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ノーベル平和賞100周年記念会議から:

「現場主義」という言葉を学んで

とある国家政治代表者は「今回のテロは世界中どこに起こっても不思議ではないので、テロを国際的に封じる努力をしなければならない」との論旨の演説をしていた。私はテロを容認するわけではないが、国家権力が軍事力を背景にしたテロ封じ込め政策を推進することは、権力を持たない側のテロとの衝突を引き起こすばかりで根本的な解決策にならないように感じている。USAはNew Yorkの事件の報復措置として、事件の温床と思われるアフガニスタン攻撃を強力な軍事力を用いて断行している。これに対しては非常に強い反発が、第三世界で巻き起こっているにもかかわらず、USA国内ではブッシュ大統領は高い支持率を維持し、今回の戦争行為が正当化されていることは、当事国民の精神構造としては当然のことなのかもしれない。ノーベル平和賞受賞者と謂えども当事国民の精神構造を越えることは極めて難しい。事実、USAによるアフガニスタンの攻撃を正当化した意見を述べているアメリカ人のノーベル平和賞受賞者もいた。

パグウォッシュ会議( ジョゼフ ロートブラット)は、核爆弾がテロに使用される危険性を唱え続け、核爆弾製造の回避を検討する必要性を明確に訴えている。核爆弾製造さえコントロールすれば人類は安心なのか?決してそうではないことは今回のNew York事件でよくわかる。宣戦布告なしにアフガニスタンを攻撃したUSAの報復攻撃は、多くのアフガニスタン人の犠牲者を出した。核爆弾を使わなくとも不特定多数の人間を殺す戦争は遂行できることが証明されたようなものである。

人類という規模で世界を考える人物はノーベル平和賞者の中でも少数派なのかもしれない。少数派であっても、あらゆる戦闘行為を正当化せずに、ただひたすら平和と人類の健康を考えている、国境なき医師団(MSFインターナショナル)評議会議長 ジェームズ・オルビンスキーや地雷禁止国際キャンペーン(ジョディ ウィリアムズ)らがおられることに喜びを感じた。この人々はアフガニスタンへのUSAの攻撃を正当化せず、従来の戦争と同じく国家権力による不特定多数の殺戮として酷評している。ジェームズ・オルビンスキー曰く、「悲惨な戦争遂行に関わる命令を下す人物(政治家)が、その戦争の現場にいないことが最大の問題だ。」そこに生きる人々の苦しみを肌で知ったら、戦争などできるものではない。国境なき医師団が、病に苦しむ目の前の人々を救う「現場主義」に徹していることには心から敬服する。ダライラマは、「対話が必要である」と説いているのも、生きる人々と直接対話する「現場主義」とも解釈できるように思った。

今回、さまざまなノーベル平和賞受賞者の発言を聞かせていただいた。権力の座についている政治家に与えられた平和賞受賞者の発言が空虚で、軽々しく聞こえるのに対し、少数ながらも身を呈し現場で苦しむ人々と触れあって活動する現場主義活動家の言葉に力強さを感じることができた。今回「現場主義」というキーワードを学ばせていただき、世界平和という大掛かりな問題は、じつは一人一人の小さな人間の触れ合いから建設しなければならないことを感じさせていただいた。

しかし我々が生きている現代社会では、国際法上の基本権として国家に戦争権が認められ、ひとたび戦争を開始されると、平時には有しない交戦権(攻撃・占領・通商禁止・敵産管理を行う権利等)が国家権力者によって発動される。テロの首謀者と国家権力者は国際法上は別物ではあるが、その心理状態は国家権力者とかなり似た面があることも「現場主義」というキーワードを使うと理解できるように思う。すくなくとも双方とも身の安全が確保されて、ゲームのごとく敵陣へ兵隊を送って打撃を与える与えることに快感すら味わえる立場にある。現場の悲惨さを肌で感じることができない場所に指導者自身がいる問題点を「現場主義」の活動家は痛切に批判する。

三浦 裕
名古屋市立大学医学部分子医学研究所 生体制御部門 助教授


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(Last modification, Feb. 5, 2002)