Politically correct
日本医療研究開発機構(AMED)(いわゆる日本版NIH)の初代理事長選任では、決定的な役割を果たした官邸からの天の声の背景には,官邸の主
と初代理事長の間にある重大な利益相反が存在する.しかしそれらの利益相反は、全て公開されているので、COI管理はpolitically
correctであると,当事者達は考えているのかもしれない.
http://dot.asahi.com/wa/2013012200012.html
http://ucibd.seesaa.net/article/314642309.html
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/41441?page=3
しかし,politically
correctかどうかを決めるのは政治家や大学教授ではない.ジャーナリスト達である.ジャーナリスト達が沈黙していればpolitically
correctとして処理される.普段はSTAP細胞のような,もっとどうでもいいことで騒ぎ立てるジャーナリスト達が,このような重大な利益相
反のことを報じないのは,彼らが全く気づいていないからだ.ジャーナリスト達は,警察や検察の垂れ流し以外は「事件」ではないと思い込んでいる.
自分たちの仕事は国家権力の犬として働くことではなく,地道
な調査報道によって事件を掘り起こすことだ.それが事件かどうかは国家権力が決めるのではなく,自分たちが決めることだ.そんな基本的なことを
すっかり忘れてしまったからだ.
垂れ流しを頂戴できなくなって記事が書けなくなることが心配なのだったら,無理して検察叩きをする必要はない.無理して検察叩きの記事を載せなく
たって,こんな面白いネタちょいと調べただけでもごろごろ転がっているのだから,それを追えばいい.こういう面白いネタを追っていたら,それこそ
垂れ流しを載せる暇も紙面も無くなり,他紙と差別化ができて,売り上げも伸びるだろう.
検察からの垂れ流し記事が,その垂れ流しを載せるしか能が無い「デスク」が,本当に読者に歓迎されているのか?自社の経営に貢献しているのか?若
くて有能な人材にとって魅力となっているのか?きっと考えたこともないんだろうなあ.
→二条河原へ戻る