山本 明美 旭川医科大学皮膚科学講師
今回、私が国際女性技術者科学者会議に参加させていただけるのはおそらく皮膚科学分野での私のささやかな業績を評価していただいてのことかと思うが、そうなったのも常に自分を奮起させるものがあったからだろう。それはときに文章であったり、事件であったり、人物であったりと色々である。
医師としてかけだしのころ、私の診察を終わった患者さんが診察室の外で看護婦さんに「今日は先生の診察はないのか」と訊ねていた。「今、診てくれたのが先生なのよ」という答えとともに会話の始終が聞こえてしまった私はすっかり落ち込んで、その後どうやってその日の診療を続けたのか全く覚えていない。この手の話は診察技術の未熟な若い女性医師にはありがちなことだ。医師国家試験に合格しただけで患者さんに先生だと思ってもらえると期待するほうが間違っているというもの。気をとりなおして、地道に経験をつんで実績をたくわえるより他はない。決して非凡な臨床家としての才能をもって生まれたとは言えない私であるが、長年この仕事にたずさわるうちに、このごろではごくたまにではあるが、良い治療や診断がぱっとひらめいて患者さんに大変喜んでもらえることもあるようになった。そういう時には一時的にあたかも自分が名医であるかもしれないという錯覚さえ覚えて気分がすこぶる良くなる。
これまで目標を自分より年輩の優れた女性医師や研究者におくことが多かったが、最近では時として若い女性の活躍に励まされることもある。岐阜大学皮膚科学教室の青山裕美先生はそんな元気な新進気鋭の方々のおひとりだ。ひとつのエピソードは一昨年、ワシントンDCで研究皮膚科学会があったときのことである。彼女は堂々と口演で研究成果を発表されていた。ところが私の方は発表の内容がイギリスとドイツの研究グループとの共同の仕事であったので、私が代表して下手な英語で口演するのは気が引けて、ポスター展示での発表を希望していた。わたしより数年若く、まだ海外留学は経験されていない青山先生が堂々と壇上で発表されていたのに、2年間イギリスに留学していたことのある私が、どんな理由にせよ、英語での口演をためらったことを恥ずかしく思った。深く反省して、昨年はヨーロッパで1週間の間に連続して開催された3つの学会において、3つの口演発表を私なりに満足のゆく形でおこなうことができた。最後の学会の懇親会では、私の座長をされていた有名なアメリカ人の教授が声をかけてくださり、私の仕事をほめてくださった。仕事の内容と私自身を知ってもらうことができたのであり、やはり口演にしてよかったとつくづく思った。
世の中には非常に多くの学術雑誌がある。他の研究者が関連のある論文を書くときに、自分の論文も当然引用してくれると思うのは甘い。ごく限られた超一流の仕事の場合以外、自分の研究結果がいかに重要なものであるか機会をみては宣伝する労を惜しんでいては全く注目されずに埋もれてしまいかねない。母国語以外での口演は確かに大変で、質疑応答となるとさらに難しいが、これは苦しくても越えなくてはならないハードルのひとつだと思う。最近、私が尊敬する岐阜大学皮膚科の北島康雄教授に、若い女性医師の方の目標となってがんばるようにとのお言葉をいただいた。大変光栄なことではあるが、益々甘えと失態が許されなくなってきた。
自分を良く理解してくれる上司を持つことは重要なことだ。私の所属する講座の飯塚一教授は私の仕事を正当に評価してくださっている。ところが論文を書いてお持ちするとどんな拙文でも、すぐにきちんと読んで直してくださったあと、決まって「very good!」と書いて戻してくださる。きっと大半は単なる励ましの意味で書かれているにちがいないが、そう書かれると悪い気はしない。次回こそ本心からvery goodだと言っていただきたいと思ってまた論文を書くことを繰り返してしまう。先生はとてもおだてに弱い私を良くご存じなのに違いない。
そして最後に、良い伴侶を持つことは何にも増して大切だ。私の場合、心臓血管外科医の夫は自分の仕事には厳しいようだが、家ではしばしば仕事上のことで落ち込む私をなぐさめてくれる心のよりどころである。結婚して十二年になるが、職場の都合で別居を余儀なくされた時期もあった。今後もおそらくそれは避けることはできないだろう。最近私たち夫婦の会話に良く出てくるのは、毎日一緒にいられるようになる定年後の生活設計だ。今後、単身赴任になって寂しいときがあっても、あと25年(ちょっと長いが)、元気に老後を迎えられるようにがんばろうと励まし合っている。いつか自分の寿命が終わりに近くなったとき、それまでの道のりを振り返って、なかなか良い人生であったと思えるようしたい。それ故、今はただ全力疾走の日々である。