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登山中の足の痙攣

私の登山経験:
2016年1月10日に山岳会メンバーの42歳のYさん、25歳のHくん、61歳の3人で八ヶ岳の天狗尾根からキレット小屋経由でツルミ尾根を1日で回った。私は若い二人と比べる体力がないようだ。私は行程の中間点のキレット小屋で休憩した際に、両足が痙攣しそうになりレーションを食べて、魔法瓶の紅茶を200 ml程度飲んで治めた。ところが再び、頑張って歩き始めたところ、両足の大腿四頭筋が痙攣しそうになった。登るペースを落とさざるをえなかった。ゆっくり歩いていれば、痙攣は起こらずに無事下山するまで大丈夫だった。登山中の足の痙攣はなぜ起こったのだろうか?前夜飲みすぎたのかな?筋肉痙攣のメカニズムを考察して合理的な予防法と治療法を考えることにした。

呼吸性アルカローシスの病態:
登山中は一般に、呼吸が早くなり血中CO2が低下する傾向がある。アルカローシスの急性期には、代償性に赤血球中からH+が血漿中に移行し、電気的中性を保つために血漿中のK+イオンが赤血球の中に移行する。その結果、低K+血症となり、細胞膜の興奮性が高まり、筋肉が痙攣しやすくなるメカニズムが考えられる。登山中の大量発汗や、下痢による脱水でも、低K+血症の病態から筋肉が痙攣しやすくなる。今年の天狗尾根縦走で、私が足が痙攣しそうになった原因は、私が過呼吸になってたことが推察できる。ペースを遅くして呼吸が安定したら、症状は消えた。おそらく症状が消えた段階で低CO2血症=呼吸性アルカローシスが改善したのだろう。急性期のアルカローシスの病態では呼吸性であろうと代謝性であろうと、血清K+とCa2+にも変化が見られる。血漿H+が低下すると赤血球中のH+が血漿中に移行し、陽イオンの赤血球膜内外バランスを維持するためにK+が赤血球中に移行する。その結果Ca2+も赤血球中に移行するので低Ca2+血症の症状が現れる。低Ca2+血症の主な所見はEKG(心電図)上QT延長、テタニー(閾値下の刺激で筋収縮が起こる病態)、手足の痺れ感などである。(柴田昌功ら「症例による酸塩基並行入門 中外医学社 1982年より」


芍薬甘草湯のパラドックス:
芍薬甘草湯は漢方の原典である「傷寒論」に記載されている漢方薬で、筋肉の痙攣「こむらがえり等」に処方されてきた。ただし、甘草は低カリウム血症に注意する必要がある。なぜならば甘草に含含まれるグリチルリチン酸が副腎皮質ホルモンであるコルチゾールをコルチゾンに変換する酵素を阻害し、増加したコルチゾールが尿細管の鉱質コルチコイド受容体に作用してナトリウムの再吸収を促進させ、カリウム排泄を増加させるため低K+血症を生じやすいからである。 登山家自身や、この薬剤を処方する山岳診療所の医師の中には、芍薬甘草湯を処方して薬効があった印象を持っている人は多い。しかし低K+血症を生るメカニズムから考えると「こむらがえり」の予防や治療に、芍薬甘草湯を処方する気にはならない。

K+の含有量の多い干し柿の効能:
高K+血症の治療法であるG-I(グルコース・インスリン)療法は、ブドウ糖25gの水溶液(50%液50cc、10%液250cc、5%液500ccのいずれか)に速効性インスリン5-10単位を加えて持続投与する治療法である。インスリンがブドウ糖を細胞内に取り込ませる際にカリウムを一緒に細胞内へ移動させる作用を利用している。登山行動中に糖類を大量に摂取して血中ブドウ糖値が上昇すると、生理的にインスリンの分泌が促進されて細胞内へブドウ糖が取り込まれる。その際にK+も同時に細胞内に取り込まれるので、K+の細胞内移行が進み、低K+血症を引き起こす可能性がある。休憩中に摂取するレイション(行動食)は糖質が多いからインスリンの分泌刺激になる。その際にK+の細胞内移行も想定しておく必要がある。K+の細胞内移行を補填する量のカリュウムを食費として摂取する必要がある。「干し柿」などK+含有量多いレーションを使うことで、低K+血症を予防できるように思われる。


高カリュウム血症による心停止:
心筋の収縮や心筋の収縮を調節する洞房結節の興奮は脱分極(細胞内の電位が細胞外に対して負の電荷になる静止膜電位の膜電位が浅くなることをいう)により行われている。 静止膜電位は、細胞内外のカリウムの比率に依存している。正常では、細胞内カリウムが120mEq/Lで細胞外カリウムが4mEq/Lの30:1である。細胞外カリウムが6mEq/Lに上昇すると20:1と、比率が小さくなる。つまり劇的に静止膜電位が浅くなる。細胞外カリウム(正常値:3.8〜5.4mEq/L)は細胞内カリウムに比べて非常に少ないため細胞外カリウムの少しの変化は静止膜電位の劇的な変化となる。静止膜電位が浅くなると、洞房結節の興奮が伝わらず、心筋にインパルス(刺激)が伝わらない。刺激が伝わらないとは、心臓が停止を意味している。細胞外カリウムが7mEq/L以上になると7割の人は心停止で死亡する。塩化カリウム製剤をワンショットで注射すると、1,000〜2,000mEq/Lの濃度のカリウムが心臓に届くことになり心停止が起きる。したがって塩化カリウム製剤は必ず希釈をして使用する。高カリウム血症の原因は、(1) カリウムの過量摂取(野菜・芋・海草・果物)、(2) 血球の溶血、(3) 駆血帯による筋肉からのカリウムの放出、(4) 腎臓機能障害によるカリウムの排出不良などがある。使い方を誤ると治療薬が殺人薬に変わる。(ナース大学http://www.nursedaigaku.com/blog/?p=91より)

小児科医の経験:
私は30年以上も前の話になるが、小児科医師として名古屋市立大学病院と順天堂大学伊豆長岡病院の新生児センターで未熟児新生児の救命救急医療に携わっていた。亡くなられた未熟児の病理解剖に立ち会い、さらにその症例の組織標本を顕微鏡で観察した。腎臓の組織が成人の組織構造とはまったく異なってまるで肝臓実質のように見えた。未熟児の腎臓に糸球体が確認できない事実に驚いた。濾過装置がない腎臓からカリュウムを濾過することは不可能だろう。腎臓ば未分化の段階の未熟児が生まれると、血中K+量がじわりじわりと上昇して、高カリュウム血症で心停止に至る。その理由を顕微鏡を通じて見た衝撃は今も忘れられない。

結論:生理的な血中K+の変動幅は非常に小さい。わずか変動でも筋肉の収縮力に大きな影響を与える。登山中の足の痙攣は低K血症から起こる。低K血症は呼吸性アルカローシスに由来するから、マイペースで過呼吸にならぬように歩けば予防できる。もし痙攣が起こりそうになったら、休憩して呼吸を整えることが重要だ。ラムネ菓子や、干し柿を食べると効果的だろう。

2016年1月14日

三浦裕(みうらゆたか)
Yutaka Miura, M.D., Ph.D.
Associate Professor at Molecular Neurosciences
Department of Molecular Neurobiology
Graduate School of Medical Sciences
Nagoya City University
名古屋市立大学大学院医学研究科分子神経生物学准教授
所属山岳会:愛知県山岳連盟 チーム猫屋敷


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(Last modification January 14, 2016)