(大阪医科大学6年)今回の池田先生の講義は「視診」でした。二日間、
様々なことを教えて頂きまして、本当に有意義でした。今回も名古屋までいって本当
によかったです。一つ疑問に思ったのは亀井先生にしろ、池田先生にしろなにかを発
言するだけで、どうしてこんなに楽しい?うれしい?という感情をもってしまうんだ
ろうということでした。色々考えていたのですが、池田先生の最後のお話に集約され
ていると思います。それは「どんな人でも尊敬して、全ての人に対してプロとしての
敬意をはらうことであることが、医療者同士のコミュニケーションを最も円滑にす
る」という言葉です。なかなか難しいことですが、人間にとって一番大切なことを再
認識させて頂いた気がします。医学のことと全然関係ありませんが、本当にありがと
うございました。
(金沢医科大学4年)池田先生、亀井先生、道場に参加されたみなさん、ど
うもありがとうございました。前回に続き2回目の参加でしたが、この道場で学ばせ
ていただける知識の量と質は計り知れないものがあります。 1日目に問診させてい
ただきましたが、あらためて難しいなと感じたのは、視診、問診から得られた患者さ
んの情報を適切な言葉で表現することの難しさです。パッとみて、仮面様顔貌と頭の
中で整理されたなら、あれほど「眠気」にとらわれることもなかったと思います。
2日目のめまいもUNKNOWNが30パーセントも占めるとなるとアルゴリズムの
ようにスムーズにはいかないですね。2日間を終え、神経内科が少し身近に感じたの
が自分にとっての大収穫でした。またよろしくおねがいします。
(名市大6年)ぼくは神経内科には苦手意識をもっていて、自分が将来専攻す
る科としてはありえないと思っていたのですが、池田先生が患者さんに接する様子を
みていて、神経内科もありかなぁ、と思ってしまいました。正直なところ、神経内科
医は、よく分からないそして治癒しない変性疾患に診断をつけて嬉々としているとい
うイメージがありました。が、池田先生が、その人が何に困っているかに焦点をあ
て、完全にその病気が治らなくとも少しでもその人が困らないようにと、フォローし
ていく様子を見て、神経内科医ならではのやさしさを感じました。それでは、次回コ
ミュニケーションワンダーランドも楽しみにしています。
(名古屋大学6年)池田先生のセッションでは、神経内科のことだけでなく
いろいろ考えさせられるセッションでした。まず一つには、神経内科はもともと好き
だったのですが、やはりなかなかむつかしいなぁ、という印象を強くしました。身体
診察のスクリーニングというのはない!問診で8割の診断がつく。ということ、先生
の問診のスタイル「日常の動作でできなくなったこと」が印象に残りました。二つ目
には「これからどうしてゆけばよいか?」を先生が患者さんと話されていることが勉
強になりました。昼間の眠気の患者さんでは、これから実際に薬以外の対応(テープ
レコーダーに録音するなど)について話し合ったり、めまいの患者さんについては、
一番心配されていることがくも膜下出血の再発であることを聞き出し、その心配はま
ずない事をお伝えする、という、患者さんの生活に結びついた対応をされていること
がよく分かりました。僕は実際に見させてもらいましたが、診断をつけようというこ
とだけに執着していたと思います。いろいろ勉強になりました、またいろんな患者さ
んについて先生とディスカッションできたらいいなと思います。ありがとうございま
した。
(名市大6年)今回のテーマの一つは、視診であったように思います。林先生の
ケースや、初日の患者さん、そして池田先生のケースはその好例であり、いずれも重
要な疾患で、その重要さを認識させられました。あの日問診をする際にも、もししっ
かり観察をしていれば主訴にこだわりすぎて大局を逸することはなかったでしょう。
まさに百聞は一見に如かず、という感じでした。貴重な経験だったと思います。ま
た、教科書に視診について多々書いてあるのをいつも眼にはしてはいながら、その重
要さには全く気づいていなかった自分を発見し、反省させられた次第です。テキスト
を読むにしても、その意義を十分に理解するには、実際の臨床活動を通して得られる
センスがとても重要であること、体験により活字が生きたものになるのだということ
を改めて認識させられました。6年になり、研修をま近に控える身になって、ようや
く医学は実践の学問であることを肌で感じつつある中で、こういった自覚は心地よい
ものがあります。今回は個々の知識よりはこういった原理的な面でとてもよい勉強に
なりました。しかし、こういった学びも、善い先生方と患者さんに恵まれたからこそ
得られたもので、遠路いらしてくださった池田先生や、いつも世話して下さる亀井御
夫妻、そしてきさくな患者さん方に心より感謝申し上げます。またあの日一緒に学ん
だ面子(先生方すいません。そちらは”方々”で)にもお礼を言いたい。退屈な国試
勉強(もっと退屈な卒試は去った。やれやれ。)に追われる中で、楽しいひと時をす
ごしました。
(名市大5年)大変苦手な神経内科ですが、元々面白さは存分に感じており
ました。池田先生のお話を聞いて、やはり診療現場でよく遭遇しうる疾患からしっか
りと学んで行き、まず遭遇し得ないであろう稀な疾患に対しても同じように勉強して
いくのは非常に非効率的だと、改めて感じました。私個人の事情により2日目の午後
は出てないのですが、初日に学ばせて頂いたパーキンソン病についてはこれまでより
大変自信がついたように思います。今回、頻度の高い疾患を深く掘り下げて学ぶ事の
重要性と効果を強く感じたので、他の疾患についても実践していけたらな、と思って
います。池田先生、亀井先生、ありがとうございました。
(名古屋大学大学院)ウィルソン病の角膜輪や動眼神経麻痺など、池田先生
の臨床経験を凝縮した数々の画像を見せて頂きました。これらの画像をネットで見る
だけでも貴重な経験になると思いますが、池田先生の解説によって画像が言語化する
と効果も倍増しますね。(例えば、アレルギー紫斑病の紫斑は盛り上がって弾力があ
るとか)池田先生にはご苦労をおかけしますが、出張講義ならではの効果だと思いま
すので、今後ともよろしくお願い致します。午後は「めまい」の患者さんにご協力頂
きました。前回の講義でも「めまい」があったと思いますが、そのおかげでしょう
か、今回の学生さん達の問診、診察はレベルが高かった。非専門医であるボクの目か
らは「完璧」でした。その後の池田先生の解説がまたお見事で、なんと「次回に続
く」で終わったのです。確かに明確な答えがでないのも臨床現場での実際であり、池
田先生から学生さん達への「贈る言葉」と理解しました。次回も楽しみにしておりま
す。
(岐阜大学5年)今回、池田先生のセッションに参加させて頂き、とても実
りあるものとなりました。先生が患者さんの一番困っていることを聞き、それに対し
て何かしてあげようとしている姿を見て、池田先生のような医師になりたいなと思い
ました。また、鑑別疾患を頭に浮かべ、医療面接をできるようにこれから勉強してい
きたいなと思いました。本当にありがとうございました。P.S.安城厚生病院の林先生
のお話も、とても面白かったです。また、続きをお聞きしたいです。私も林先生のよ
うになりたいなと思い、とても良い刺激になりました。ありがとうございました。
(名古屋大学4年)池田先生、亀井先生ありがとうございます。日曜日だけ
の参加でしたが、とても楽しく参加しました。わたしなどは、つい患者さんの疾患に
目がいき、そこを何とかできないかと考えることで満足してしまい勝ちですが、そう
ではなくて患者さんがもっとも心配されていることを聞き漏らすまいとされる先生の
真摯な目、患者さんの訴えのなかでもっとも肝となるところに誠実に答えようとする
態度をとられる姿がいちばん印象的でした。また、池田先生のような方でもあれこれ
と悩みながら臨床の場に出られているのだということを丁寧に教えていただけること
は、今後、何年にもわたって残っていくものだろうと感じています。大学では決して
得ることのないセッションだったと思います。今後ともよろしくお願いいたします。
(杏林大学既卒)池田先生、どうもありがとうございました。先生の、熱く
て親切で解り易い講義で多くの知識を得られたのはもちろんの事、先生の人柄に触れ
られ、患者さんとのコミュニケーションの仕方を直に見られた事が何よりも嬉しかっ
たです。家に帰ってから、先生のブログを拝見させていただきました。「多感な、い
つも自信が持てない、そして,自分には医者が合っていないんじゃないかって考えて
いる、そんな,私と同じ悩みを持つ医学生」それは私の事です!!とパソコンの前で
大きくうなづいてしまいました。今は、カスガ先生のおっしゃるように、「医者とし
ての運の強さ」を担保とする為に,まずはその前提として一定のもの(技術とか知
識)をクリアすべきであると考えています。来年の春は、研修医1年目として先生の
講義に参加したいと思います。今から非常に楽しみです。亀井道場に参加をする度
に、先生方や参加者の方々から非常に強力なエネルギーをいただきます。「もっと知
識を増やさなければならない」という気持ちと、「ここにみえる素晴しい先生方に近
づく為には、このようながんばり方をすれば良いんだ」という将来への見通しや希望
のようなものです。このような会を企画運営してくださる亀井先生、奥様を始め、学
生の方々に心から感謝しております。ありがとうございました。そして、来年も宜し
くお願いいたします。(コミュニケーションワンダーランドにも参加すべきだった・
・・と今、心から悔やんでおります。)
(京都大学医学部卒)池田先生、亀井先生、どうもありがとうございました。
池田先生のセッションに参加するのは今回で二回目でした。前回は神経内科への苦手
意識を見事に打ち砕いてくださったので、今回も非常に楽しみに参加しました。教科
書では、主訴、現病歴、身体所見と並べられた上で鑑別診断がはじまる訳ですが、実
際にはその前の段階こそが大事で、患者さんが診察室に入るところから「戦い」はは
じまっています。一挙手一投足を見逃さず、患者さんのお話をきくなかでどこに焦点
をあてて病歴を聴取していくか、とくに重要で緊急な疾患を確実にrule in、rule
outし、リスクリダクションしていく臨床の場でのDecision-makingの際の思考形式
を、学生とのディスカッションの中で先生が惜しげなく披露してくださり、たいへん
楽しくあっという間の2日間でした。神経の身体診察というとどうしても身構えてし
まうのですが、「神経のスクリーニング診察などない」というお話の中で、医療面接
の重要性を改めて認識でき、今後の勉強の指針となりました。どうもありがとうござ
いました。
(中津川市国保川上診療所)先日は、池田先生のセッションに参加させて頂
き、どうもありがとう御座いました。今回は、強烈な印象を受けて帰宅したセッショ
ンでした。池田先生の場合、話をされる内容だけでなく、表情・そぶりが、とても印
象的でした。学習者の前に立って指導されるというより、学習者とのやりとりを通じ
て、自然に体が動き、身を乗り出したり、動きまわったりされているように思いま
す。学習者も、躊躇することなく、質問しやすい雰囲気が、先生のまわりからオーラ
のようにわき出ているように感じます。学習者から質問があると、どれ1つもないが
しろにすることもなく、遮ることなく最後までお聞きになる:かと言って、1つの意
見に固執するでもない、バランス感覚のすばらしさに、私は感動しました。学習者の
背景が異なる中、セッションを行うことは難しいと察しますが、その難しさと向き合
いながらも、面白さに転化される先生のartに、感動しました。”interactiveな学
習”の真髄に触れた気がします。患者さんに対してももちろん、学生に対するまなざ
しは、深く優しいものでした。こういった教育者に、私はあまり出会ったことはな
く、感激しました。質問されれば怖じ気づき、つい”評価するように”学習者を見て
しまいがちな私には、良い刺激になりました。池田先生のようになるまで、私には余
裕と、余裕を生み出すだけの人間的な成長と、学習が必要です。長い道のりですが、
こういった学びの場が励みになります。また、ちょうど道場の前日に遭遇した”脳梗
塞が疑われ後方病院に紹介したが、MRIで異常がないために帰っていらした”患者
さんのことを、取り上げていただきました。池田先生はじめ、参加されていた先生方
にご意見をいただくことができ、また生々しい臨床を学生さんたちと共有できたこと
も、私には嬉しいことでした。亀井先生には、いつも参加者全員に対してご配慮いた
だき、どうもありがとう御座います。亀井先生と奥様が、”患者さんにとって、何が
大切なのか”という視点を大切にされながら、日々の臨床に携わっていらっしゃるこ
とが、ひしひしと伝わってきました。患者さんが、私たちに非常に協力的でいらっ
しゃることは、先生が患者さんと向き合い、つらさも喜びも共有されているからだろ
うと、感じています。こういう機会に暴露された学生の中に、医師を目指して良かっ
たと思う人は少なくないと思います。医学的な面ばかりではなく、多くを学ぶことの
できる場を、これからもご提供いただきますよう、お願い申し上げます。
(名古屋市立大学4年)まだ実際の診療の現場をあまり見たことがなく教
科書的な勉強しかできていない私は、土曜日のパーキンソン病の患者さんの歩き方、
表情、話し方からパーキンソン病を思い浮かべることができませんでした。患者さん
の様子をしっかり観察すること、話し方、表情に注意をすることの大切さを実感しま
した。また、今回症状が軽いパーキンソン病の患者さんを初めて拝見したので、同じ
パーキンソン病でも、症状が軽いか重いかでこんなにも印象が違うものなのだと本当
に印象に残りました。日曜日は、患者さんのめまいの症状がなぜ起こるのか、その原
因にばかりこだわってしまっていました。でも、大切なことは、患者さんが困ってい
るのはどういうことなのか、何に不安を感じているのかに耳を傾け、これからどう
やって病気と付き合っていくか、一緒に考えていくことなのだということを教えてい
ただきました。そのことを忘れずに、先生、先輩方に少しでも近づけるよう頑張って
いきたいと思いました。池田先生、亀井先生本当にありがとうございました。
次回春のセッションにもぜひ参加させていただきたいと思っています。今からとても
楽しみです!よろしくお願い致します。
以下は私の返事
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1.不安・心配を大切に
国家試験を前にして,試験に受かっても,現場に出るのに不安が一杯の方もいらっしゃると思います.
でも,不安であること,心配であることに自信を持ってください.これでいいと,これで安心だと思っ
たら,そこで思考は止まります.そこで学習は止まります.そこで進歩は止まります.
みなさんには,四半世紀医者をやってきた亀井先生が,私が,自信満々に見えましたか?でも,自信満
々だったら,なぜ,学生と一緒に勉強するのでしょうか.それは,”自分の現状に自信が持てないから
”です.日常の診療でしょっちゅう壁に突き当たる,わからないことが出てくる.失敗する.心配する
.不安になる.考える.学習する.この繰り返しです.だから道場で学生と一緒に勉強するのです.
ただ,一つ学生と違うのは,年を取っていて,伸びる速度に対する要求度が高くないので,少しでも進
歩すれば,それがとても嬉しいのです.だから,勉強がとても楽しい.だから道場ではいつもにこにこ
していられる.一方,若い人は大変です.うまくなって当たり前,進歩して当たり前と,周囲から要求
されるのですから.だから,そんな厳しい状況の中で,不安になり,心配になるのは当たり前なのです
.その不安が,心配があってはじめて考えられるし,学べるし,進歩が可能なのです.だから,不安が
あること,心配症であることに自信を持ってください.
2.学習資源の共有
亀井道場高弟の林直子先生も,不安と心配の毎日を送っています.その林先生からの症例呈示で素晴ら
しい勉強ができたのは,自分自身の不安,心配,自信のなさを,みなさんと共有しようとしたからです
。共有可能な勉強材料を呈示し,それをもとに議論して学んでいく.この”共有性”は,複数で学ぶ時
に必須の要素ですが,共有性の程度が問題です.林先生は,臨床現場へ出れば誰でもが明日からでも出
くわしそうな状況を呈示してくれました.だから,みなさんも,明日は我が身と思って,林先生のスラ
イドを食い入るように見たでしょう.道場のような勉強の場では,共有性の高い,明日は我が身の,切
実な問題を扱うと勉強の効率が素晴らしく向上します.ですから,私は,皆さんが一生診ないかもしれ
ないKayser-Fleischerのような稀な所見を呈示する際も,視診という一般化した話の流れの中で,お話
しました.
3.画期的だった林式PBL
林先生のプレゼンは圧巻でしたね。1年目研修医自身が語る体験談の形ですが、それでいて客観化ができ
ていました.”過呼吸”で、救急車で来院した21歳男性の診断過程を、NEJMのClinical
Problem Solvi
ng、Patient safetyよりももっと身近な形で、学習者にとって非常に共有度の高い勉強材料を提供して
くれました.こういう学習形式の特長は、学習者の共感を得やすく、娯楽性(最近流行りの言葉では劇
場性でしょうか)に富んでいる,したがって学習効率が高くなることにあります。私も興奮して、夢中
になって議論に加わりました。
従来型の症例提示は,それを診療する医師が実在しない超能力者のように設定されていますが,林先生
のシナリオは,患者側の要素ばかりでなく,実際の医療者側の要素も考慮している→参加者の共感を得
やすい上に,どこでも起こりうることですから,現場の危機管理にもすぐに役立ちます.
亀井先生が,形から型へとおっしゃっていました.入れるべき内容を前提とした形が,”型”なのです
.自分の型をどうやって作っていくか.皆さんがそれぞれ自分の個性で作っていくものですが,林先生
は,自分はこういう型でやってみたがどうだろうかと呈示して,多くの人に議論してもらって,また修
正を加えていく,あるいは手持ちの型を増やしていくことができたわけです.
PBLなどというと、日本ですぐできるのか?というお決まりの懐疑論がすぐに聞こえてきそうですが、そ
んな机上の懐疑論などすぐさま跡形もなく吹き飛んでしまうほどの見事な教育セッションでありました
。海外の公式実例として近いのはハワイ大学のPBLとか,Ann Intern MedのPatient
safetyのシリーズが
ありますが,それでも,医師が,実在しない超能力者のように設定されているきらいが残っています.
その意味でも,前回道場でのくも膜下出血例といい,今度の”もやしっ子”といい,世界的に画期的な
勉強会と言えましょう.も素晴らしかった.PBLの教材は現場のどこにでも転がっているので、林先生の
ような優秀な学習者兼教育者がいれば、どこでもすぐできることです。あの形式を今後も続けていきま
しょう.そうすれば,救急外来大盤解説十番勝負(亀井道場編)として,三輪書店から本が出せます.
4.林先生の症例呈示から学んだこと:診察の自然な流れと負荷をかけた際の身体所見
私はいつも,”患者さんが診察室に入ってくる前から、予診表に書かれた文字を観察する時点から診察
は始まっている、患者さんが意識をしない状態での自然な負荷の結果がどう表現されるのかをまず観察
してください” と言いますが、診察の自然な流れの中でかかる負荷が患者さんに及ぼす影響を観察す
ることの大切さは、何も神経内科に限ったことではなかったのです。
たとえば起立性低血圧や、脱水や高度の貧血の患者さんをストレッチャーの上に寝かせたまま問診、診
察していたばっかりに、その患者さんが立って失神するのを発見するのが遅れたとかね。いや、これは
決して林先生を責めているのではなく、よく、そこまで私達が教訓として学べるような教材を作ってく
れた、凡人なら何も学ぼうとしなかった症例を、よくぞそこまで素晴らしい教材に作りこんでくれたと
いう感謝と驚きの気持ちです。
5.医療面接:生物学的な要素と社会的な要素
二番目の,めまいを主訴とした患者さんの場合には,私はろくろく診察せずに,もっぱら本人と娘さん
からお話を聞きました.これはもちろん学生さん達の面接,診察が素晴らしくて,biologicalな診断と
いう点では,私がやるべきことが何もなくなってしまったことにもよるのですが,患者さんが何を不安
に思っているか,主訴は”めまい”としても,そのめまいをどう考えて,何を心配しているのか,実際
の生活面ではどういう問題が起こっているかに思いを馳せてもらいたかったという理由もありました.
患者さんが診察室に入ってきたとき,皆さんは何に注目したでしょうか.私は娘さん(と思われた女性
)の存在です.上品な母娘.心配そうに寄り添う娘にとって患者さんは,きっと特別な存在だろう.脳
卒中で倒れて寝たきりになったり死んでしまったりすることを,患者さん以上に娘さんが心配している
のではないだろうか.この母娘は同居しているのだろうか.患者さんの夫(娘さんの父親)は健在だろ
うか.娘さんは所帯を持っているだろうか.もし所帯を持っているとしたら,夫は義理の母のことをど
う思っているだろうか.娘さんと夫の間に患者さんを巡っての葛藤はないだろうか.そういった社会的
な大問題の数々が次々を浮かんできて,こりゃ,めまいの診断はそこそこにして,社会的な問題をチェ
ックしなければ.そのためには,患者さん本人よりも,娘さんとの面接が大切だな,と思うわけです.
問診,病歴という言葉に代表されるように,従来の臨床教育は,医療面接においても,biologicalな診
断をつけることに力を入れてきました.しかし,患者さんが困っている問題は,biologicalな診断とは
別のところにある場合の方がむしろ多いのです.
どうかみなさん,生物学的な側面と社会的な側面を一遍に考えるのは大変だと思わず,両方とも考えら
れるんだ,両方考えると患者さんへの理解がより深まるとポジティブに考えてください.自分は生物学
的な面は苦手だけれど,社会的な面の考察なら得意だと考えてもいいですし,生物学的な面は,誰にで
も教えてもらえるし,自分で勉強もできるけど,社会的な面は今,ここで,この患者さんででしたか勉
強できないと思うと必死で面接することになります.