支援利用者インタビュー
脳の謎を切り開くもう一歩先の研究
〜GABA合成酵素の遺伝子機能に迫る〜
柳川 右千夫
群馬大学名誉教授
臨床の現場から抑制性ニューロン研究へ
柳川右千夫・群馬大学名誉教授が脳に興味を持ち始めたのは、新潟大医学部の学部生時代だ。同大は「脳研究所」を1967年に設置しており、当時から脳研究の拠点だった。所属する教員や研究者に講義や実習を受ける機会も多かったのがきっかけだったという。
卒業後は、同大の精神科に入局した。臨床の現場では様々な患者に出会ったが、その中でも印象に残っているのは、てんかんの発作を繰り返す患者だった。
症状は重かった。しかしGABA(ガンマアミノ酪酸)受容体と呼ばれるタンパク質に結合する薬「ジアゼパム」を注射すると、発作は止まった。「初めて見たときはびっくりした。GABAという物質は、人の体の中で大事な働きをしているに違いないと実感した」という。教科書や論文で知るのとは違う驚きがあったそうだ。
その後、基礎研究の分野に移り、しばらくはGABAと直接関係のないテーマを手がけていたが、てんかん患者の治療体験から約10年後、米国留学から戻って東北大加齢医学研究所で新たな研究を始める時に、GABAのかかわる抑制性の神経伝達の研究を始めた。
脳を構成するニューロン(神経細胞)は、興奮性のものと、抑制性のものに大別される。GABAニューロンは、抑制性ニューロンの代表だ。興奮性ニューロンに比べて数が少なく形も様々で他のニューロンから区別しにくく、研究は難しいと考えられていたため、当時はGABAニューロンを研究する人は少なかった。同様にGABA神経伝達の研究者も少数だった。
しかし、「自分の興味のある研究ならば、あまり誰もやっていない領域の方が面白そうなことができるだろう」と思ったそうだ。そしてGABAの受容体ではなく、さらに先行研究が少なかったGABA合成酵素の研究を始めた。
それを発展させた研究では、マウスの脳でGABAニューロンだけを蛍光タンパク質によって光らせる方法も開発。この分野の脳研究を支える重要なツールとして使われる業績となった。
実験動物を変えて見えてきた遺伝子と行動のつながり
最近の研究の一つでは、2種類あるGABAの合成酵素(GAD)のうち一種を遺伝子操作で働かなくしたラット(GAD67ノックアウトラット)を使い、その行動を調べた。すると、統合失調症とつながりが疑われる認知機能障害を起こしていることが見つかった。
GADには、GAD65とGAD67の2種類のアイソフォーム(基本的に類似の機能をもつが、部分的に構造が異なるタンパク質)があり、異なる遺伝子にコードされている。これらが、どんなふうに役割分担をしているのかを解析して知りたかったという。そのような研究で、よく使われてきたのはマウスだが、遺伝子を操作してGAD67を作れなくしたマウス(GAD67ノックアウトマウス)では生まれるとすぐに死んでしまうので出生後の実験がうまくできなかった。
また、ヒトとラットでは脳の中でGAD65の発現が多く、一方マウスではGAD67とGAD65の発現が同等という動物種による発現の差があることもわかってきていた。ラットの方がマウスより空間の記憶課題の実験がしやすい面もあった。
「マウスとラットではいろいろな違いがあるので、実験動物としてラットも併用してみようと考えました」と柳川氏は言う。
そこで、ノックアウトラット作製を先端モデル動物支援プラットフォーム(AdAMS)を通して、真下知士・東京大学医科学研究所教授に支援してもらった。ノックアウトマウスは1980年台に初めて報告されて以来、様々な研究室で広く使われていたが、ノックアウトラットはまだ歴史が浅く、実験着手当時は技術的に誰でも簡単にできるような段階ではなかった。
「こういうのを作ってほしいと自分で設計して頼む能力があれば、外注も可能だったかもしれないが、それは結構大変な作業になる。AdAMSの良さは、ノックアウトラット作製で第一線の研究をしている先生が、どのように作るのがいいのかという最初の段階から相談にのってくださり、提案もいただけることです」という。
その共同作業で生み出されたGAD67ノックアウトラットは、ねらい通り生き残り、迷路課題をはじめとする行動実験などに用いることができた。ヒトの統合失調症では、GAD67遺伝子の変異や脳内のGAD67遺伝子の発現低下が報告されている。従って、GAD67ノックアウトラットはヒトの脳の病気を解き明かすのに役立つ、新たなモデル動物になると期待されている。
信頼性高い手厚い支援が質の高い研究を生む
AdAMSの他の領域でも支援を受けている。生理機能解析では、大城朝一助教、虫明元教授(ともに東北大学医学系研究科)に、ラットの脳波を計測してもらった。GAD65のノックアウトラットはてんかんのような発作を起こす。それを厳密に証明するためには、脳波の測定が不可欠だったからだ。
「自分たちのラボには脳波の測定装置がない。そこでAdAMSにお願いしました。脳波と行動を同時に記録し、てんかん発作を起こしている時にそれらがどう変わっているかなどを詳細に解析してもらった。論文の核になるようなデータでした」
さらに病理形態解析や、ノックアウトマウス作製でも支援を受けた。
「一つの研究室で、広い範囲の実験技術を全部カバーするのは無理です。例えば、ノックアウト動物を解析している際に思いがけない表現型に遭遇し、解決するための研究手段や新たな実験技術が必要になりことがあります。それから、若い研究者、特に独立して研究室を持ったばかりの時期だと、装置やスタッフは少なく、研究する手段、予算も限られていることが多い。自分で一からやると大変なことも、この支援によって実現できる」と若い研究者にも利用を勧める。
AdAMSを利用するメリットはいくつもあるという。一つは、研究の意図を汲み取って、一緒に考えてもらえることだ。そして信頼性も高い。実績のある、その分野の第一人者に解析してもらえる。「尋ねやすい」という点もある。若い研究者でも、支援の枠組みが定まっていれば、第一人者に尋ねるハードルが低くなるのではないかと柳川氏はいう。
また経済的な利点も大きい。たとえば実験動物の脳波を測定する場合でも、企業に頼めば動物の飼育代をはじめ、様々な費用がかかる。また通常の共同研究では相手側に研究費の負担をお願いする可能性がある。AdAMSの枠を使えばその辺りも相談しやすい。
柳川氏は、支援の上手な使い方として、AdAMSの説明会や成果発表会に参加して「こういう仕組みが使えるんだな」と情報を広く知っておくことを勧めている。すぐに利用することはなくても、後になって活かせる場面に出くわすかもしれないからだ。
「支援する側にも、自分の研究以外のことに時間と労力を割いてもらっている。支援する研究者を支える仕組みを手厚くすれば、もっと多くの研究者がAdAMSを使いやすくなり、発展させていくことができるでしょう」とも提言している。
(2022年1月14日インタビュー)
*感染対策を行い、取材・撮影を行いました。
柳川 右千夫(やながわ・ゆちお)
群馬大学名誉教授
1988年 新潟大学大学院卒業
1988年 日本学術振興会特別研究員
1989年 九州大学生体防御医学研究所 助手
1991年 米国City of Hope研究員
1994年 東北大学加齢医学研究所 助手
1998年 生理学研究所 助教授
2004年 群馬大学大学院 教授
2021年より群馬大学名誉教授