我国の妖怪は多く支那より入り来たり、真に日本固有と称すべきものは甚だ少なし、余の想定するところによるに、我国今日伝はる妖怪種類中七分は支那伝来、二分は印度伝来、一分は日本固有なるものの如し…と述べ、日本の妖怪の七割もが中国伝来であるとしている(1)。この七割という数字は定かではないにしても、きわめて多くの妖怪が中国から伝わってきているようで、たとえば日本でも馴染みの深い、天狗や山姥なども中国出身であるといわれる(2)。
このように、日本の妖怪の原型となった中国の妖怪に興味を持ったことが、このテーマを取り上げる最初のきっかけとなったのだが、本稿ではその中でも「女妖怪」を扱うことにした。それは「女」というものが様々な面において、目立った特徴を持つからである。たとえば、女性は出産・月経など男性が持たない生理機能を持つことによって、男性よりも強く生物学的条件に支配されているといえる。また、男性に支配され、抑圧される側の女性は、感受性が強く怨念を抱きやすいことから、恐怖感の強い妖怪に転化しやすいと考えられている。このように際立った特徴のある女性は、妖怪にもはっきりした特徴があらわれるに違いない。
妖怪というものは、その行動や特徴が人間の持つ欲望や恐怖などの様々な心理を表すのに利用されていると考えられるため(3)、女妖怪には女の霊力に関するものや女に求められていることが秘められているはずである。
さて、このようにして中国の妖怪、さらにその中の女妖怪に注目したところ、後述のように女妖怪には、水に関係するものの占める割合が高いということが浮かび上がった。それは、恐らく水と女に何か関係があるからではないだろうか、そう考えたことから、女妖怪にあらわれた女と水の関係を明らかにするという本稿の目的を得たのである。
次に、ここで本稿の展開の仕方について述べておくと、まず一章では、妖怪の定義をこれまでの妖怪研究とあわせて述べたうえで、本稿で扱う妖怪の定義を明らかにする。さらに、集めた資料の内容を表に示し、本稿の基礎をつくる。
二章は本稿の中心となる章で、女妖怪を扱う。その方法として、水の形態ごと(雨、川、泉、池・湖、海)に女妖怪の特徴を挙げていくという形をとることにした。それは、同じ水といっても、あらわれる形態が異なると水のイメージや役割も変わるため、それが女妖怪に与える影響も異なると考えたからである。
三章では、女妖怪の特徴と比較するために水に関する非女妖怪を扱う。そして最後に、以上から得られた結論をまとめ、女妖怪にあらわれた女と水の関係を明らかにしていくという形で展開していく。
なお本稿ではすべて常用漢字と人名用漢字に従い、それらにないものは正字を用い、人物の敬称は略した。
そこで、ここでは「神」や「鬼」との関連を考慮しながら、これまでなされてきた妖怪研究の例をいくつか挙げ、その上で本稿における妖怪の定義づけをしてみたい。
次に「妖怪」という単語で見てみると、「人知では解明できない奇怪な現象または異様な物体、ばけもの(5)」とある。つまり、それぞれの漢字からみても単語としてみても、「妖怪」とは、怪しく不思議なもので、普通では考えられない異常な事物であると考えられているようである。
そしてここで問題になるのは、「神」「鬼」「鬼神」「ばけもの」など、「妖怪」と同じく人間が生み出した存在の位置づけである。そこで、これらの単語の意味を辞書からいくつか取り上げてみると次のようになる(6)。
[神]@人間を超越した威力を持つ隠れた存在。人知を以てはかることのできぬ能力を持ち、人類に禍福を降すと考えられている威霊。人間が畏怖し、また信仰の対象とするもの。A神社などに奉祀される霊。B人間に危害を及ぼし、怖れられているもの。
[鬼]@天つ神に対して地上などの悪神邪神。A恐ろしい形をして、人に祟りをする怪物。もののけ。想像上の産物。
[鬼神]@死者の霊魂と天地の神霊。人間の耳目では接しえない、超人的な能力を有する存在。A 荒々しく恐ろしい鬼、ばけもの、へんげ。
[ばけもの]@狐・狸・猫などが化けて怪しい姿をしたもの。へんげ妖怪、おばけ。A普通では考えられないことをするもの。
以上のように、これらの例にはプラスイメージ、マイナスイメージといった、それ特有の意味があるにしても、意味が共通している部分もあるということが分かる。つまり結論的には、それらを完全に区別することはできないと言えよう。
「妖怪」がどのような性格を持つもので、人々の精神構造上にどのような影響を及ぼしどのような世界観を作り上げることになったかを研究する学問は「妖怪学」と呼ばれる。その「妖怪学」は、あまりにも難問すぎたので敬遠されたのか、それとも取るに足らないものとして無視されてきたのか定かではないが、これまで民俗学や歴史学の領域において中心的テーマとはなりえず、体系的な研究は皆無に等しいとされている(7)。
しかし、「妖怪」の定義に関しては語られることも多いようである。そのうちのいくつかを挙げてみたい。
まず冒頭にも引用した井上円了は、「妖怪」を定義するには何を不思議といい、何を異常というのかを解説しなければならないが、その以上や不思議の基準は一定ではなく、人の知識や思想によるとしている(8)。そして、それらの不思議であるとされる現象を科学的と称して調べていき、結果的に迷信の産物として排除してしまっている(9)。
これに対して柳田国男は、「妖怪」は迷信の産物ではなく、「神」の零落したものであるとしている(10)。しかしさらに、それに対しても小松和彦が批判を加え、「妖怪」から「神霊」へと上昇するものもあったろうし、「妖怪」として文化のなかに登場し、「妖怪」のまま文化から退場していったものもあると考えるべきだとしている(11)。
小松は「妖怪」について、次のようにいう(12)。
「妖怪」とは、世界に生起するあらゆる現象・事物を理解し秩序づけようと望んでいる民族社会の人々がもつ説明体系の前に、その体系では十分に説明しえない現象が出現したとき、そのような理解しがたいもの、秩序づけができないものを、とりあえず指示するために用いられる語である。・・・つまり「妖怪」とは正体が不明であり、正体が不明であるがゆえに遭遇者に不思議の念、不安の念を抱かせ、その結果「超自然」の働きをそこに認めさせることになる現象・事物を広く意味しているのである。また、「妖怪」と「神」との区別に関しては、祭祀された「妖怪」が「神」であり、祭祀されぬ「神」が「妖怪」であると述べている(13)。
さらに、中野美代子は「妖怪」を「現実に存在する人間や動物や植物や、ときには鉱物などが、その現実の形態や生態をこえて、人間の観念の前に現前するもの(14)」とする。一方、宮田登は「妖怪」とは、一般に人々の共通心意にもとづいた、幻覚とか幻聴から説明されてくる現象であり、共同幻覚とか幻聴を通して不思議なものを認めようとする場合に「妖怪」としてイメージされたのであるとしている(15)。
以上のように、「妖怪」は各人によって様々に定義づけされており、それを統一しようとすれば、先に挙げた辞書の例のように曖昧なものにならざるを得ないようである。そもそも、不思議なものや異常なものに定義をつけようとすること自体が無理なのかもしれない。
一般に「妖怪」は漢字のイメージからか、後者の狭い定義のものとしてとらえられているようだ。しかし本稿では、女妖怪にあらわれた女と水との関係を明らかにすることが目的であり、善悪にこだわらず全体の傾向を見る必要がある。そのため、前者の広い定義での「妖怪」を扱うことにしたい。
以上のことから本稿における「妖怪」は、あえて「普通では考えられない異常な存在や事物」とだけ定義しておくことにする。そのため、ここで使用する「女妖怪」という単語には、善悪にかかわらず、女に関係する異常な現象や普通では考えられない存在が含まれるということになる。
【表1】 女・非女妖怪と出典の時代(出典が明らかな436妖怪)
性別 | 漢 | 三国 | 晋 | 南北朝 | 隋 | 唐 | 五代・十国 | 宋 | 元 | 明 | 清 | 計 |
女 | 11 | 0 | 19 | 5 | 0 | 14 | 0 | 9 | 0 | 10 | 15 | 83 |
非女 | 27 | 0 | 42 | 8 | 1 | 25 | 1 | 27 | 2 | 150 | 70 | 353 |
計 | 38 | 0 | 61 | 13 | 1 | 39 | 1 | 36 | 2 | 160 | 85 | 436 |
【表2】 女妖怪と内容の水・非水(集計した490妖怪)
性別 | 水 | 非水 | 計 |
女 | 53 | 80 | 133 |
非女 | 45 | 312 | 357 |
計 | 98 | 392 | 490 |
【表3】 水関連妖怪の女・非女妖怪と出典の時代
性別 | 漢 | 三国 | 晋 | 南北朝 | 隋 | 唐 | 五代・十国 | 宋 | 元 | 明 | 清 | 計 |
女 | 6 | 0 | 16 | 4 | 0 | 8 | 0 | 6 | 0 | 1 | 5 | 46 |
非女 | 5 | 0 | 14 | 1 | 0 | 3 | 0 | 4 | 0 | 12 | 3 | 42 |
計 | 11 | 0 | 30 | 5 | 0 | 11 | 0 | 10 | 0 | 13 | 8 | 88 |
さてここで、本稿の基礎となる資料の全体像を明らかにするため、集めた資料(16)〜(24)を表に整理しておきたい。〈表1〉では集めた四九○の妖怪のうち、出典が明らかになったもの四三六を、女と非女(男と性別不祥またはなし)に分けて時代別に表した。〈表2〉では、出典不明のものも含め四九○の妖怪を、性別そして内容別(水に関係するか否か)で分類してある。〈表3〉では、水関係の妖怪を性別時代別に分けて表した。これらの表より、女妖怪には水に関係する割合の高いことが明らかだろう。
なおここに集計した妖怪は中国の妖怪のごく一部であろうし、時代的偏りがないとも言えない。しかし、神話や志怪などさまざまなジャンルから妖怪を取り挙げたため、代表的なものは概ね含んでいると考える。そのため、全体の傾向を反映していると推量していいだろう。
さて中国の女妖怪には、妊娠・出産または女の怨念に関するものが多く見られるのだがそれは女妖怪というものが、どうも先に挙げたような特徴を利用できる存在であるからだと考えられる。つまり女妖怪とは、妖怪という不思議なものにあえて女という性を関わらせているので、疑いなく女を意識した存在であり、そのため女の特徴が表出した妖怪が多くなるのである。
それでは、水に関係する女妖怪にもそのような傾向が見られるのだろうか。この章では水関係の女妖怪を水の形態ごと(雨、川、泉、池・湖、海)に五分類し、それぞれにおける女妖怪の特徴を挙げていく。それによって水関係の女妖怪の特徴、さらに女妖怪にあらわれた女と水の関係を明らかにしていきたい。
『春秋左氏伝』「僖公廿一年」には次のようにある(26)。
夏に、大旱魃があった。そこで僖公は雨乞いをさせた巫{兀+王}を焼き殺そうとした。
ここにある巫{兀+王}とは女巫のことで、祈祷して雨を請うものである。これに類似した記述が『山海経』の海外西経と大荒西経に「女丑」という名で登場している。
女丑の尸、生まれると十個の太陽がこれを炙り殺した。丈夫国の北にあり、右手でその面をおおっている。十個の太陽が上にあり、女丑は山の頂きにいる(27)。人あり、衣は青く、袂で面をおおっている。名は女丑の尸(28)。
この二例は共に、太陽を恐れる女丑の姿を描き、女丑が雨乞いのために日にさらされて死んだことを示している(29)。女丑とは巫女のことで、古代では巫女に旱魃の扮装をさせ日にさらしたり焼いたりすることによって、「旱魃」が祟るのを防ぎ、雨を降らせることができるとされていた(29)。
さらに旱魃もまた「女魃」という女妖怪である。『山海経』大荒北経によると、女魃は黄帝が蚩尤と戦ったときに、蚩尤軍の引き起こす大風雨を治めたという治水神でありながら、時々逃げ出して各地に災害をもたらし、人々に追い払われたり殺されたりする対象となった天女であるという(30)。しかも天女であるというのに、その姿は裸で一つ目、風のように走るなどとも伝えられている(31)。
旱魃に関しては、『平妖伝』第一七回の「月孛の法」という雨乞いの法の中で次のように語られる(32)。
奴の行なうのは月孛の法とか申し、諸方から懐妊中の女の生年月日を報告させ、道姑が占いあてましたものを魃母と称し、腹の中に旱魃の魔物を孕んでおるからといって女を連れてこさせます。そこで女の着物を剥いでまっ裸とし、戸板のうえに寝かせて両手両足と頭髪とを水をいっぱいにしたたらいに浸します。一人の仙官が髪を振り乱し剣を突き、右足で女の腹をふまえると、口では何やら分からぬ呪文を唱えます。運の悪いその妊婦は、七転八倒の苦しみをいたしましたが、空には雲の影さえもなく、日も暮れましたので、祈祷は解散となります。以上のように、女は自らの霊力のために呪術の犠牲になることが多いようである。日本には女相撲という見世物があり、それは物理的な力の対決よりも女が裸体をさらすことによって、水神による降雨を期待していたという。女相撲の基礎には、女の霊力が秘められていると推察され、これが農耕社会に危機をもたらす日照りの際に、雨乞いの呪力へと転換させられているのである(33)。
日照りに苦しむ人々は、雨を降らせるためなら手段を選ばない。それゆえ、請雨呪術の道具として、身近にいる霊力を持った存在がいるならそれを、つまり女を利用することになるのは当然のことであろう。
盧江郡竜舒県の川岸に、高さ数十丈もある大木が生えていた。ある時日照りが長く続き、土地の古老たちは、その木の神霊に頼ることにした。 一方、この村には、李憲という寡婦が住んでいて、ある晩夜中に起き上がると、部屋のなかに一人の女が現れ、「私は樹神の黄祖で、雲や雨を起こすことができるのです。・・・明日の昼には大雨が降ります」と言った。 そして翌日予告された時間になると、果たして大雨が降ってきた。さらにその後、竜舒県に戦乱が起こったときも、その樹神が憲の住む村だけを助けてくれた。この話では、とくに性の設定が必要ない「樹木に宿る神」を、あえて女であるとしている。その神は雨を恵み、その後も村人を守るというやさしい性格を見せている。一方、女に設定されない樹の精や神が『玄中記』や後述の『捜神記』(35)に見られるが、その性格は概して凶暴に描かれる。どうも女という性には独特のイメージがあるらしい。
雷神・雷雨に関する女妖怪はどうだろうか。『捜神記』巻五には次の話が見える(36)。
義興県の周という人が、都から村に行く途中で日が暮れてしまった。道傍に草ぶきの家があり、門に年の頃一六、七の美しい女が立っていた。周が泊めてくれるように頼むと、女は承知して食事をもてなしてくれた。 やがて夜になると、外で「阿香、阿香」と呼ぶ声がして、「お役人が雷車のあと押しをするように言っているよ」と言う。すると、女は周に「これから用があるので失礼します」といって立ち去った。その夜激しい雷雨があり、翌日夜の明ける頃周が作夜泊まった場所を見ると、ひとつの新しい墓があった。『太平広記』巻三九五所引の『稽神録』にも次の話がある(37)。
番禺のある村で、老婆と娘が昼食をとっていると、にわかに土砂降りとなり真っ暗になった。雨が上がると娘の姿がなく、老婆は必死に探したが見つからなかった。それから一ヵ月ほどたった昼日中に、再びあたりが暗くなり、娘がきれいに着飾って現れた。老婆は狂喜して娘を迎えたが、娘は「私は雷神の妻になりました。こうして挨拶に帰ってきましたが、もう二度と帰ってくることはありません」と言い再び去って行った。この二例では、どちらも女が雷神という主体ではなく、それに所属する存在として描かれていることに注目したい。それは雷の音や落雷の恐怖などが、雷を力強い存在(少なくとも女ではない)を連想させることに由来するだろう。つまり、結びつくもののイメージによって女妖怪の役割が決められた例である。
以上から、その二で挙げた例は、雨の役割や雰囲気などのイメージによって生まれたと括ることができよう。このような雨のイメージを背景にした物語は時代が下るにつれて増えており、七夕伝説で七月七日に降る雨を「織姫の涙」などというのもこの類である。以上の雨に関する女妖怪を分析すると、呪術に利用されるものと、雨のイメージによるものという、二つがその特徴として挙げられた。
契の母親の簡狄は有 氏の長女である。尭帝の時代に、妹と一緒に玄丘の川に出掛けていき水浴びをした。そこに、玄鳥が卵を口に銜えてやってきて落としていったのだが、その卵の彩りがあまりに鮮やかで美しかったので、簡狄と妹は我先にそれを取ろうとした。簡狄はそれを手に入れると、口に含み、誤って飲み込んでしまった。そのあとになって契を生んだのである。『呂氏春秋』本味篇には次のような話も見える(39)。
有佚氏の婦人が、ある日桑の木の空洞に赤子を見付けた。その児の出生に関して次のような話がある。 ある女が伊水の浜で身篭もったとき、夢の中に神が現れて「もし臼から水が湧き出たら東に逃げよ。ただし決して振り向くな」と言った。翌日、臼から水が出たのを見ると、その女は隣居の人にもそれを告げて一緒に逃げた。十里ばかり走ったところでつい村を振り返ってみると、村は水の底になっていた。そして、振り返るなという神の戒めを破った女は、そのまま空洞のある桑の木に変わったのである。このように伊水の畔で妊娠して生まれた児であるので、伊尹と名付けた。以上の河川と英雄の出生に関わる話には、水を治めることが天下を治めることになる、という背景が窺えよう。次の水棲動物と母に関する話も合わせ、これに考察を加えてみたい。『捜神記』巻十四の話である(40)。
魏の黄初年中のこと。宋士宗という人の母が、行水をすると言って長い間一人で浴室に閉じこもっていた。家族が不審に思って覗いてみると、桶の中に大きなすっぽんがいるだけであった。家族はたいへん悲しんだが、数日してすっぽんは水のなかに入ってしまった。それから幾日か過ぎたある日、すっぽんは再び姿を現して家のまわりをうろついていたが、また水のなかに去っていった。類似した話は『捜神記』巻十四にさらに二つ(41)、『捜神後記』にも、川岸で衣を濯いでいるときに妊娠した娘が、蛟の子供を生むという話がある(42)。
川を舞台にした妊娠出産や母に関する話が多く見られるというのは、先の英雄出生譚も含め、それらが「単なる場所としての川」よりも、「恵みをもたらす存在としての川」を重視したためと考えられよう。無論それは、生命を生み出す存在である女と関係があるに違いない。
私は都から東国に帰ろうとして景山に登った。日は西に傾き、車も馬も疲れ果ててしまった。そこで馬に草をやり、くつろいで洛水を見渡していると、一人の美人が岩の畔にたたずんでいる。そこで御車に「こんなにも美しい人は何者だろうか」と尋ねると、「それは洛水の神の{宀+必}妃でありましょう。その様子はいかがでしたか。お聞かせください」と言った。この後、彼が見た女神の容姿・衣裳・表情・言葉遣いなどが語られていくのだが、注目したいのは、美しい女神が真夜中の川でも荒れ狂う川でもなく、夕暮の川で目撃された点である。すると川の美しさと{宀+必}妃の美しさには関係があるように思われるが、もう少し例を挙げておこう。
『列女伝』には、漢水のほとりに姿を現した二人の美女(長江と漢水の女神)が男を惑わせる話がある(44)。『三峡録』には高唐に住む美しい女神が、川で魚になって泳いでいるところを男に釣り上げられて、その男と夫婦になるという話が見られる(45)。
すなわち川に現れる女妖怪には美しい例が多く、やはり川と女の美しさには繋がりがある。美しい所に美しい女が現れるというのは当然の発想であるから、両者の相関は疑いないとみていいだろう。
そして以上より川に関する女妖怪には、川の母なる豊かさや美しさなど、川のよいイメージがあらわれていることを明らかにしえた。
『太平御覧』巻四の引く『遁甲開山図栄氏解』には次のような話が見える(46)。
ある日の夕方、女狄が石紐山の麓の泉で水を汲もうとして、鶏の卵に似た月の精を見つけた。なんとも愛しいのでそれを呑み込んでしまった。やがて女狄は懐妊し、十四ヵ月たって禹を生んだ。泉の湧き出る様子は生命力をイメージさせるため、泉が命の女神と結び付けられることは珍しくない。この女神は、人間に生命と健康を与え、湧き出る泉の水を保障すると考えられてきたが(47)、当発想が泉での妊娠譚を生み出すもとになっているのだろう。類似した話は『古小説鉤沈』所引の『占経』巻七一にも見える(48)。
陳郡の袁真が予州にいたとき、三人の舞姫、阿薛・阿郭・阿馬を桓温に献上した。それからしばらくたった後、この三人が桓の屋敷の庭で眺めていると、流星が真っすぐ墜ちてきて、水を張った鉢に入った。阿薛と阿郭がひしゃくで交互にそれを汲み取ろうとしたが、どうしても取れない。代わった阿馬がやると、それを汲み取ることができた。これを呑むと妊娠したように思われ、こうして生んだのが桓玄である。当説話に泉は現れないが、鉢が泉の代わりとなっていると思われる。鉢は土器で、土器は水と豊穣の成果の容れ物であり、豊かさの象徴だからである。ヒンドゥー教では壷が女神の御神体として扱われており、水をたたえた壷は子宮、その中の水は羊水であるとされている(49)。当説話の鉢にも、そのようなイメージがあるに違いない。
宣城県蓋山に舒姑泉という泉があった。伝説によると、ある日舒という男とその娘が森に薪を採りにいった。すると、突然娘が地面の上に吸い付けられたように動けなくなった。父は大慌てで家に駆け戻り、皆と一緒に娘の所にやってきたが娘の姿は見えず、そこには滾々と泉が湧き出ていたという。また『古今図書集成』職方典巻三○六には、大原の晋祠に祀られている聖母にまつわる一種の弘法泉型説話が見られる(51)。
この他にも泉に関する伝説は中国各地に多く分布しているが、そのモチーフとなるものに統一性があるとは言えない。しかし、その中で女のあらわれたものに注目してみると、そこには女の「生命を生む力」が関わっているように思われる。
以上より、泉に関する女妖怪は豊饒のシンボルである「泉」と、もうひとつの豊穣のシンボルである「女」の共通イメージが結びついて生まれた、と言えよう。
むかし、田崑崙という男がいた。彼の家はたいへん貧しく、まだ女房ももてずにいた彼の家の傍らには、たいそう水のきれいな池があった。穀物の実る頃、崑崙は野良仕事に出掛けたが、その途中、池で三人の美しい女が水浴びしているのを見た。・・・それらの美しい女はじつは天女であった。これは日本の天人女房譚に非常に近いが、考察を加える前に『捜神記』巻十四からその原型となった話の概要を以下に示す(53)。
豫章郡に住む男が田の中で六、七人の娘を見かけた。皆毛の衣を着ていて、鳥か人間か分からない。そばまで這って行き、一人の娘の毛衣を隠してから、さっと近寄って捕まえようとした。すると、鳥たちは皆飛び去ったが、一羽だけは逃げることができない。男はそれを女房にし、三人の娘を産ませた。 しかしその後、女は毛衣が稲の束の下に隠してあることを知ると、それを身に着けて飛び去って行った。それから女は娘を迎えにきて、皆飛び去ってしまった。両説話での注目すべき設定の違いは、女たちがいる場所が前者は美しい池で、後者は田圃であること。その女の正体が前者では美しい天女、後者では単なる鳥の毛衣女、の二点である。
両説話の歴史的変遷を見ると、晋の頃までに記録された天女は毛衣女で、飛翔と変身の機能を備え、時には鬼鳥と混同されるほどの存在であったが、唐の頃には天女に変わる。しかし依然として鳥類であり、衣を着ると鳥になって飛び去る。そしてそれ以降は、女は織女や仙女などと呼ばれるようになり、変身の機能は失われ飛翔の機能のみが残ったと言われる(54)。つまり、時代が下るにつれて人間化していると言えよう。
しかしここで問題にしたいのは、先の二例の相違点の関連である。ただの毛衣女が美しい天女になると、その女が現れる場所も田圃から美しい池に変わっているのだから、女と水の美しさには関係があると言えるのではなかろうか。
また『博異志』には洞庭湖で宴をひらく美女が見られる(55)。「天女に関係のある地は、風光明媚な清浄地に限られている(56)」ことからも、女の美しさと場所の美しさには繋がりがあることが窺えよう。
ここからさらに南にいくと、女子国に至る。この国の人はすべて女性であって、男性は一人もいない。年ごろになった少女は黄池に行って水浴びすると懐妊する。前節でも述べたが、このような話は「生命の象徴たる水の豊かさ」と、「女の生命を生む力」との関わりから生まれたものだと考えられる。
『捜神記』巻四には次のような話も見える(58)。
むかし、盧陵県の欧明という者が行商の途中、彭澤湖を通るたびにお供え物として、船に積んでいる品物を少しずつ湖のなかに投げ入れていた。数年たって湖を通ると、数人の役人が近づいてきて「青洪の殿があなたから何度も挨拶の品を頂いたお礼にお招きします」と言った。そして「殿はたくさんのお礼をなさるでしょうが、すべて断って如願をお求めになりなさい」と加えた。・・・如願とは青洪神に仕える女で、彼女に命じれば欲しいものは何でも手に入った。如願を手に入れた欧明は、数年のうちに大金持ちになった。ちなみに唐代の代表的伝奇「柳毅伝」では、柳毅という男が洞庭湖の竜女と結婚することで美しい妻・長寿・男子・社会的地位という人生最大の願望をかなえている(59)。これは水の持つ豊かなイメージが水界に莫大な富があると思わせることから生じた話といえよう。以上の例から、池・湖に関する女妖怪の特徴も川と同じく、美しさや豊かさなど女妖怪の関わる場所のよいイメージがあらわれたものが多いと言えるのである。
莫州莫県の県城から西北四十五里の所に{赤+オオザト}姑を祀る祠があるが、伝説によると{赤+オオザト}姑は字を女君といった。ある時、近所の人たちと川の畔で蔬菜を摘んでいると、青い衣を着た童児が現れ、「東海の神が女君を奥方として迎えにまいりました」と言った。女君は「おかげで水仙になれます。心配しないでください」と言い残し、童児と川を下って行った。そして毎年四月になると、彼女は水仙になった証として刀魚を送ってきたのである。このことは今でも続いていて、毎年四月にはたくさんの刀魚が川を遡ってやってくる。このためこの地方の人々は女君を祀るようになった。当該説話はある自然の現象を説明するために生まれており、それが現在にまで伝わってきたのであろう。そのことが「女」を通して語られていることに注目しておきたい。
また、『述異記』と『捜神後記』には次のような話が見える(61)。
謝端は働き者であったが、まだ妻がいなかった。あるとき海岸で螺を見つけて家に持ち帰り、壷のなかに置いておくと、夕食や湯の支度ができているなど不思議なことが続いた。そのため外出したふりをして家を見張っていると、見知らぬ婦人がいたのでその女を問いただした。すると女は、「私は白水の素女です。天帝に遣わされてきましたが、正体を知られてしまったのでもうここにはいられません」言い、「欲しいものはこの殻から手に入ります」と殻を残して去って行った。右の話は出典により設定が少しずつ異なるが、あらすじは変わらない。これらの例は、海の持つ豊かな豊穣が女妖怪にあらわれた話であると言えよう。
海の人魚はほぼ人と同じ姿をしており、眉毛、目、口、鼻、手、足がすべて揃い美しい女である。皮膚が玉のように肌理細かくて白く、酒を少し飲ませると全身が桃色がかる。髪の毛は馬の尾に似ていて、長さは五、六尺ある。人魚は中国だけでなく、世界中で(イギリス伝説のマーメード、ドイツ伝説のウンディーネ、フランス伝説のメルジアなど)(63)語られている。広大な海の美しさが、東西を問わず人間に同じような想像をさせるためであろう。
他方、美しい海神が『稽神録』(64)や『集説詮真』の引く『古今説海遼陽海神伝』に見える(65)。海に現れる女妖怪は、多くが美しいのである。すべてを呑み込み、永遠に清らかな海の中には、想像もできないほど美しいものがあると考えるのは当然であろう。
さらに「北宋の初期、極めて限定せられた一地方神として発生した天妃は、やがて其の具有する特殊な環境に誘導せられて、元初の頃には既に沿岸支那における普遍的な海神に発展していたのであるが、併し其とともに此の女神にはあく迄も原初の信仰形態が存続されていた」(67)という。つまり天妃は長い間、基本的性質を変えずに伝えられてきたのである。
この女神の性質が変わらないというのは、天妃の霊力、つまり女の霊力への信仰心が根本的に人々の中に備わっているからではないだろうか。日本では船霊の御神体として船に女の髪の毛を祀っているが、それは女が持っている巫女としての能力を神聖視することから生まれたものである。この関係はこの天妃にもあるに違いない。
以上より、海に関する女妖怪の特徴には川や池と同じく、豊かさや美しさなど女妖怪の関係する場所のよいイメージがあらわれたものが多い。また例が少ないため特徴とまでは言えないが、雨に関する女妖怪と同じく女の霊力があらわれたものもいることが明らかになった。
雨の節では「その霊力のために請雨儀礼の呪術に利用されるもの、雨のよいイメージによるもの」、川と池・湖では「それがもたらす豊かな恵み、または水や風景の美しさがあらわれたもの」だった。泉では、「生命力の象徴たるイメージがあらわれたもの」、海では「川や池などと同じく豊かさや美しさのあらわれたもの。また、霊力によって人を助けるもの」という特徴が見られた。
これらをさらにまとめると、水関係の女妖怪には、
@状況の改善に使われる女の霊力
A水の形態ごとのよいイメージ
が投影されていると言えよう。女は本来、恐怖感の強い妖怪に転化しやすいとされる。ただし水が関係する女妖怪は、おおむね善なるものとして描がかれることを本章の結論として挙げたい。
なお、女妖怪に対して男妖怪としなかった理由は、女妖怪の場合は資料の中に妻・母など女を表す記述があるが、非女に関してはそのような表現が見られず、性を確定できないためである。
赤松子というのは、神農の頃の雨師であった。水玉を服用してこれを神農にも教え、火のなかに入ってみずから焼くことができた。崑崙山に赴き、いつも西王母の石室に宿り、風雨につれて山を上下した。炎帝の末の娘が追ってきて、これまた仙人になることができ、二人とも姿を消した。赤松子は高辛氏の頃になって再び雨師になった。今の雨師というのはこれに基づいている。雨師というのは雨を降らせる神のことだが、この話では「人間」が修業をして仙人となり雨を降らせることが可能になったと考えられる。その力を最初から有していたのではないことに注目しておきたい。また、『捜神記』巻一には次のようにある(69)。
あるとき呉主孫権が高殿に座っていると、雨乞いの泥人形を作っているところが見えた。帝が「民は雨を願っているのだが、うまくいくだろうか」と言うと、玄は「雨などおやすい御用です」と言い、呪文を書いて社のなかに貼りつけた。ほどなく天地は真っ暗になり、大雨がどっと降ってきて水は地にあふれた。この他『西遊記』には、雨乞いの法で王を信用させた三人の仙人(第四四回)、孔雀に乗り雨を祈る仏の化身(第七七回)が描かれ、『三国志演義』には雨を降らせる術を持つ干吉仙人が登場する(第二九回)。
以上のように、雨に関係する女妖怪と非女妖怪は性質が大きく異なる。女は霊力という潜在的力が請雨呪術に利用されるが、非女は術を使って雨を降らせるのである。これは大陸伝来の密教において、加持祈祷するのは僧侶である男で、もののけを調伏される憑人は女であることに通じるものであろう。
晋のころ、魏郡に日照りが続いていて、百姓たちが龍の棲んでいる穴に祈ったところ雨が降ってきた。そのため感謝の祭りをしようとしたのだが、それを孫登が見かけて「これは病気の龍が降らせた雨だから、穀物を実らせることはできない」と言った。ちょうどその時、龍は背中にできものがあったので、登の言葉を聞くと老人に姿を変えて治療を頼みに行き、「病気を治してもらえるならお礼をします」と言った。そして治療が済むと、幾日もたたぬうちに大雨が降ってきた。そればかりか、大きな石が割れて井戸が現れ、水をたっぷりたたえていた。この他『瀟湘録』には雨を呼ぶ雨龍、『四不語録』には雨を呼ぶ龍の子が登場する。以上から推察すると、降雨には「雨を降らせる主体は龍で(これは非女であろう)、それを動かせるのは女は霊力、非女は法術」という図式が見える。
その三
二章の雨の節でふれた「雷神」について、再びここで考察を加えてみたい。『捜神記』巻十二に次の話が見える(71)。
晋のころ、楊道和がある夏の日に畑仕事をしていて雨にあい、桑の木の下に入った。すると雷神が落ちかかってきたので、道和は鋤を得物に格闘し、雷神の股をたたき折った。そのため雷神は、地に落ちたまま逃げられなくなってしまった。その唇は朱のように赤く、目は鏡のように光り、長さ三尺の毛の生えた角があり、体は牛や馬のようだが、首は猿に似ていた。中国では雷神に関する説話が多く、その形状は一致していない。しかし「女」として描かれることはほとんどないと言える。物凄い鳴動と強烈な光、どこに落ちるか分からない雷は女には結びつき難いのである。
これは雷神に限ったことではない。たとえば『聊斎志異』には雹を降らせる雹神の話が二つ見えるが(72)、どちらも恐れられている神で、しかも非女である。これも無数の雹塊が大爆撃のように襲ってくるイメージが、女を想像させないためであろう。
以上、雨に関する非女妖怪には、雨を降らせる術と主体に関するもの、そして激しい気象への恐怖心があらわれたものという二つの特徴を見ることができた。
河伯は、顔が人間で二つの龍に乗っている。ある説では馮夷という。さらに顔が人間で身体は魚だという。河伯については、川を渡っているときに溺れ死んで水神になったとも、ある薬を飲んだために仙化したとも言われ(74)多くの話で語り継がれている。しかし河伯は人々に敬愛される存在ではない。水害を起こし、人身御供を取る荒ぶる神なのである。
河川の神は黄河の河伯だけでなく、たいていの川に存在する。その多くが凶暴な性格であるのは、人々が氾濫した河川や水難を恐れることが影響しているのであろう。
たとえば長江では、各所に点在する難所の航行条件が季節によって異なるため、長江を往来する者にとって、船航の安全確保は生命に関わる最大緊急の課題であった。それゆえ船夫の仲間社会において、航行上の難所に設けられた祠廟に対する信仰は甚大であり、その祈願の形態がやがて一種の習慣として形成されていったという(75)。各地の河川の畔に奉祀される水神もこのようにして生まれたに違いない。
漢の武帝の中平年間に、楊子江の水中に妙なものが現れた。その名は{虫+或}または短狐といい、砂を口のなかにいれ人を目掛けて噴出する。それに当たるとひどいときには死んでしまう(76)。
水の涸れた小川には{虫+氏+一}が発生するといわれている。{虫+氏+一}というのは、ひとつの頭に身体が二つついていて、形は蛇に似ており、長さは八尺ある(77)。以上二例は『捜神記』に見られるものである。また『酉陽雑俎』には次の話がある(78)。
厳綬が太原をおさめていたとき、市の子供たちが水際で水泳をしていた。すると何かが中流から流れてきた。取ってみるとそれは素焼きの瓶で、幾重にも帛で包んであった。その中には嬰児がいて、身長は一尺余り、そのまま逃げ出したので子供たちはそれを追いかけた。岸に寄っていた船頭が、急いで竿で打ってこれを殺した。髪は朱色で、目が頭のてっぺんにあった。これは川に棲んでいる妖怪ではないが、川に現れた非女妖怪としてここに取り挙げた。『太平広記』巻四七六所引の「李湯」にも次のような妖怪が登場する(79)。
無支祈は、形が猿に似ており、額が高く、鼻が低く、頭が白く、身体が青く、歯が雪のように白く、目が金黄色に輝き、力が九頭の象よりも強く、首が百尺も伸びるが、聡明で身のこなしが軽やかであった。・・・無支祈の描写はこの後も延々と続き、最後はこれを大きな戟で切り付けておとなしくさせている。このような水怪は女妖怪には見られないものであった。川には身体の一部の欠如、過剰、巨大化など非現実的姿をした妖怪が多く見られる。
以上のことから、川に関する非女妖怪は荒ぶる神または単なる水怪としてあらわれることがその特徴として挙げられよう。
秦の始皇帝は、太陽の昇るところを見たいと思い、海上に橋を作らせた。そして、橋を架けることができたのは海神のおかげだとして、敬意を表するために海神に面会を申し入れた。すると海神は、「私の姿はたいへん醜い。会ったおりに、私の姿を描き写さないと約束するならばお会いしよう」と返事をしてきた。その条件を承知した始皇帝は、お供を連れて石橋を渡って行った。そうして海神に会見することができたのだが、その時お供の家来で絵心のある者が、足の趾に挾んだ筆でその醜い姿を写していた。それに気づいた海神は激怒し、「とっとと失せろ」と叫んだ。そして始皇帝は逃げることができたが、描いた者は溺れて死んでしまった。このような醜い姿、荒ぶる性格の海神は女妖怪には見えない。
『山海経』には、海神とも水神とも言われる「禺彊」が登場する。その姿は、大荒北経に「人面鳥身で、二匹の青い蛇を珥にし、二匹の青い蛇をふまえている」(81)と描かれ、海外北経の郭璞注では「黒身手足、両竜に乗る」(82)とされる。
人面獣身の妖怪は『山海経』に多数見られるが、それが女として描かれることはほとんどないことに注目したい。人面獣身の妖怪には蛇や竜などが関わるものが多い。それらが神聖視されるのは蛇や竜が霊的動物であるからだろう。妖怪が霊的存在であることを示唆するためには、霊的動物の力を借りる必要がある(83)。その必要がないのが、潜在的力を持つ「女」なのではなかろうか。
陵魚は人面で手足あり、魚の身、海中にあり。
この半身半魚の妖怪は、鱗が身体の上の方まである原始的姿をした人魚である。これが後世の伝説では、美化され鱗も下半身のみになって人間化していく。
さらに、鱗が毛に変わった妖怪もいる。『稽神録』には「海人」という全身を黒い毛に覆われ、人間の形をしたものが登場する(85)。
類似した妖怪を『子不語』から引用してみたい(86)。
ある日男が海で漁をしていると、非常に重いものがかかった。引き上げてみると、六、七人の小さい人間が座っていた。彼らの全身は、毛に覆われていて猿のようであったが、頭のてっぺんだけは一本の毛も見えなかった。とにかく異形のものであるので、男は網を開いて放してやった。すると彼らは、海の上を数十歩進んでから波の底に沈んでいった。ある人の説によると、それは海和尚というもので、その肉を干して食らえば一年間は飢えないそうである。人魚を例に見ても明らかなように、海の非女妖怪にプラス面の特徴は見られない。これらは夜の海や荒れ狂う海などが心中に抱かせる妄想、または海での事故やそこで死んだ者の霊を恐れる感情から生じたものであろう。
以上から海に関する非女妖怪の特徴も、妖怪の関わる場所のマイナスイメージがあらわれたものという点でまとめられることになる。
(四)まとめ
第三章では、水関係の女妖怪と比較する形で非女妖怪に考察を加えてきた。ここにその特徴を繰り返しておきたい。雨に関する妖怪の特徴は「術を使って雨を乞うものと、雨を降らせる主体となるもの、激しい気象のイメージによるもの」であった。川と海の非女妖怪には「荒ぶる神または姿や性格が凶暴な水怪といった、妖怪の関わる場所の悪いイメージによるもの」という特徴が見られた。
この荒ぶる神というのは、水の破壊的面が「水害をもたらす水の支配者」という存在を想像させることから生まれたものであろう。人間は自らの認識の欠如を想像力で補うため(87)、災害を説明する手段として、このような神を必要としていたのである。
また異形の水怪は、水の支配者的存在の有する力がそこに棲む下等な動物にもあると考えられることから始まる。そして人間がある程度水を支配するようなり、それらの動物に対する畏敬の念を失っていく過程で生じたのであろう。
さらに、ここでは取り上げなかった池や湖の妖怪に関しても同じような傾向が見られる。以上のことから水に関する非女妖怪には、
@主体または主(ぬし)となるもの
A水の形態ごとのマイナスイメージ
という特徴があらわれていると言えよう。つまり本章では、女妖怪と対照的な結果が出たことになる。
三章では、この特徴が女妖怪に限定されるのかを確認するため、非女妖怪の例を挙げてそれと比較する形で考察を加えたが、そこには荒ぶる神や異形の水怪といった、悪いイメージのものが目立っていた。水は、生命が常に共存しなくてはならないものである。とするなら水の尊厳性を信じ、信仰的感情が生まれるのは当然のことであり、多くの妖怪が生まれるのも無理はない。
ここで問題なのは、水関係の妖怪では善と悪とが女と非女にはっきりと分かれたことである。妖怪は本来、善悪二面を兼ね備えた両義的存在であろう。水に関係のない天狗や山姥なども、それぞれが善と悪の二面性を持っている。にもかかわらず、水が関わるとこのように二つに分かれるのはなぜだろうか。
答えは水の特質にある。水には創造性と破壊性の二面があり、そのよいイメージには女との共通点が多く見られたのである。
たとえば母なる豊かさは、水が恵みをもたらすものであり、エネルギーの源であるということに重なる。水関係の女妖怪に老婆が見られないことも、恐らく水のこの性質のためであろう。女の美しさや神聖なる性についても、水が人間界の汚いものを清め、心の汚れさえも洗い流すと考えられてきたことに繋がるだろう。
もちろん水に限らず、山などにも善と悪の二面性がある。しかし山と女とには「水が生命と同義で、女は生命を生み出す存在」という、大きな意味の重なりは見られない。それゆえ、水と関係のない妖怪には、善と悪とが女と非女に分かれて結びつくことはなかったと考えられる。
中国の女妖怪には、女と水の共通点が大きな影響を与えていた。つまり「女と水」の他に類を見ないほどの密接な関係が、水関係の女妖怪の割合を高くさせていたのである。しかも、共通点にはよいイメージが多く、その性質を善なるものにしているのである。