Yutaka Miura's home page
(the third page level)

アンドロメダ星雲---鍋冠山から大滝山を経由して蝶ヶ岳へ---

美術館の外壁
碌山美術館(荻原守衛1879〜1910の彫刻を中心とした美術館)は、懐かしい場所である。初めて訪れたのは27年も前で、唐松岳から五竜岳にかけて縦走した登山の帰りに、大学同級生の信州出身の草田君が案内してくれた。ツタの緑に覆われたレンガ造りの第一展示場は、昔の姿とほとんど変らない姿で建っている。内部にある暗い色のブロンズ彫刻を鑑賞してから、美術館建物の外に出た瞬間に、明るい太陽に照らされている建物の壁面に改めて感動した。一つ一つのレンガの形状が躍動感・生命感に溢れている。荻原守衛には申し訳ないが、ブロンズ彫刻よりも、このレンガの方が造形的に面白い。

通行禁止ゲート
2010年7月16日(金)私は新築中の安曇野赤十字病院を表敬訪問して、笠原課長と澤海病院長にご挨拶をした。お二人には1998年の名古屋市立大学蝶ヶ岳ボランティア診療所の開設以来12年間お世話になっている。
2010年7月17日(土)晴れ。午前5時にファインビュー室山からタクシーに乗り、三郷ハイウエーで展望台まで登った。午前5時30分から登山開始。鍋冠山〜大滝山経由で蝶ヶ岳に向かった。鍋冠山経由の登山ルートを登る人は非常に少ない。その理由は、単純に長い道程で山頂まで時間がかかるので登山客に敬遠されているだけだと思っていた。しかし、登山の途中で「許可なく車両や歩行者の通行を禁止します」とはっきりと書かれた看板をみつけた。この看板は、タクシーを下りてから林道を1時間ぐらい歩いてきた地点に設置されている。こんな山奥で「歩行者の通行を禁止」されても引き返すことはできない。看板を無視して自己責任で進むことにした。

鍋冠山への登山道は「歩行者の通行を禁止します」の表示が出ているけれども、かなりよく整備されている一般登山ルートと考えてよいだろう。二カ所、大木が倒れてルートを塞いでいるのを乗り越えることに多少苦労したが、それ以外のトレースは明確で何ら問題はなかった。ただしクマと遭遇する危険性は高い。クマが掘ったと思われる爪跡付きの堀跡がいっぱいみつかった。周囲から動物臭が漂っているクマザザがなぎ倒されている窪地もあちこちにみつかる。私は心の中でクマとの遭遇を思いながら恐る恐る歩いていると、突然足下からキジが飛び出して、驚かされた。「感時花濺涙 恨別鳥驚心」

クマの足跡とヒトの足音
八丁ダルミを超えて大滝山へ登る途中で20名ほどの迷彩服の自衛隊員が下山する所に遭遇した。それまで静かな山中で、一人でクマに出合うかもしれないと思って緊張しながら登っていたのだが、物々しい姿で通過していった人間の匂いで、大自然の中に一人でいる緊張感がいっぺんに吹っ飛んでしまった。最後に降りてきた二人の衛生隊員と言葉を交わした。常念小屋の信州大学の診療所活動にはよく参加されるそうだ。私が蝶ヶ岳ヒュッテの診療所に向かっていることを話すと、「名古屋市立大学の方ですね」と、ボランティア診療所のことをよくご存知だった。

二つの空間
稜線に出れば、目の前に槍穂高連峰の絶景が広がるはずだったが、今年は視界がゼロで、上空でゴロゴロ、ゴーと雷が鳴り始めた。やがて大粒の雨が降ってきた。「妙に体に当たる雨が痛いな」と思って地面をよく見ると、雨粒は白い氷の粒(直径3〜4 mm)に変っていた。霰である。真上に積乱雲ができている状況証拠である。自分が雷雲の直下で、ジュラルミンのストックを2本もって稜線を歩いていると思うと、生きた心地がしない。
 雷雨が過ぎ去ると、常念の東側だけに雲海が広がって、ちょうど稜線が「天と地」を左右に分けるような印象になった。雪渓を抜けると満開のシナノキンバイの群落が広がっている花畑に出た。ここに至るまで鍋冠山の登山口から登り始めてから既に10時間が経過していた。太陽に照らされて輝いている一面の黄色い花々を見て、自分がクマにも遭遇せず、雷に打たれないで無事に蝶ヶ岳まで到達できた安堵感が広がった。

雷雲が過ぎ去ってからできた雲海の中に、ブロッケン現象を見つけて登山客らは大喜びだった。(2010年7月17日梅雨明けの日、蝶ヶ岳ヒュッテ横のテラスにて)。

アンドロメダ星雲
2010年7月18日(日)快晴。準備班(南木那津雄、佐藤裕也、木下珠希)3名は常念小屋の信州大学診療所を表敬訪問のピストンをした。学生諸君は随分疲れたと思うが、この縦走路を通過する登山客らの気持ちを心底理解できるようになったことだろう。夜は満天の星空となった。上弦前の月が沈む午後10時頃になって東の空に木星が昇った。とても明るい星で心を惹かれる。400年も前にガリレオ・ガリレイも心を惹かれてこの星に夜な夜な望遠鏡を向けたのだろう。ガリレオは4個の衛星が木星から離れたり、近手づいたりする直線上の位置変化を精密に観測して、等速円運動を横から眺めている現象として理解した。この理解から、地球が太陽の周囲を公転する天動説が生まれた。不可思議な現象のメカニズムを理解できた「発見」の喜びは格別素晴らしいものだったと思う。視界の広い山頂では、星座の全体の形がはっきり観察できるので、地平線付近での星空の動き(地球の自転)をはっきりと感じることができる。私は、北東の低い空に、秋の星座アンドロメダ座が昇ってきたのに気がついた。星座を構成する4つ星が緩やかに描く弧の内側にアンドロメダ星雲(M31)が見えるはずだ。中学時代(40年前)に覚えたその方向にファインダーを向けると、予測通りに異質な光が目に飛び込んで胸がときめいた。40年の歳月は微々たるもので、星の位置が変化するはずはないし、星を見る自分の感性もそれほど変らないようである。星はいつみても本当に美しい。主鏡で確認すると、銀河系内の星の輝きとは異なる、薄ぼんやりと紡錘形の面積を持つ渦巻き型星雲が確認できた。M31は230万光年離れている銀河系とは別の小宇宙である。天体望遠鏡を使うことで、銀河系に含まれる恒星と銀河系外小宇宙との異質な輝きを区別する時空を超えた旅ができる。

下山
2010年7月19日(月)快晴。医学部3年生の五藤智子さん、4年生の蟹江崇芳君と一緒に3人で下山した。途中で準備班と交代で入山する1班の学生4名(玉腰、小山、柴田、渡辺)や軽快な姿の赤津裕康先生と川合さんのパーティに出会うことができた。ところで小山君のリュックには、何とフグ(Tetraodontidae科の魚)の水槽がぶら下がっているのには驚いた。低酸素の山頂でヒトが高山病になると「頭痛」を起こすが、フグの場合には「腹痛(ふぐ痛)」を起こすだろう(冗談)。

三浦 裕
名古屋市立大学蝶ヶ岳ボランティア診療班運営委員長
名古屋市立大学医学部分子医学研究所分子神経生物学(生体制御部門)准教授


蝶ヶ岳ボランティア診療班ホームページへ
To Top menu of Yutaka Miura's Home Page

連絡先:

(Last modification, July 21, 2010)