【テーマ随筆】
 

環境問題と女医の観点

岸 玲子 北海道大学医学部公衆衛生学教授

 環境問題が世界の重要課題になってから久しい。人間環境会議がスエーデンで1972年に開かれ、先進国と発展途上国がその利害を異にしながらも、協力関係を続けることになったが、それからすでに4分の1世紀が過ぎた。しかし世界の環境問題は沈静化するどころか、昨年の京都での国際温暖化防止会議の開催にみられるように益々、地球全体で大きな危惧を抱える問題へと発展してきている。

 日本では、今世紀20世紀の後半は、(敗戦からの出発であったとともに)、日本列島のいたるところで環境汚染の進展があり、その対策に費やされた歴史であったと言っても過言でない。水俣病、イタイイタイ病、四日市や水島などコンビナート地帯の汚染による喘息や、ごく最近のダイオキシンやいわゆる環境ホルモン(内分泌撹乱物質)など、大気や水質、土壌などの汚染とそれによる重大な健康障害が全国各地で発生した。さらにカネミライスオイル事件や森永砒素ミルク中毒など食品汚染の問題をも含めると、日本中で毎年、なんらかの新しい環境問題の発生があったのではないだろうか。

 今回、そのような過去をもつ日本で開かれる第11回国際女性技術者、科学者会議のメインテーマは、地球環境ということであるが、その中に多くの方のご努力で初めて女医のsession(医療部門)が設けられたことを心から喜ぶとともに、本稿を書かせていただくせっかくの機会を、是非、次の21世紀を担う若い女医たちへ送る期待のメッセージとして使わせていただければ幸いである。

 ここで、少し理屈っぽくなるが、まず医師一般にとってなぜ環境問題の認識が重要なのかを考えてみよう。第一の理由は癌を始め、人の病気や健康状態は遺伝素因のみならず環境に大きく作用されているためである。すなわち、日々臨床で患者の病気を治す立場の医師が環境の重要性を認識することがどの診療科の医者にとっても不可欠である。第二の理由は、健康障害を引き起こすリスクの排除、対策、すなわち予防活動がもともと医師の大きな仕事(役割)であるからで、職場の産業医、学校医、地域の保健所など特に集団を対象に予防活動を展開する医師には必須の指導事項である。第三には、個の生命倫理を理解するとともに、個を構成する環境のための倫理を理解することが多くの人に要請される現代社会にあって、特に人の健康事象を扱う医師は職業倫理としても、当然、環境問題に深い洞察力をもつべきであろう。

 さて、それでは、なぜ女医にとりわけ環境の問題に高い関心と責任を持っていただきたいか? それは第一に、申すまでもなく、地球の半分(あるいはそれ以上)の人口を構成する女性の健康の問題や子どもたちの健康を考えるのはおそらく男性医者より女医の自然の立場と思われる。  第二にこれまで多くの健康と環境に関する研究は、(日本では特に)多くは男性に担われて科学として発展してきたけれど、それで十分だったのかどうか? 21世紀にはもっと女性の視点や視野が加わってもよいのではないか? その理由は、方法論としては、環境リスクの評価には科学的な手法を用いる限り、性による差はないが、認識論としては、リスクのidentification(問題意識)には性による差があるのではないか?自然環境よりも特に心理社会的な環境の場合に顕著なのではないだろうか?これが、いわゆるジェンダーの問題で、女性の存在(立場)が生物学的のみならず社会的に規定されているからである。  私のこれまでの約25年の研究の歩みは、女性だからということで男性と違うアプローチ(方法論)をとったことは少なくともあまり記憶にないが、女性であるがゆえの問題意識から重要と考えて取り上げた研究テーマは幾つかあった。北海道地域での女医の活動をみても、車粉塵、喫煙など比率としてはもともと少ないはずの女性医師の活動が光っているのが環境問題や障害者の分野などである。

 21世紀になっても、環境の問題はまだまだ根本的には解決されず、もっともっと多様な問題が発生するであろう。この環境の課題に女医の視点を生かして果敢にとりくむ若い人がたくさん出てほしい。

 なにより男性とは違う女医の切り口が期待されているので。20世紀も最後に近くなり、最近は私自身も以前よりこういう期待を周囲から感じるようになったことを若い方にお伝えしたい。