悪名高きA&E (Casualty)

イングランドはサウサンプトンで研究生活を送っているMさんの報告.典型的な英国の救急外来の様子が非常にうまく描かれている.

先日、とうとう悪名名高いA&E(Accident & Emergency:何でもcasualtyが元祖でERがアメリカ版ゾロ、A&Eはイギリス版ゾロのようです)を経験してしまいました。

実験が第一段階を終え、さあこれからが勝負と気合いを入れて低温室から出てドアを閉めようとした時、それは起きました。非常に旧式の、肉屋の保冷庫のようなその扉は私の細い右手小指をがっちりくわえて離さないじゃありませんか! しかも、その挟まったところがよりによって最悪、てこの原理を利用した開閉機構のちょうど作用点にあたるところで、開けようとするなら指をつぶさないとならない場所です。まだ私はことの重大さに気が付いていませんでした。引っ張ってするりと抜けることを期待してみるも、指はまったく抜けません。扉を浮かせようとする左手の努力も、おそらくここで私が生まれる前から低温室の温度を維持してきた頑丈だけが取り柄のような扉には、まったく赤子の努力にも及ばないものでした。ようやくこのころに痛みが増してきて、微動だにしない自分の指と扉に不安を感じた私は、これは大変なことになっているという現状を認識するに至りました。初めて海外で「ヘルプ ミー!」と叫びました。

偶然(!)通りかかった顔見知りの人に、指が挟まって抜けないということを何とか説明し彼も何とかしようとするのですが、にっちもさっちもいきません。そのころは周りに人だかりができて、誰かがセキュリティーに電話をしているのが聞こえてきます。そして、我々はこの現状を打破するには開閉機構そのもののネジをはずすか、扉そのものをはずすしかないという結論に至りました。扉をはずすまでなんて、とても待っていられないので、その顔見知りに研究室に行ってネジ回しを持ってきてと頼みました(またこやつが歩いて行こうとするから、後ろから「はしれーっ」と怒鳴ってしまいましたが)。そして、同僚がちんたら、にやにやしながらようやくネジ回しを持ってきた頃には、私は痛みで脂汗が出てほとんど泣きそうでした。ようやく指が抜けたとき、俄に信じがたいものが私の目に飛び込んできました。なんと、小指がつぶれて厚さ5ミリ位になっているのです。絶対に骨が砕けていると確信した私は、へなへなと座り込み、かねてからイギリスの医療に不信感があることも手伝い、今後一生小指は使えないなと観念いたしました。

さて、これからが本題、いよいよイギリスA&Eの体験です。これはどう見ても治療をする必要があるということで、同僚の付き添いで院内のA&Eに行くことにしました。彼はなかなかの知恵もので、このような場合は職員のバッジを持っていった方がいいとsuggestしてくれました。そして、A&Eに入った瞬間私の目に入ったのは元気そうに走り回るガキと頭に包帯して新聞読んでるオヤジ、その他大勢の、全然深刻そうでない人たちがざっと2,30人。思わずくらっと来ましたが、いや、この葵の印籠ならぬ青い職員バッジがあれば何らかの特別待遇にあずかれるだろうと、気を取り直し、なるべく痛そうな顔をしながら(本当に痛かったのですが)受付の列に並びました。しかし、実はその列は応急手当と問診をしてから並ぶ場所だったらしく、私はやっと自分の番というところで手当担当の人にこっちに来いと呼ばれてしまいました。私が列に並んでいる間に同僚が順番待ちのチケットを取ってくれたようで、これが応急手当の順番だったようす。そしてそこでは、何が起こったのか、いつ起こったのか、既往歴、tetanusがどうのこうの、今痛みはあるのか等を聞かれました。痛み止めの薬を欲しいか聞かれ、彼はイブプロフェン(池田注:典型的な鎮痛剤)をくれました。そしてもう一つ彼がしてくれた手当は、三角巾で手を吊る、ということでした。

ようやく受付に並ぶ権利を得た我々は、かったるそうに働く受付嬢に氏名や誕生日、住んでいる場所のポストコード(住所は聞かれなかった)を告げ、職業と仕事中の事故かを聞かれたので、しっかりとここの職員で仕事中の事故であることを告げました。もちろん、バッジをほれみろと見せつけたのは言うまでもありません。しかし、彼女は表情一つ変えず、そこに座って待っていろと指に挟んだペンで子供の走る待合室を指したのでした。さて、かれこれ、2時間待ったでしょうか。1時間が経とうという頃から我々は青いバッジの効能を疑いはじめ、1時間半でもはや信じることもなくなりました。後は運を天に任せて、看護婦がなにやら選り好みをしているように抜き出すカルテの箱から、自分のカルテに興味を持つ女性が現れるのを待つだけとなりました。ようやく自分の名前が呼ばれたときには痛み止めもすっかり効き、脈拍と同じリズムでジンジンする小指を役に立たない三角巾で吊って処置室に入りました。ほっとして思わずにやけている自分に気が付きました。その看護婦は処置室の一角、カーテンで仕切ったスペースで問診と同じことを再度聞き、最後に唯一の違い、今回の経験で大いに反省すべき点、「薬を飲んで痛みは収まりましたか?」という質問をしたのでした。迂闊にも、英国A&E初体験の私は「今は痛みはありません」と言ってしまったのでした。

医者が我々を診たのは、更に1時間後でした。その間、他の処置室からは大の大人のわめき声や鳴き声が聞こえてきましたが、我々は同僚と小声で英国とアメリカ、日本の救急医療と保険システムについて大いに語り合いました。今思えばあそこで「薬は全然効いてません、死にそうなくらい痛いです」といっていれば、このdiscussionももっと違ったスタンスにたってしていたことでしょう。医者は私の指をさわり、神経は大丈夫、折れているかも知れないからX-ray filmを撮りましょうと厳かに言いました。「そんなことは最初から分かっているんだ!」と言わなかったのは理性と言うよりも、こうなったらとことん英国流を堪能しようと腹をくくっていたからです、絶対。レントゲンを撮るのに更に20分かかりました。そこは明らかに空いており、担当の技師は1人撮るとtea timeをしているのじゃないかと思うくらい、ゆったりした時間の流れでした。思うに、最初の応急手当の医者(?)がレントゲンを撮る指示ができるシステムであればこれまでの3時間以上に渡る無益な時間の浪費はあり得ないのに、何故にそのようにしないのか。このシステムをどうしてだれも改善せよと、あるいは改善しようと提起しないのか。これが今回の経験で得た、イギリスのまたは英国人の本質のような気がします。たとえそれが救急医療であったとしても合理化をはかろうという意識は皆無ですし、いったい彼らの意識の中には改善という志や向上心といったものはあるのでしょうか。何故に、このような不合理きわまりないシステムにだれも文句を言わず、新聞を読みながらただ順番を待つような受動的な姿勢で居続ける、居られるのでしょうか。私より優先すべき重傷者が大勢居たのかも知れませんが、それを慮っても納得できないくらい非合理的なシステムです。

結局幸いにも骨には異常はなく、治療も傷を洗ってガーゼを巻くだけでした。このために4時間も痛みと不安と苛まれたかと思うと、もう2度とはごめんだ、という気がします。あっ、これがねらいでしょうか。日本のようにへたに時間外でも素早く丁寧な対応ができると、その方が空いているからと不徳をする輩がでてきますが、時間外だとへたすりゃ死ぬとなれば、ちょっとやそっとでは受診しようとは思わないですからね。英会話の先生が言っていた、骨折ぐらいなら6時間は待たされるというのに比べれば4時間なんてまだまだ運のいい方なのでしょうが、まさか自分がこれを経験しようとは思いもよりませんでした。日本がつくづくシステムだけはしっかりした国なのだということを実感しました。

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