ.しかし 誰に向 かって謝っているのだろうか?自分のところで出している新聞に謝罪の記事を掲載するぐらいだから,おそらく,読者に対してなのだろう.しかし,その読者は 謝られても何の感情も湧かないだろう.なぜなら,今時わざわざ金を払って新聞を購読しているような奇特な人は,真実を知りたくて購読して いるのではないからだ.

パチンコ屋に金を払って騒音の中でタバコの煙にまみれるよりは,新聞社に金を払った方がずっと安上がりだし,体にもいいと信じているからだ.そう いう奇特な人々に よって新聞社の雇用が確保されている.つまり新聞は,公共事業である.公共事業であるからには,アウトカムの吟味は不要である.どんな嘘八百を書 こうが,そんなことどうでもいい.そもそも読んじゃいないんだから.だから謝る必要なんてこれっぽっちもないんだ.

嘘を載せたために購読者が離れて新聞社が潰れたなんて話は寡聞にして知らない.もしそんな話があれば,それこそ大ニュースになるだろうから,一切 新聞を購読していない私の耳にも入るだろうに.それともそんな重大な真実さえ報道されないほど,新聞は虚偽の記事で充ち満ちているのか?だとした らそれはそれで大したものだから,褒められこそすれ,謝罪の必要なんぞ一切無い.

ミッドウェー,ガダルカナル,台湾沖航空戦,袴田事件,イレッサ,北陵クリニック事件,iPS細胞による心筋移植,・・・・どんな嘘っぱちを書こ うが,新聞購読者達は全て許してきた.だからこそ,今の新聞がある.だから読者に対する謝罪は即ち,「お前達は俺たちの書くでっち上げが見抜けな かっただろう」と決めつけ る,新聞社の大いなる勘違い,出資者である読者への侮蔑に他ならない.

今時新聞社が真実を伝えているなんて信じ込んでいるのは,謝罪記事を書くような,当の新聞社の中の間抜けな連中とその新聞社を攻撃する他紙のよう な,ひどくおめでたい連中だけだ.

その昔「大嘘新聞」なるものがあった.しかし,数年で息絶えた.私の手許には,その墓標として書籍化された大嘘新聞がある.虚偽報道は新聞の本質 なのだから,他紙と差別化できない大嘘新聞は必ず消えていく運命にあったのだ.

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