フェニルケトン尿症治療の担い手

大和田 操 駿河台日本大学病院小児科部長

 小児科学の中で代謝性疾患と称される分野では働いていてる筆者にとって、食事療法は重要な研究課題となっている。食事療法が大きな役割を担う疾患としては、先天性アミノ酸代謝異常症、有機酸代謝異常症、糖質代謝異常症のうちのかなりの部分に加えて、小児糖尿病が挙げられるが、今回の会議では、アミノ酸代謝異常症のうちのフェニルケトン尿症について報告させて頂くので、その食事療法について紹介したい。

1. フェニルケトン尿症とはどのような病気か?
 フェニルケトン尿症(Phenylketonuria, PKU)は、ヒトにとって必須アミノ酸のひとつであるフェニルアラニン(Phe)の遺伝的な代謝障害症である。この病気は、常染色体性劣性遺伝を示し、知能障害が主要症状で重度の発達遅滞を示すが、早期にPhe摂取制限食を与えることによって症状が予防される。そのため、今日では、無症状の新生児期に発見するプログラムが普及し、日本においても1977年からPKUの新生児スクリーニングが公費で行われるようになった。

 健常人の血中Phe濃度は1-2mg/kgであるが、PKU患者ではその1〜50倍の濃度に達し、生後5〜6か月を過ぎると次第に精神運動発達の遅れが目立ちはじめ、時には痙攣などの症状もみられて、放置すると重度の知的障害を呈するようになる。しかし、新生児期に診断し、早期に食事療法を開始すれば正常に発達し、持って生れた知的能力を損うことはない。そして、多数の症例の長期追跡の経過、血中Phe濃度と知能とは逆相関することが明らかとなり、食事療法の重要性が改めて認識されている。

2. PKU治療の基本
 Pheはヒトにとって必須アミノ酸であり、これを全く与えないと生命維持ができないため、PKU児には必要最小限のPheを与えなければならない。その許容量は各々の患者でかなり異なるため、血中Phe濃度を測定しながら至適投与量を決定し、発育に必要な窒素の大部分は、Phe除去アミノ酸混合物、即ち蛋白代替物として与えることがPKU治療の基本である。

 ところで、第五次改訂、日本人の要栄所要量(一九九四年)を参照すると乳児期には2.5〜3g/kg/日の蛋白摂取が必要とされており、例えば八か月で8kgの赤ちゃんには20〜24g/日の蛋白が必要であるが、自然蛋白には平均5%のPheが含まれるため、この赤ちゃんのPhe摂取量は1,000〜1,200mg/日と計算される。これに対して、同年齢のPKU児では、平均250mg/日のPheしか与えることができず、自然蛋白としては5g/日にしかならず、残りの15〜20gの窒素分は蛋白代替物から摂取させる。また、自然蛋白はいも類、野菜、果実などの低蛋白食品から摂取し、肉、魚、卵などの使用は事実上不可能である。そして、このような厳しい治療は少なくとも成人するまで続行しなければならず、また、PKU女子患者が妊娠を希望する場合には、妊娠前から厳しい治療を再開しなければならない。

3. PKU食事療法の今と昔ー担い手は誰か?
 右述のような治療は、従来は母親の役割であり、米や麦の使用も厳しく制限されるにも拘らず、低蛋白食品が市販されていなかった1970年代には、PKU児のお母さんたちの毎日の苦労は、筆舌につくし難いものであった。そして、お母さん達はその悩みを、我が国のPKU治療の先駆者である大浦敏明博士のご努力で組織されたフェニルケトン尿症親の会(以下PKU親の会)で語り合い、より良い食事療法を目指して活動してきた。

 ところが、PKUスクリーニングが開始され、早期発見される患児が多くなった1980年代に入ると、低蛋白食品の開発が進み、市販品も増加して、今日では、おいしくてPhe含有量の少ない食品が次々に入手可能となった。そして、それらを入手するための活動(外国製品の輸入も含めて)は、現在ではPKU親の会の大きな目的の一つになっている。

 また、1980年代後半に入ると、PKU治療の担い手がお母さんだけでなくなり、お父さん方の参加が盛んになった。例えば、公務員であるお母さんが仕事を続け、会社員のお父さんが転職して、一年間PKU児の昼間の保育を担当し、その間に勉強して公務員となった方、毎日の献立をコンピューターに入力し、エネルギー、蛋白、Phe摂取量の計算を受け持つお父さん方、更には自ら調理を担当するお父さんなどその活躍は枚挙に暇がない。このように昭和ひとけた生れから二十年代生れに至る、所謂「日本男子」の皆様とは思考構造が全くと言って良いほど異なったお父さん方が続々と誕生し、PKU児を中心に暖い家庭が営まれている。そこには、悪い意味での「男の役割」、「女の役割」は微塵も感じられず、差別時代に生れ育ち、「畜生!」と言う思いを味いながら、それを決して表現せず、「我慢の子」であった(誰です?そんなことはないと仰有るのは…)筆者にとって、とても嬉しく、楽しい気分にさせられている。