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中国の酒と医療−そのルーツを探る−
*本稿は卒業論文に一部修正を加えたものである

上田 香緒里


緒言

 酒の起源は定かではないが、嗜好品として人々に愛され続けてきた。また医療とも関わりが深く、「百薬の長」と称される。中国本草書には酒の様々な医療応用と使用方法の記述がある。本稿では、中国における酒の医療応用の記載がいつに始まり、いかなる発想に基づくかを諸文献から探りたい。

 これまでも当問題には多くの研究が重ねられてきたが、最近になって新たに出土資料が多量に発見され、古代の状況を如実に反映した文献を用いることが可能となった。さらにインターネットでは各種のデータベースが公開され、多量の文献に基づく詳細かつ正確な研究が中国学全般にわたり可能となった。すなわち現在は、以上の文献と方法を用いた酒による中国古代医療の史的考察を行う絶好の時期なのである。

 本稿では酒の医療応用を可能な限り過去に遡る目的から、まず考察の対象時代を唐以前に限定した。そこで第一章では『新修本草』を用い、唐代までの酒の効能認識・医療応用の傾向を確認したい。第二章では出土文献を用い、それらについて後漢以前を個々に検討していく。第三章では史書や古典籍を用い、より早い時代について考察し、発想を探る。

 なお今回研究対象とする酒には、諸文献にみえる「苦酒」「醋酒」など酢の類は含まない。また第二章で使用する出土文献は台湾中央研究院文物図象研究室、第三章で使用する古典籍全般は故宮文献全文検索資料庫が公開しているデータベースを使用し、「酒」の字を検索し、利用した[1]。本稿で使用した漢字は、一律に常用漢字・人名漢字のJISコード文字を用い、それらにない字は正字に改め、また文献・論文の著者の敬称は省略した。
 

第一章 本草書とは

1 酒の認識

 唐代までの酒がどのようなものであり、人々にどのように認識されていたかを、唐政府が659年に編纂した『新修本草』を用いて確認したい[2]。

『新修本草』(巻19)
酒、味苦、甘、辛、大熱、有毒。主行薬勢、殺百邪悪毒気(以上、『名医別録』文)。大寒凝海、惟酒不冰、明其熱性独冠群物。薬家多須、以行其勢。人飲之、使体幣神昏、是其有毒故也。昔三人晨行触霧、一人健、一人病、一人死。健者飲酒、病者食粥、死者空腹、此酒勢辟悪、勝於食(以上、陶弘景注文)。〔謹案〕酒、有蒲桃、{禾+朮}、黍、{禾+亢}、粟、{麥+曲}、蜜等、作酒醴以{麥+曲}為。而蒲桃、蜜等、独不用{麥+曲}。飲蒲桃酒、能消痰破{さんずい+辟}。諸酒醇{酉+(璃−王)}不同、惟米酒入薬用(以上、『新修本草』注文)。 
 酒の味は苦、甘、辛で、大いに体を温め、毒がある。薬の勢いを体中に巡らせ、様々な邪な気や悪毒の気を消す(以上、『名医別録』文)。
 大変寒くて海が凍るときでも、酒だけは凍らない。(このことからも)その熱性がすべてのもので最も強いことが明らかである。薬を使う人の多くはみな、その熱性によって薬の勢いを体内に巡らせる。人が酒を飲むと、体を疲弊させ、意識を朦朧とさせるのは、その毒のためである。むかし三人の人が早朝に歩いていて霧に遭い、一人は健康なまま、一人は病気になり、一人は死んでしまった。健康だった人は酒を飲み、病気になった人は粥を食べ、死んだ人は空腹だったためである。酒の勢いは悪気を除き、食事に勝っていることがわかる(以上、陶弘景注文)。
 酒(の原料)には、ブドウ、コウリャン、キビ、ウルチ米、アワ、コウジ、ミツなどがある。酒醴を作るには麹を使わなければならない。ただし葡萄と蜜で作る場合、麹は使わない。葡萄酒を飲むと体内の粘液が消え、しこりが消える。様々な酒には濃い、薄いの違いがあるが、穀類で作ったものだけを薬に用いる(以上、『新修本草』注文)。
 3〜5世紀の『名医別録』には、酒の作用の基本的特徴が書かれている。これらが酒を医療に応用する上で基礎となるといえるだろう。

  500年頃の「陶弘景注」には酒の熱性について書かれている。薬勢を強めるのは酒の熱性によるものだとわかる。また、粥=穀類に比べて酒は栄養があると書かれており、酒は栄養価の高い食品として扱われていたようだ。

 『新修本草』には酒の原料として7種挙げられている。穀物を原料にして造った酒だけが医療には使われていたらしい。葡萄は『神農本草経』から項目があり、「葡萄酒」を造ることが記載されている。葡萄酒が中国に普及したのは唐の時代とされているため、それ以前に葡萄酒の薬用記録は少ない。

2 本草における酒の医療応用

 では、酒が薬物としてどのように認識・利用されてきたかを見るために、とりあえず時代を唐代までとし、唐政府により編纂された『新修本草』を資料に検討してみたい。

 『新修本草』には70品について、78の酒の医療的利用法が書かれていた[3]。そのうち、酒で薬物を飲み下す:24、薬物を酒で煮る・漬けるなどして服用する:35、薬物の煮汁で酒を造って服用する:16、患部に塗る:2、口を漱ぐ:1であった。酒はもともと飲み物であるため、服用が多いのは自然な結果である。

 服用する際の処理法としては、(酒に薬物を)漬ける:20、和す・合す:7、煮る:5、煉る:2、浸す:1であった。処理法の40%が「漬ける」であり、これは薬物の成分を抽出するという考えに類する発想があったためかと思われる。また、酒を服用した際の効果・作用によって処理法に傾向が表れることはなかった。処理法に関しては薬物に合わせて選ばれている感が強い。

 酒を利用して薬物を服用した際の効果・作用が記されていた薬物は44品、49の利用法であった[4]。病名に「風」がつくものが多く、49処方のうち15処方(30.6%)には「風」のついた病気への作用がみられた。49のうち、皮膚病が11種(49処方に対して22.4%)、痺・痙などが8種(16.3%)、脚弱・腰痛など四肢に関わるものが5種(10.5%)であった。ほか、風冷・風熱を除く、血脈を利す、金瘡、婦人病、淋病、心腹痛を治すといった作用があった。

 体に塗る際の処理法は、漬ける:1、浸す:1であり、顔に塗って肌を白くする:1、脚に塗って脚の病を治す:1であった。どちらも体の内側に働きかけるようである。

 口を漱ぐ際は、酒で薬物を煮、その煮汁で口を漱ぎ、歯痛を治すというものであった。

 また、「紫石英」の項に、「(紫石英は)太山で取れるものが最もよく、他の場所で採取したものは丸薬にし、酒で飲むとよい」とある[5]。他の場所で取れたものは薬勢が弱いため、酒で飲み下すことにより、薬の勢いを強めよ、とある。名産地として名を知れた場所で収穫されたものと同等の力を引き出すのであれば、酒の「薬の勢いを強める力」は相当のものであろう。

3 小結

 以上をまとめると、唐代『新修本草』までの認識としては、酒は大いに熱をもち、その熱性により、体を温め、薬の勢いを強め、邪気や毒気を除く作用を持ち、栄養価も高い。

 酒が使用される病は、風邪が原因になるものが多く、症状としては皮膚病や体の痺れ、引きつけなどが多いと考えられる。また、酒は外傷・内部疾患に関わりなく服用するのが一般的であり、塗り薬や洗浄薬として利用されるのはごくまれである。薬の勢いを強める力は高く評価されていたようだ。
 

第二章 出土文献

 出土文献にも酒の医療応用の記載があり、当然それらは当時の正確な状況を伝世文献以上に反映していると思われる。そこで、出土文献の処方における酒の傾向をみていくことにする。

 現在のところ最も古いのは、紀元前2世紀以前に成立したとされる「馬王堆漢墓帛書」の記載である[6]。酒を使用した処方は『五十二病方』[7]に最も多く、『養生方』[8]『雑療方』[9]『胎産書』[10]『十問』[11]『雑禁方』[12]に酒に関する記載があった。この『五十二病方』を中心に中国における酒の医療的利用をみていきたい。さらに、以上の補足として、『武威漢代医簡』も使用したい。『武威漢代医簡』の成立は後漢の早期とされるため[13]、後漢以前の中国における酒の使用傾向がみえてくるはずである。和訳は『新発現中国科学史資料の研究釈注篇』と「武威漢代医簡について」に依拠した[14]。なお『敦煌漢簡』『居延漢簡』などの出土資料にもわずかながら医療応用の記載があるが、それらは検討しない。
 
1 出土文献にみる酒の認識

 まず、『十問』の記載により、『馬王堆漢墓帛書』が作られた時代の酒に対する考えを確認したい。『十問』には「酒」の字の記載が5箇所あり、大きく分けると二つの話となる。その部分を書き出してみよう[15]。

補寫(瀉)之時、酒食五味、以志治気。目明耳葱(聰)、被(皮)革有光、百脈充盈、陰乃□生、{(揺−てへん)+系}使則可以久立、可以遠行、故能寿長。
(精気が充満したならば)補瀉し、酒食五味によって精気を整えようとすれば、耳目が聡明となり、皮膚につやが生じ、百脈が充実して陰器がまた蘇ります(以上文献[14]による)。それにより長い間立っていることができ、遠くまで歩くことができます。だから長寿も可能になります(以上拙訳)。

文執(摯)見斉威王、威王問道焉、…(中略)…、威王曰、「子沢(繹)之、{臣+卜}時食何氏(是)有?」文執(摯)合(答)曰、「淳酒毒韭」、…(中略)…、威王曰、「善。子之長酒何邪?」文執(摯)合(答)曰、「酒者、五穀之精気也、{一+兀−はねの部分}(其)人〈入〉中散溜(流)、{一+兀−はねの部分}(其)人〈入〉理也徹而周、不胥{臣+卜}而九(究)理、故以為百薬{搖−てへん+系}(由)」
文摯が斉の威王に見えた。威王は導引について問うた。(中略)
威王「先生は臥を推奨されますが、臥を行う時の食べ物としては、どんなものが有りましょうか。」
文摯「濃い酒と毒韭です。」(中略)
威王「なるほど。では、先生が酒を尊ばれるのはなぜでしょうか。」
文摯「酒とは五穀の精気にほかなりません。体内に入れば体中に広がり流れていきますし、{にくづき+奏}理に入れば、奥深く行き渡るので、必ずしも臥して{にくづき+奏}理をきわめる必要がなくなります。そこで百薬の補助剤とされるのです。」

 前者は長生きをするにはどうすればいいのかを問答している。「酒食五味」により精気を整えると目・耳・皮膚・血脈・脚力に良い効果を与え、長生きできると考えられていた。酒だけの作用ではないが、酒を含めた「酒食五味」が栄養に富んだものであり、体の様々な部分(内臓ではなく表に現れている部分)に効果が現れている。
 

 後者では酒について、「五穀の精気」といい、「百薬の補助剤」とも称している。酒は体の奥深くまで薬の作用を運ぶと考えており、『名医別録』の認識とほぼ同じである。「五穀の精気」によって薬性を巡らすとあるが、これは、酒を飲むことで血が全身に巡っていく様子を表現しているものと推測される。

 以上により、「馬王堆医書」が作られたとされる紀元前2世紀前後に、酒は、栄養に富んだものであり、薬の勢いを強める補助剤として認識されていた。「邪気、毒気を除く」という性質はみられないが、先に述べた本草書の認識と近いことがわかる。

2 酒の医療応用 

 『五十二病方』には52種の病に対する処方が記載されているが、9種が欠損している。残存した43の病を分類すると[16]、体の表面に起こる症状が多く、皮膚に関わる傷・病気が全体の半分を占めている。

 それらのうち、酒が使用された処方を含むのは16病・41処方であった。これらを分類すると、外傷(切り傷など、痙、やけど)、毒の関連する外傷(犬の咬み傷、蛇の咬み傷、毒矢をうける)、皮膚病、痔、陰部疾患、蠱毒による疾患に分類できる。この分類ごとに酒の使用法、期待される作用などをみていく。

 なお酒の医療応用は、他に『養生方』に9処方、『雑療方』に1処方、『胎産書』に2処方、『武威漢代医簡』に14処方の記載があった。『五十二病方』と重なる処方は同じ項で取り上げ、それ以外は最後にまとめて考察する。

2−1 外傷類
 『五十二病方』に記載された外傷のうち、酒が使用される処方を含んでいたのは、「諸病」部、「傷痙」部、「闌(爛)」部である。別個について考えていく。

2−1−1 「諸病」部
 諸病は刃物による切り傷や、傷口の化膿などの外傷である[17]。『五十二病方』に処方の記載が17あり、うち5処方が酒を用いたものであった。17処方のうち、10処方が患部に薬物を塗るなどの外用薬を用いた治療法であった。「諸病」とほぼ同じ種類の病として「{にくづき+行}傷(膝の下の脛の傷)」の記載が全2処方あるが、これも薬物を患部に塗る、薬物を煮た汁で患部を浸すなど外用処方しかみられない。薬物を服用するのは酒を使用する場合だけであった。

 酒を使用した治療法をみると、5処方すべてが「薬物を酒に入れ、それを飲む」方式であった。使用薬物を『新修本草』で見ると、3処方には傷に効果(止痛・止血・療金瘡など)がある薬物が配剤され、1処方は使用薬物不明、1処方には傷に効果のある薬物はなかった。したがって、外傷を治すには患部に直接処置するのが一般的であったが、酒を利用する場合は服用した方が傷に効果があると認識されていたらしい。 
 『武威漢代医簡』にも酒を利用した「金瘡」の治療法が記載されている。酒が使われたのは以下の3処方である[18]。

治金創、止{甬+心}、令創中温方、曽青一分、長石二分、凡二物皆冶合和、温酒飲一刀、日三、創立止{甬+心}。
金創を治療して痛みを止め、創の中を温ならしめる処方。曽青一分、長石二分の合計二薬をいずれも粉にし一緒にして混ぜ合わせ、温めた酒で一刀圭を飲み、日に三回飲めば、創はすぐに痛まなくなる。

皆冶合和、以方寸匕酒飲、不過再飲、血立出、不不、即大便血。
みな粉にし一緒に混ぜ合わせ、方寸匕一杯を酒で飲め。二度以上飲まなくても血がすぐに出る。そうでない場合は大便に血が出る。

治金創内漏血不出方、薬用大黄丹二分、曽青一分、硝石二分、{まだれ+卑+虫}虫三分虻頭二分、凡五物皆冶合和、以方寸匕一酒飲、不過再飲、血立出、不、即出大便血。
金創を受け血管から漏れた血が体内に溜まって外にでないのを治療する処方。薬物は大黄丹二分、曽青一分、硝石二分、{まだれ+卑+虫}虫三分、虻虫の頭二分の計五種を用い、みな粉にして混ぜ合わせ、方寸匕一杯を酒で飲め。二度以上飲まなくても血はただちに出る。そうでない場合は、血が大便と一緒に出る。

 上の第1処方によると、刃物による傷を治すには、痛みをとるのとは別に、傷口を温めることが大事だった。「金創」の処方はいくつか記載がされるが、『武威漢代医簡』では外用薬がなく、酒・酢・{豆+支}汁のいずれかを用いて、傷に効果のある薬物を服用する方法がとられていた。『新修本草』によると、酒と酢で共通するのは邪気を除く作用である。傷口から邪気が入り、傷が悪化しないように薬物と共に服用したとも考えられる。

 「諸病」部では、酒は「薬勢を強める」「邪気を除く」「傷の内側を温める」作用を期待して服用されている。後述するが、酒を外用する処方もわずかながらある。外用よりは内服した方がこれらの作用を強く発揮するようだ。

2−1−2 「傷痙」部
 傷痙とは、諸病が治りきらず、風邪が入って発熱し、体中がひきつり曲げることができなくなる病であり、今の病名でいえば破傷風のことである[19]。

 全6処方の記載があり、酒が利用されていたのは3処方であった。すべての処方をみると、大量に汗をかくことで傷痙は治ると考えられていたようだ。酒を利用しない処方でも、「以水財煮……、浚取其汁、寒和、以飲(水で薬物を煮、汁だけをとり、適度にさまして飲む)」と書かれ、酒を利用した他の2処方も、「和以温酒、飲之(温い酒にまぜ、それを飲む)」、「以敦(淳)酒半斗者(煮){さんずい+費}(沸)、【飲】之(濃い酒半斗で煮て沸騰させて、それを飲む)」とあり、酒を温めて飲んでいる。酒を服用する理由のひとつは、体を温めることであると言えよう。

 酒を使用した治療法をみると、炒った塩を布に包んで酒にくぐらし、熱し、頭に押し当てる:1、酒に薬物を和して飲む:1、酒で薬物を煮てそれを飲む:1であった。

 酒に薬物を和す処方、酒で薬物を煮る処方で使用される薬物は「犬」「薛」「薤」であるが、それぞれ「補絶傷」「除熱」「主金創創敗、…除感熱」という作用が『新修本草』に載る[20]。これらの薬物の薬勢を強め、傷口の治りを早くする目的で使用されたのであろう。また「諸病」での考察からすると、邪気を除き傷の悪化を防ぐ目的もあったのではなかろうか。

 では塩を酒に浸す目的は何であろうか。この処方を書き出してみてみよう[21]。

傷痙:痙者、傷、風入傷、身信(伸)而不能{にくづき+奏}(屈)。治之、{火+口口+頁+口口}(熬)塩令黄、取一斗、裹以布、卒(淬)醇酒中、入即出、蔽以市、以熨頭。熱則挙、適下。為□裹更【熨、熨】寒、更{火+口口+頁+口口}(熬)塩以熨、熨勿絶。一熨寒汗出、汗出多、能{言+出}(屈)信(伸)、止。…(以下略)
傷からきた痙。痙は、傷を受けて風気が傷に入り、身体が伸びたままで曲げることができなくなる。それを治すには、塩を熬って黄色にし、一斗を取り、麻布に包み、濃い酒の中に入れ、入れたらすぐ出し、皮の膝掛けで覆い、それを頭に押し当てる。熱ければ持ち上げ、適温になったら下ろす。為□包んで、もう一度(押し当て、押し当てた薬が)冷えたら、もう一度塩を熬って押し当てる。押し当てるのを絶やしてはならない。いったん冷えるまで押し当てていると、汗が出る。汗が多量に出て、屈伸できるようになれば、止める。…(以下略)
 熱い塩を頭に押し当て、汗をかかせることにより痙を治す。使用する酒は温酒ではないため、塩の熱をある程度奪って適温にし、塩に水気を与えて頭に当てやすくする目的もあるだろう。しかし、それだけでは水でこと足りる。塩を温かい状態に維持しておくとの記載があるので、酒を浸すことにより、物理的な塩の熱と酒のイメージ的な熱性が相乗して発汗させると考えたのだろう。しかし、他に例がないため、即断はできない。

 以上、「痙」部をまとめると、酒は体を温めること、薬性を強めること、邪気を除くことを目的に利用されたと考えられる。

2−1−3 「□闌(爛)」部
 闌(爛)とはやけどのことである[22]。この病気の処方は18あり、うち酒が使用されていたのは以下の1処方だった[23]。

以湯大熱者熬{彑+ヒ+矢+匕}矢、以酒{如+手}、封之。
熱湯を浴びて大やけどした場合は、豚の糞を炒り、酒を混ぜて柔らかくして、それを封じる。
 熱湯によるやけどの処方は他に以下の1処方がある[23]。
浴湯熱者熬{彑+ヒ+矢+匕}矢、漬以{酉+(流−さんずい)+皿}、封之。
熱湯を浴びてやけどした場合は、豚の糞を炒り、酢にひたして、それを封じる。
 これらの処方で違うのは、症状の重さと、豚の糞を湿らせるために使うのが酒か酢かということである。つまり熱湯によるやけどの処方は、酒と酢に同じ作用を求めているが、より高い効果が酒にあると考えられる。

 酢は『新修本草』に「主消廱腫、散水気、殺邪毒(『名医別録』文)」とあり[24]、酒と共通するのは邪気を除くという作用である。そして双方にやけどを治す作用は書かれていない。「{彑+ヒ+矢+匕}矢(豚の糞)」に熱毒を消し瘡を治す作用があるため[25]、やけどを治すのはこの働きによると思われる。水や薬物の煮汁で「{彑+ヒ+矢+匕}矢」に水気を与える処方はないため、酒と酢は「{彑+ヒ+矢+匕}矢」に水気を与え膏薬状にする他に、邪気を除いて病気が悪化を防ぐために使用したと考えられる。また、酒には薬勢を強める働きがあるが、酢にはない。つまり、この処方に関しては邪気を除くと同時に薬勢を強める効果を期待して使用しているようだ。

 「□闌(爛)」部をまとめると、全処方に対する割合を考えても、酒がやけどに効果が高いとはいえない。邪気を除いてやけどを悪化させないのが目的ではなかろうか。

 以上、本節では外傷についてみてきた。酒は主に薬勢を強め、邪気を防いで傷の治りをよくするために使用されていたと思われる。また内服が多く、その大半が薬物を酒に混ぜて飲むという内服法であった。外傷では酒に散・丸薬を入れて飲む方法が特徴的であり、酒の力で薬勢を強める目的が多いといえるだろう。

2−2 毒の関連する外傷
 『五十二病方』に記載された毒の関連する外傷のうち、酒を使用する処方を含んでいたのは「犬筮(噬)人傷者」部、「{虫+元}」部、「毒烏{立+豕}(喙)者」部である。「犬筮(噬)人傷者」「{虫+元}」は犬や毒蛇による咬み傷である[26] [27]。「{虫+元}」は動物性の毒といえるだろう。「毒烏{立+豕}(喙)者」は烏頭(トリカブト)の毒にあたった場合である。矢に塗って使用されていたらしく、『五十二病方』の処方の並びから考えても、毒矢を受けた際の処方だと思われる[28]。「犬筮(噬)人傷者」には全3処方の記載があり、傷口を洗う:2、傷口に薬物を塗る:1と、すべて外用薬であった。うち1処方に酒が利用されていた。この処方を書き出してみる[29]。

犬所齧、令毋痛及易{やまいだれ+(蓼−艸)}方、令【齧】者{臣+卜}、而令人以酒財沃其傷。巳沃而□越之。嘗試。毋禁。
犬が噛んだところを、痛みをなくして治りやすくする処方。(噛まれた)ひとを寝かせ、ほかのひとに、酒をさっとその傷にそそぎかけてもらう。そそぎかけてしまったら、それを□越する。試してみよ。禁忌はない。
 傷口を洗う処方はもう1つあり、薬物の煮汁を用いるが、薬物名の部分が欠けていてわからないため、比較できない。患部を洗うのは傷口のゴミを除くのが目的であり、特に酒を用いるのはその毒気を消す働きにより、傷口を消毒することであろう。

 また「{虫+元}」には全11処方の記載があり、うち酒を利用したのは2処方であった。11処方の傾向をみると、飲む・食す:4、塗る:2、呪術(禹歩・呪文など):3、内服し、傷を封じる:2となる。呪術と酒を利用した処方以外の6処方のうち4処方に毒を除く作用のある薬物が使われていた(『新修本草』による)。

 酒が使用された2処方を書き出してみよう。

{次+(韮−艸)}(齏)蘭、以酒沃、飲其汁、以宰(滓)封其{やまいだれ+有}、数更之、以薫□[30]。
蘭草を細かく刻み、酒をそそいで、その汁を飲み、残った滓でその傷口を封じ、たびたび取り替えて、□を薫じる。

燔狸皮、冶灰、入酒中、飲之。多之{医+殳}(也)、不傷人[31]。
山猫の皮を焼き、灰を細かく砕いて酒の中に入れ、それを飲む。量は多くてもよく、人を損なうことはない。

 ひとつめの処方について考察する。酒を飲むだけではなく、酒に浸した薬物で傷口を封じている。使われた薬物の「蘭」は蛇の咬み傷に効果があるようだが[32]、毒を消す効果ではなく傷を治す効果を期待して使用したと思われる。だとすれば酒は、主に毒を消す効果を期待して使用したのではないだろうか。とはいえ、処方のすべてに毒消しの効果がある薬物が含まれていたわけではないし、毒虫や蠍などの咬み傷には酒を使用した処方がないため、断定はできない。

 ふたつめの処方については、使用された「狸皮」の作用が不明であるため、はっきりしない。
 
 「毒烏{立+豕}(喙)者(トリカブトの毒にあたった場合)」は7処方の記載があり、うち酒を利用したものは1処方であった。酒を利用した以外の6処方にはすべて毒を消す作用のある薬物が『新修本草』によると処方されている。酒を利用した処方は、薬物を煮るとあるが、それ以降が欠けており、どのように使用するのかわからない。ただし共に使用する薬物には毒を消す作用はないため、酒の力で毒気を消すと思われる。

 以上についてまとめると、酒は毒を消すために使用されているようであり、その作用は植物毒、動物毒のどちらにも効果がある。また、その解毒作用は内服・外用に関わらず発現するようだ。しかし毒の関連する処方全体における酒の使用頻度は低く、酒の解毒作用は高く評価されていないようだ。

 解毒以外にも、「諸病」部でみたように薬勢を強めたり邪気を除く作用により、傷の治癒を促進する効果もあるのだろう。

2−3 皮膚病
 『五十二病方』に記載された皮膚病のうち、酒が使用される処方を含んでいたのは「白処方」部、「雎(疽)」部、「加(痂)」部、「乾騒({やまいだれ+蚤})方」部である。白処は皮膚の一部の色素が失われて白くなる疾患[33]、雎(疽)は表皮が死んで堅くなった皮膚病[34]、加(痂)は疥癬のような湿疹やかゆみを伴う皮膚病[35]、乾騒({やまいだれ+蚤})は表面が乾きかゆみを伴う皮膚病である[36]。

2−3−1 「白処」部
 当部には全3処方の記載があるが、欠損部分が多く、薬物名や処方がはっきりわからない。酒を利用した1処方は患部に薬物を塗ったあとで酒単独を飲み、飽きるまで飲んだら(何かを)炙るというものである[37]。

 酒を飽きるまで飲むとは、「確実に酔うまで飲む」と解釈できる。酔わせることで血の巡りを良くし、体を温め、体内の邪気をすべて除くためだろうか。あるいは体に塗った薬物が浸透しやすくするためだろうか。酒を使用する目的ははっきりしない。

2−3−2 「雎(疽)」部
 当部に全17処方があり、体を温める目的の処方が多い[38]。疽が冷気をもつ皮膚病だからであろうが、体や患部を温めることが治療法のひとつであるようだ。したがって、酒を利用する目的のひとつは身体を温めることだと考えられる。

 酒を利用した処方は、薬物を酒に入れて内服:1、薬物の入った甑に酒を入れ、その汁を飲む:1、酒で薬物を煮た汁を飲み、温かい着物を着て横になる:1であった。処方には、『新修本草』によるとそれぞれ皮膚病に効果がある薬物が使用されていた。

 酒が使用された目的が体を温めるためであることは確実であろう。また、疽は廱よりも体の深い部分に根をもつ病と考えられていたため[39]、薬勢を強め、身体の内側の邪気・毒気を除くために酒を内服する処方が多いのかもしれない。

2−3−3 「加(痂)」部
 当部には全22処方の記載がある。22処方すべて患部に薬剤を塗る外用の処方である。酒は2処方で使用されており、患部を洗う(その後薬を塗る)処方と酒を飲んだあとなんらかの処置を行う(処置の部分は不明)処方である。前者のように患部を洗うものは他に3処方あるが、湯や水を用いており、患部を洗う以上の効果は求めていないようだ。酒で洗い、消毒することが目的であろう。また後者の、酒を飲み、その後に何らかの処置を行う処方は、「白処」部にあった患部に薬物を塗ったあと酒を飲む処方に近い意図を感じる。「酒を飲んだ後薬物を塗る」処方であるように思えるが、酒を使用する目的ははっきりしない。

2−3−4 「乾騒({やまいだれ+蚤})方」部
 当部には全8処方の記載がある。使用法の内訳は傷に塗る:5、飲む:1、湯に入る:1、不明:1であった。

 酒を使用するものは3処方あり、酒に浸した「茹芦(茜根)」を傷につける、炒った「陵{(叔−又)+攴}(菱{艸+支})」を煮て飲む、酒を飲んで「桃葉」の湯に入るである。『新修本草』使用した薬物をみると、それぞれ皮膚病への効能がみられた[40]。

 酒に浸した茹芦を患部につけるのは、薬勢を強め、邪気を除くためであろうか。「陵{(叔−又)+攴}(菱{艸+支})」を酒で煮て飲む処方については、似た処方が「加(痂)」の処方にある[41]。その際は小児の尿を用いる。病の種類が異なるといえ、『新修本草』の記述で「人尿」と「酒」用で共通する作用は「寒熱を療す」点である。他に体や患部を温める処方もあるため、酒は体を温め寒熱を除くために用いられたと考えられるだろう。

 桃葉の湯に入る処方は、その前に温かい部屋で熱い酒を飲むなど、徹底して体を温める処方である。また「古くからの{やまいだれ+蚤}でも治る」という記述から、酒を飲むのは体を温め、血の巡りをよくし、体の奥にある邪毒気を除くため、もしくは身体の奥深くまで薬効を浸透させるためと思われる。

 以上、皮膚病に関してでは、内服がほとんどであり、塗る・洗う等の外用は2処方しかなかった。酒を内服後、患部に薬を塗る、湯につかるなど、外用薬と併用する処方があるのも特徴である。

 内服する場合では、酒は主に体を温める目的で使用している。体が温まると血の巡りも良くなり、結果として薬勢を強める効果も現れるため、同時に当効果を期待していたかもしれない。酒を外用に用いる場合は処方数が少ないせいもあり、目的がはっきりしない。酒を飲んだあと外用薬を用いる処方では、体を温めて血の巡りをよくし、身体のより深くへ薬効を浸透させるため、あるいは体の奥にある邪毒気を除く目的と考えられる。ただ処方数が少ないため、推論にとどまる。

2−4 痔
 『五十二病方』に記載された痔のうち酒が使用される処方を含んでいたのは「【脈】者」部と「【牝】痔」部である。

 脈者は、脈痔のことであり、肛門周辺に傷ができ、かゆくて出血する症状がみられる[42]。牝痔は、肛門周辺に腫れものができ、場合によっては出血する症状がみられる[43]。

 「脈者」部には全1処方の記載があり、これに酒が使用されていた。「野獣肉食者五物之毛(五種類の肉食の獣の毛)」を焼いて細かくつき、これを朝夕食後に温めた酒と合わせて飲む[44]。「獣肉食者五物之毛」が何であるかは不明で、他に処方もないため傾向をみることもできない。

 「牝痔」部には全7処方の記載があった。うち薬物を煮た上気を患部にあてる(腫れ物が関わる痔):4、薬物を焼いた煙で患部をいぶす(虫が関わる痔):2だった。薬物を内服して治療するのは酒を用いた1処方だけである。これを書き出してみよう[45]。

一、冶麋({艸+麻+非})蕪本、方(防)風、鳥{立+豕}(喙)、桂皆等、漬以淳酒而{土+完}之、大如黒叔(菽)、而呑之。始食一、不智(知)益一、□為極。有可、以領傷。恒先食食之。
別方。({艸+麻+非})蕪の根と防風、鳥頭、桂を細かく砕いてすべて等量にし、濃い酒に漬けてそれを丸にする。大きさは黒豆ほどにして、それを呑む。始めは一丸を食べ、効き目がなければ一つふやし、□丸を限度とする。具合がよければ、こうして傷を治療する。つねに食後にそれを食べる。
 使用された薬物の作用をみるに、痔に効果があるとは言い難い[46]。一方、患部を蒸らす処方の目的が患部を温めて血の巡りを良くすることであれば、当処方も薬物や酒の作用により血の巡りを良くして治すのであろう。

 当処方が『五十二病方』の記載を検索した中で唯一、「酒に漬ける」処方であった。これをみると、粉末を丸剤にまるめるために酒に漬けており、「漬け込む」のではなく「(丸剤にまるまる程度に)湿らせる」ように思われる。仮に「漬け込む」のだとしても、薬物の作用が酒に抽出されるのではなく、「酒の力が薬物へ移る」と考えていないとおかしい。したがって同じ「漬」の文字だが、『新修本草』で最も多かった「酒に漬ける」と『五十二病方』の「酒に漬ける」は別の処理法だと考えられる。すなわち、『五十二病方』においては後世の概念と同じような「酒に漬ける」処方はみられないといえよう。       
2−5 陰部の疾患
  『五十二病方』に記載された陰部の病のうち、酒が使用される処方を含んでいたのは「{やまいだれ+(降−こざとへん)}({やまいだれ+隆})」部と「{禿+貴}({やまいだれ+禿+貴})」部である。

2−5−1 「{やまいだれ+(降−こざとへん)}({やまいだれ+隆})」部
 {やまいだれ+(降−こざとへん)}({やまいだれ+隆})とは小便の通りが悪くなる病気である[47]。当部には全26処方の記載があり、酒や水などで薬物を煮た汁を飲む:15、その他の水分を飲む:2で、水分をとる処方が当病の半分以上を占めていた。{やまいだれ+隆}の治療法のひとつは、水分を多くとることだと考えられる。酒が利用されたのは7処方で、薬物を煮る:6、灰にかける:1であった。

 「薬物を煮て飲む」処方における酒と水を比較してみると、水が使用された7処方のすべてに{やまいだれ+隆}に効果のある薬物が処方されていた。酒に関しては6処方のうち4処方に、{やまいだれ+隆}に作用がある薬物が処方されていた[48]。しかし水に{やまいだれ+隆}を治す作用はない。酒には利尿作用もあるため、水分を摂取するだけでなく、利尿も期待していたかもしれない。また、「葵(冬葵子・葵根)」は{やまいだれ+隆}(淋)に効果があるが、この水で煮る処方では4処方にも配剤されるのに対し、酒で煮る処方にはない。酒と共に使用すると効果が強すぎるからだと思われる。

 「灰にかける」という使用法では、酒の役割がはっきりしない[49]。酒が灰や穴を清めるのだろうか。あるいは灰を湿らせるためだろうか。

 一方、『武威漢代医簡』にも{やまいだれ+隆}に対する処方の記載がある。これを書き出してみる[50]。

治諸{やまいだれ+(降−こざとへん)}、石{やまいだれ+(降−こざとへん)}出石、血{やまいだれ+(降−こざとへん)}出血、膏出{やまいだれ+(降−こざとへん)}膏、{さんずい+甘}出{やまいだれ+(降−こざとへん)}{さんずい+甘}、此五{やまいだれ+隆}、皆同楽治之、{艸+朮}薑瞿麦各六分、兔糸実滑石各七分、桂半分、凡六物皆冶合、以方寸匕酒飲、日六七、病立{にんべん+愈}、石即出。
諸{やまいだれ+隆}を治療する処方。石{やまいだれ+隆}とは石を出し、血{やまいだれ+隆}とは血を出し、膏{やまいだれ+隆}とは膏を出し、{さんずい+甘}{やまいだれ+隆}とは{さんずい+甘}を出すものであるが、この五{やまいだれ+隆}はみな同じ薬で治療する。すなわち朮、薑、瞿麦各六分と、菟糸子、滑石各七分、桂半分の合計六薬品をみな粉にし一緒にして、方寸匕一杯を酒で飲み、一日に六、七回飲めば、病はたちどころに治り、石はすぐに出る。
 使用薬物で、『新修本草』に{やまいだれ+隆}への作用がみられるのは、「瞿麦」「菟糸子」「滑石」だった[51]。この処方で、酒は薬勢を強めることと利尿作用を期待して配剤されたと思われる。

2−5−2 「{禿+貴}」部
 {禿+貴}({やまいだれ+禿+貴})は睾丸や陰嚢が腫れ、垂れ下がる病気で、鼠蹊ヘルニアのともいわれ[52]、脱腸がもとで歩行が困難になる。当部には全23処方の記載があり、禹歩などの呪術:10、薬物を内服する:6であった。使用する薬物は、肉・鶏卵・虫・虫卵などで、植物はなかった。

 本病に酒は2処方で使われていた。薬物を酒に混ぜて飲む:1、酒をかるく酔う程度に飲む:1である。後者については欠損部分が多く、薬物名も処理法も不明である。

 酒に薬物を混ぜて飲む処方で使う薬物は「蚕卵」である。『新修本草』によると、この薬物には{やまいだれ+禿+貴}への作用がみられない。この病気の治療法は禹歩などの呪術に偏っているせいもあり、どのような目的で酒を使用しているのかはっきりしない。卵や肉など栄養価が高いものを処方しており、酒の栄養を期待しているとも考えられる。

 陰部の疾患についてまとめる。「{やまいだれ+(降−こざとへん)}」部では、酒を主に利尿のために使用している。内服する場合が多く、薬物を酒で煮た汁を飲んでいる。「{禿+貴}({やまいだれ+禿+貴})」部では酒の滋養作用を期待しているとも考えられた。

2−6 蠱毒による疾患
 『五十二病方』に記載された蠱毒による病のうち、酒が使用される処方を含んでいたのは「□蠱者」部である。蠱者は腹部が熱を持ち、痛む[53]。全5処方の記載があり、酒が使用されたのは1処方であった。
 酒と共に配剤される「蛇」は、『新修本草』によると蠱に効果があった[54]。また酒が使用された処方は、薬物を「酒か粥にまぜて服す」とある。酒は粥と同じ効果を期待し使われたと考えられるので、酒は栄養価の高い食品として使用しているのだろう。全処方に対する割合や、「酒か粥にまぜて服す」の表現からも、酒は蠱毒にはあまり効果がないと思われていたらしい。

2−7 体を健康に保つ処方
 以上までが『五十二病方』に記載のあった病であるが、当小節以下ではそれ以外の出土文献の記述を扱う。

 これらの処方は老衰や病気を予防し、長生きをするための処方である。全体として肉・鶏卵・穀物など、栄養価の高い薬物が多く処方されている。酒に関しては、『養生方』の小題目に「為醴」「為醪酌」「醪利中」があり、酒を飲むことが不老長生の方法として挙げられている。酒は滋養が高く、不老をもたらす飲み物とされているようだ。

 酒を用いた処方は『養生方』に9処方、『雑療方』に1処方あった。酒の使用方法によってみていこう。酒で薬物を飲み下す:3、酒と卵を混ぜて飲む:2、醪を作りそれを飲む処方:2、酒に薬物を漬ける:2、不明:1であった。

 酒で薬物を飲み下す処方は「加」部に1処方、「治」部に2処方ある。「加」は長生きをするための処方とされる[55]。酒を利用した処方は1処方で、「{艸+間}(蘭)」「白松脂」など、『新修本草』によると不老に効果がみられる薬物が使用されていた[56]。

 「治」は虚弱体質を治すための処方とされる[57]。「治」部の処方の一方には『唐・新修本草』によると不老に効果がある「黄蜂(蜂子)」や、米の粉と推測される「疸{米+臭}({食+(壇−土)}{米+臭})」が使用されており[58]、もう一方には「{亡+口+月+貝+凡}({亡+口+月+虫+凡})中虫」が使用されていた[59]。これらの処方では使用される薬物に不老長生の効果がみられ、酒は薬物の薬勢を強めるため、また酒の「不老」への効果のために使用されていると考えられよう。

 鶏卵を酒に入れて飲む処方は「麦卵」部に1処方、『雑療方』に1処方ある。これらの処方は「朝、食事の前に卵を割って酒に入れ、飲む。卵の個数を変えながら数日続ける」点で共通しており、効果も「令人強益色美」と「益内利中」でほとんど変わらない。鶏卵の栄養価は高い。酒は鶏卵の薬勢を強めるため、また酒の養分により体を強くするため使用されたのではなかろうか。

 醪を作る処方は「為醪酌」部に1処方、「醪利中」部に1処方のあった。醪とは薬酒である[60]。様々な薬物を用いて醪を作り、内服して体を丈夫にする。「為醪酌」部の処方は、使用される薬物が書かれた部分が欠損しており、何を用いたかわからない。薬物を酒に漬けてできた醪を飲む。「醪利中」部の処方には醪の作り方が書いてあり、薬物を煮た汁に、炊いた穀物・麹・酒を加え、発酵する。これを100日飲み続ければ、目が明るくなり、聴力が増し、四肢が強くなる。この効果は『十問』の記載とほぼ同じだった。『新修本草』によると使用した薬物には長生への効果がみられた[61]。麹と穀物だけでも酒はつくれるはずだが、煮汁や酒を加えて醸すのは、より濃度の高いものをつくると共に、薬物の効果を求めているのだろうか。

 酒で薬物を漬ける処方は「益寿」部に1処方、「走」部に1処方の記載があった[62]。「益寿」部の処方は長生を目的とする。様々な薬物を砕いたものを酒に漬け、滓を除き、なんらかの処理を加えて(この処理は不明)散薬の状態にして酒で飲み下す。『新修本草』によると、使用される薬物に長生作用はみられなかったが、脯にした馬肉を調剤していた。酒の滋養と長生作用を求めたと考えられる。

 「走」とは脚力を強め、長く歩けるようにする処方である[63]。酒に薬物を漬け、一日一晩経ったら滓を去り、その酒に穀物を漬けて乾かす動作を繰り返し、その酒がなくなるまで行うと、その薬が完成する。『新修本草』によると使用された薬物に脚力を強める効果がみられた。酒は、薬物の作用を抽出し、薬勢を強める他に、その滋養のため使用されていると考えられる。

 以上をまとめると、飲み方に関わりなく、ほぼすべての処方に不老長生に効果がある薬物、あるいは栄養価の高い肉・鶏卵・穀物が含まれている。酒は、その栄養分を目的に処方されていると考えられる。また、一緒に処方された薬物の薬勢を強め、体のすみずみにまで行き渡らせることで、老化を防止しようとしたのではないだろうか。

2−8 その他
 『胎産書』に酒を利用した2処方があった。1処方は男子を産む処方と推測されるが、使用薬物も酒をどう使用するかもわからないため、酒を用いる目的はわからない。もう1処方は「九宗之草」を探し、それを用いて夫婦で酒を作り、そ飲めば子供が授かるとある。後者は呪術的に思える。「九宗之草」が何であるのかはっきりしないが、酒を醸して飲むことで、酒の精気を得、体力をつければ子供が授かると考えたのかもしれない。

 また、『雑禁方』にも呪術的な1処方があった。左の眉をそぎ、それを酒に入れて飲むと、妻となる女性が現れるというのである。ただし酒を利用した呪術は少なく、これらの処方しかみられなかった。

2−9 『武威漢代医簡』にみられる処方
 『五十二病方』に記載がなく、『武威漢代医簡』にだけみられる病で、治療に酒は6処方使用されていた。「傷寒を治し、風を逐う処方」「{やまいだれ+於}を治す処方」「百病を治す処方」「伏梁病を治す処方」「膿に関わる処方」が各1方と、病名・使用薬物共に不明の処方が1方である。これらを記載順にみていく。

2−9−1 「傷寒を治し、風を逐う処方」
 「傷寒」は急性発熱性疾患とされ、寒邪が原因となった傷寒を治す処方である。本処方を書き出してみよう[64]。

治傷寒、逐風方、附子三分、蜀椒三分、澤{潟−さんずい}五(分)、烏喙三分、細辛五分、{艸+朮}五分、凡五物皆冶合、方寸匕酒飲、日三飲。
傷寒を治療し、風を逐う処方。附子三分、蜀椒三分、澤瀉五分、烏喙三分、細辛五分、朮五分の計六種の薬物をみな粉にして混ぜ合わせ、方寸匕一杯を酒で飲み、一日に三回飲め。
 『新修本草』によると処方された薬物には傷寒や風邪に対する効果がみられた[65]。酒は、薬勢を強め、風邪を除くために使用されたと考えられる。

2−9−2 「{やまいだれ+於}を治す処方」
「{やまいだれ+於}」とは、種々の原因により体内に血液が溜まった状態をいう[66]。当方を書き出してみよう[67]。

□□{やまいだれ+於}方、干当帰二分、弓{艸+窮}二分、牡丹二分、漏芦二分、桂二分、蜀椒一分、虻一部、凡(七物)皆冶合、以淳酒和、飲一方寸匕、日三飲。倍{甬}者、臥薬(中)、當出血久{やまいだれ+於}。
□□{やまいだれ+於}を治療する処方。乾かした当帰二分、{艸+弓}{艸+窮}二分、牡丹二分、漏蘆二分、桂二分、蜀椒一分、虻一分の合計七種の薬品をみな粉にし一緒にして、淳酒に混ぜ合わせ、一方寸匕を飲み、日に三回飲め。背の痛む人は薬の中に寝れば古いたまった血がでるはずである。
 『新修本草』によると使用された薬物には{やまいだれ+於}血に対する効果が見られた[68]。酒は、薬勢を強め、消毒作用により膿を体外に排出するために使用されたと考えられる。

2−9−3 「百病を治す処方」
 本方は「すべての病を治す膏薬」の処方である。これを書き出してみよう[69]。

治百病膏薬方、蜀椒一升、附子廿果、皆父、猪脂三斤煎之、五沸、浚去宰、有病者、取大如羊矢、温酒飲之、日三四、…(以下省略)。
百病を治療する膏薬方。蜀椒一升、附子二十個をいずれも{口+父}咀し、猪脂三斤で煎じ、五回沸騰させたのち、濾して滓を除く。病人は羊屎大を取って温めた酒で飲み、日に三、四回飲め。
 蜀椒・附子・猪脂を混ぜて膏薬をつくり、これを温かい酒で飲むと、すべての病が治る。病の範囲が広いことから、酒はその膏薬の薬勢を強める目的で用いられているようだ。また、酒は邪気・毒気を除き、滋養を持つため、様々な病の治癒を促進すると思われる。

2−9−4  「伏梁病」
「伏梁病」は胃腸の外に膿が溜まる病である[70]。当方を書き出してみる[71]。

治伏梁、裹膿在胃腸之外方、大黄々{艸+今}勺薬各一両、消石二両、桂一尺、桑卑十四枚、
{庶+虫}虫三枚、凡七物皆父祖、漬淳酒五升、卒時煮之、三(以下脱)
伏梁病で胃腸の外に膿が溜まっている状態を治療する処方。大黄、黄{艸+今}、勺薬各一両、消石二両、桂一尺、桑{虫+票}蛸十四個、{庶+虫}虫三個、計七種の薬物をみな粒状に砕き、淳酒五升に浸し、短時間煮て、三(以下脱)
 薬物を砕いて酒に浸し、短時間煮るのだが、この後が欠損しているため、不明である。『新修本草』によると使用された薬物は、病に対する作用がみられる。欠損しているため酒で煮たあとどう使うかわからない。ただ、『武威漢代医簡』には酒の外用がみられず、病は内部疾患であり、「短時間煮る」とあるため、それを内服と考えられる。そうであれば血の巡りを良くし、薬勢を強めると同時に膿を体外に排出するのが目的と考えられる。しかし他に例が無いため、判然としない。

2−9−5  「膿に関わる処方」
 「膿に関わる処方」の正確な病名などは欠損しているため不明である。使用する薬物も、人髪以外は不明である。処方を書き出してみよう[72]。

□分、人髟一分(煩)(之)、□焦一□□二分、□一分、凡八(物)冶(合)□、以温酒飲分寸匕一、日三飲之、呂功君方、有農者、自為□□□□□□□□出、有血、不得為農。
…□分、人の毛髮を炒ったもの、□焦一(分)、□□二分、□一分、の計八種の薬物を粉にし一緒にして(混ぜ合わせ)、温めた酒で分寸匕一杯を飲み、日に三回飲め。これは呂功君の処方である。膿がある場合は自然に……が出て、出血して膿にならない。
 8種類の薬物を内服することで膿をだすことしかわからない。酒は、それらの薬勢を強めるために使われたのだろう。消毒作用で膿を身体の外にだす目的もあったと考えられる。

 以上、『武威漢代医簡』で酒を使用した処方をみると、不詳処方を除けば、使用薬物に病を治す作用があり、酒は薬勢を強めるために使用されているらしい。また、病の種類に関わらず、「酒で薬物を飲み下す」処方が多かった。酒が使用された病には血の流れに関わるものが多く、酒を使用することで血の巡りをよくすることも、酒を使用した目的ではなかろうか。

3 小結 

 「馬王堆医書」および『武威漢代医簡』の、酒を使用した処方を総括する。

 酒の使用方法は、外傷・内部疾患に関わりなく内服が最も多く、散薬・丸薬を酒に混ぜて飲む方法や、酒で飲み下す方法が多くみられた。このように使用する際は、処方された薬物にその病を治す性質を持つ場合が多く、酒は主に薬勢を強めることを目的に使用されていたと思われる。

 酒を加えた薬物を塗る処方では、酒は調剤に使われ、薬勢を強めることを期待されているものもみられた。だが処方数が少ないため、内服する際に比べて何を目的として酒を使用しているのか判然としない。
 酒に酔った状態で外用薬を使用する処方は、皮膚病に集中していた。身体を温めることで外用薬の作用を身体の奥にまで浸透させ、酒を飲むことで身体の邪気を除こうとしていると推測されるが、例数が少ないため、これも推測にとどまる。

 薬物を調整する場合は煮ることが多く、酒で薬物を漬ける、薬物の煮汁で酒を醸すなど、『新修本草』で多くみられた調整はほとんどみられなかった。

 病では、皮膚病・金瘡が多かった。その傾向では、「邪気関連」、「血行関連」が多かった。それらに酒を使用する目的は、身体を温め、血の巡りをよくすることのようだ。また『養生方』などをみると、酒が栄養価の高い、不老長生の薬として使用されている。しかし酒を単独で使用する処方は「傷口を洗浄する」処方しかないため、酒は、薬勢を強めることを主な目的として処方されていると考えられる。
 

第三章 古典籍にみられる酒のイメージ

 史書ほか漢代前後の古典籍において酒はどのように認識・利用されてきたのかをみるために、「十三経」[73]「先秦諸子」[74]『史記』[75]『三国志』[76]『漢書』[77]『後漢書』[78]を資料として検討した。

1 「十三経」にみられる酒の記述

 十三経で「酒」の記述があったのは『周易正義』『尚書正義』『毛詩正義』(ともに7世紀中葉)である[79]。『毛詩』については詩であり、特に変わった記述もないので省く。『周易』には酒食:4、儀礼に関すること:2、酒礼に関すること:2であった。『尚書』には暴君にならない戒め:6、酒:4、酒礼:2、祀:1、高価・ごちそう:1、その他:1という結果で、医療に関する記述はみられなかった。『尚書』には殷の紂王が国を滅ぼしたことを戒めるために作ったとされる「酒誥」があるため、酒を戒める内容が多い。

2 「先秦諸子」にみられる酒の記述

 先秦諸子で「酒」の記述があったのは『列子』(前400頃)、『墨子』(前390頃)、『荘子』(前290頃)、『荀子』(前230頃)である[80]。それらをまとめた表1のように、全体として酒はごちそうであり、めでたいことや楽しいことを例える際によく使われる。しかし殷の紂王のように国を滅ぼした暴君が多いためか、酒を色事や音楽などの快楽と共に並べ、戒める話も多かった。また「神を祀り酒を供える」といった記述は『墨子』に集中していた。『墨子』では正しい王の在り方として「潔為酒醴粢盛、以祭祀…(清浄に酒や供物を作り、天帝や天鬼を祭る)」という言葉で表し、多用しているためである。
 

表1 「先秦諸子」にみられる酒の記述
 『荀子』『荘子』『列子』『墨子』計 
   1    20  21
高価・ごちそう   1   4    7  12
めでたい・楽しい   3   5   2   10
酔ったときの様子   1   2   1   4
食物一般を指す   2   1   1   4
人間性・人物像    1   2   1  4
暴君の様子      3  3
酒に耽る    1   1   2
酒礼    1     1  2
宴会   1     1
酒名   1     1
麻酔     1   1
恩賞       1  1
酒を買う      1  1
その他    1   2   4  7
計   11  14  10  37  72

 病気に関わる記載としては、『墨子』に以下のような記述がある。

天子為善、天能賞之;天子為暴、天能罰之;天子有疾病禍祟、心斉戒沐浴、潔為酒醴粢盛、以祭祀天鬼、則天能除去之[81]。
天子が善を行えば、天はよくこれを賞し、天子が乱暴を行えば、天はこれよくこれを罰する。また天子に病気や祟りがあれば、必ず斎戒沐浴し、清らかな御酒や供物をつくり、天の神を祭る。そうすると天はその病気や祟りをとり除く[82]。
 以上のように、古代の人々は病を天が与えた罰だと考えていた。また神に供える酒を、清らかに造るのを条件とするのは、『墨子』のみにあり、注目される。
 
 『荘子』には、以下の記述がみられる。
夫酔者之墜於車也、雖疾不死。骨節与人同而犯害与人異、其神全也。乗亦弗知也、墜亦弗知也。死生驚懼不入乎其胸、是故□物而不慴。彼得全於酒而猶若是、而況得全於天乎?[83]
そもそも酔っぱらいが馬車から落っこちる場合、どんなに速く走っていても死ぬことはないもの。骨や関節といった身体の造りは人と同じであるのに、被害の受け方が人と違うのは、精神が完全で本来のままに保たれているからだな。馬車に乗ったことも知らないし、落っこちたことも知らない。だから、死ぬだの生きるだの、驚いただの惧いだの、およそ感情と名のつくものは、前後不覚に酔っぱらった彼の胸中には入ってこないのだ。それで、雨が降ろうが槍が降ろうが、びくともしないというわけさ。酔っぱらいは酒のおかげで精神を完全で本来のままに保ちえたのだが、それでさえこのとおり。精神を完全で本来のままに保つ至人の場合は、なおさらのことだろうね[84]。
 至人とは聖人のことである。このように酒を飲み、酔うことで精神が完全な状態に保たれ、けがをしにくくなる、という考えは『列子』にもあり、やはり注目していい。だが、聖人と比較していることからも、酒に神秘的な力を感じていたのではなかろうか。

 酒を医療に利用する話としては、『列子』に扁鵲の酒を使用した手術の様子が記載されている。

扁鵲遂飲二人毒酒、迷死三日、剖胸探心、易而置之、投以神薬[85]。
かくて扁鵲は二人に毒入りの酒を飲ませた。すると三日ほど仮死状態になった。その間に胸を切り開いて心臓を取り出し、交換してもと通りにしてから、霊妙な薬を投与した[86]。
 「毒酒」が何を指すのかはっきりしないが、酒だけの力で仮死状態にしたとは考えにくい。扁鵲そのものが伝説上の人物なので、本記述の記述の検討に大きな意義はないが、麻酔性のある酒を「毒酒」と呼んでいる可能性が高い。恐らく酒の麻酔作用も関連するのだろう。

3 史書にみられる酒の記述

 『史記』(前90頃)、『漢書』(78頃)、『三国志』(3世紀中葉)、『後漢書』(426頃)の記述を表2にまとめた。このように諸侯の宴会の様子が多く描かれており、また他国への贈り物、官吏への恩賞として使われていた。酒は嗜好品としての側面が強くでており、医療的な利用はみられなかった。
 

表2 史書にみられる酒
 『史記』『三国志』『漢書』『後漢書』計 
  13  24  19   6   62
酒を飲む   6   3   3      12
暴君の様子   5   2     7
贈り物・恩賞・恩赦   4   4  40   5   53
謀略   3   2     5
酒での失敗   3   5     8
酒に耽る   3    1    4
人物像   2   5   2    7
楽しいこと   2      2
酒礼      2     2
高価・ごちそう      3     3
酒を売る・買う    2     2
     1    1
酒を禁じる     1   4   5
その他   5  16   9   10   40
計   48  66  78   24  216

4 小結

 以上、古典籍に関してみたが、全体に嗜好品としての記述が色濃く、酒が病を治すといった記載はほとんどなかった。これらの書物が編纂された時代には、酒が医療目的で使用されていたのは確かだが、記述がみられるのは医薬文献だけであった。

 だが、『墨子』や『荘子』、『列子』の記載に「神に祀る酒は清らかに作る」「酔った人は精神が完全な状態」とあるように、酒は清浄であり神秘的な力を持つと認識されていたようだ。この認識は、これらが成立したとされる紀元前400年前後には自然な認識だったと考えられる。

 今回検索したのは「酒」の字だけであり、「醴」など、酒を意味する別字を検索していないため、それを検索するなら、また違った結果がみられるかもしれない。
 

結論

 『新修本草』で確認したように、酒の本草における記載は『名医別録』(3〜5世紀)が最初だった。そこに酒は@大熱、A有毒、B薬勢を行らす、C百邪気を殺すの4点が挙げられている。また『新修本草』全書には、多様な酒の使用方法が記載されていた。これら効能認識と方法の由来と原姿を本稿では論究してきた。

 まず古典籍の記述から、前4〜5世紀に「酒は清浄なものである」「不思議な力をもっている」と認識されていたことがわかった。これが演繹され、酒は「清浄ではないもの」、つまり邪気を除くと発想され、その発想がCとして後世まで医療に応用されていったのだろう。ただし当発想が定着する遙か前から、酒は祭祀に用いられていたのも間違いない。とするなら酒に「邪気を除く力がある」とされ、その力を医療に応用したのはさらに古い時代だと推察できる。

  他方、古典籍全体にはそうした酒の長所ともいえる認識以外に、酒に耽り国を滅ぼした話など、酒の短所の記載が前5世紀からあった。もちろん人類が酒を多飲できるようになったときから、そうした有害作用も有用作用とともに認識されていたはずである。ともあれ、酒の有害作用はAとして本草に帰納されたことは間違いないといえよう。そして前2世紀以前の「馬王堆医書」には、医書として当然ながら酒の有害作用は記されていなかった。

 しかしながら、酒の有用作用として「体を温める」認識が『五十二病方』にみられる。これが『名医別録』の@や陶弘景がいう酒の熱性に帰納された、と考えていいだろう。さらに『十問』では酒を「百薬の補助剤」とし、『五十二病方』の処方傾向からはBの作用を酒に認識していることがわかった。またCの認識も『五十二病方』にみられた。つまり「馬王堆医書」が成立した時代、すでにそれらの作用認識が普及していたと判断できよう。

 一方、『五十二病方』の検討において、『名医別録』にはみられなかった酒への効能認識も浮かび上がってきた。『五十二病方』には「血行促進」「利尿」、『胎産方』『雑禁方』には「子供を授かる」「妻となる女性が現れる」という呪術的使用がある。『十問』『養生方』では、酒が「滋養に富んだ飲み物」で「長生効果」を示すと認識されていた。以上のうち、「滋養に富んだ飲み物」は陶弘景の注に継承されていた。しかし『新修本草』までの本草書に記載がない効能認識もあり、「馬王堆医書」では数多くの疾患・症状に酒が応用されていたのである。しかも使用方法は、内服・洗浄・調剤補助剤や内服と外用の兼用など多岐にわたっていた。なぜそれらの一部は後世の本草書に継承されなかったのだろうか。

 ところで1世紀の『武威漢代医簡』は、時代的に両者の中間に位置する。そこには無論、医書としてAの記載はないが、明らかに@Bの認識があった。Cおよび「血行促進」「利尿」作用は認識されていたように思われる。つまり呪術的応用と長生効果が欠落していた。周知のように、巫と医の明瞭な分離の記載は『史記』の扁鵲伝に初出する。ならば当背景により、「馬王堆医書」と『武威漢代医簡』の相違が生まれたと判断していい。

 さらに『武威漢代医簡』には「馬王堆医書」の多岐にわたる酒の使用方法がみられず、内服法に限定されていた。これは「馬王堆医書」が様々な書物からなるのに対し、『武威漢代医簡』がわずか1書であること、および後者は武威という西域に派遣された医師が携帯した応急処置用の医書であることが関連するであろう。

 以上のように、先秦時代に記載が始まる酒の効能認識は「馬王堆医書」で多様化し、様々な使用方法が開発されていた。そのうち後世の『新修本草』に継承されなかったのは、呪術的側面を持つ効能および方法であることが明らかになった。

 本稿であつかったのはわずか酒という嗜好品1種にすぎないが、その医療応用には上述の時代変遷を認めることができる。これらは、とりもなおさず中国文化の変遷と連動するものであり、人々が酒を愛好し使用した経験の蓄積に基づくものだったといえよう。
 

注と文献

[1]出土文献は、インターネット上の台湾・中央研究院の「文物図象研究室資料庫」(http://saturn.ihp.sinica.edu.tw/~wenwu/ww.htm)で、中国古典籍は「台北故宮『寒泉』古典文献全文検索資料庫」(http://210.69.170.100/s25/index.htm)で字句等を検索した。

[2]『新修本草』巻19、武田長兵衛影印、大阪・本草図書刊行会(1936)。

[3]『新修本草』で病の治療に酒が利用されていたのは、全70薬物について計78の記述が見いだされた。以下に各薬物名(記述数)を所出順に列挙する。石鍾乳(1)、金屑(1)、水銀(1)、孔公{艸+自+辛+子}(1)、理石(1)、鉄精(1)、石床(1)、石花(1)、錫銅鏡鼻(1)、銅弩牙(1)、金牙(1)、石灰(1)、赤銅屑(1)、黄精(1)、乾地黄(1)、石斛(1)、{艸+免}絲子(2)、忍冬(1)、丹参(1)、営実(1)、白花藤(1)、苦参(1)、{台+木}耳実(1)、地楡(1)、白前(1)、百部(1)、垣衣(1)、百脈根(1)、{艸+亭}{艸+歴}(1)、{艸+(勸−力)}菌(1)、虎杖根(1)、{艸+(勸−力)}{艸+朔}(1)、弓弩弦(1)、敗天公(1)、松脂(2)、柏実(1)、五加(1)、槐実(1)、毎始王木(1)、折傷木(1)、鼠李(1)、蔓椒(1)、白楊樹皮(1)、柳華(1)、蘇方木(1)、木天蓼(1)、熊脂(1)、羚羊角(1)、牛角{角+思}(1)、鹿茸(2)、免頭骨(1)、麋脂(2)、{鼠+晏}鼠(2)、猯膏(1)、丹雄鶏(1)、鷓鴣鳥(1)、鷹屎白(1)、雀卵(1)、鴟頭(1)、蜂子(1)、亀甲(1)、伏翼(1)、{けものへん+胃}皮(2)、露蜂房(2)、蝮蛇胆(1)、{魚+(陵−こざとへん)}鯉甲(1)、蓼実(1)、麻{艸+賁}(1)、{豆+支}(2)、腐婢(1)。

[4]酒を使って服用したときの効能が、全44薬物について計49の記述が見いだされた。以下に各薬物名(記述数)を所出順に列挙する。石鍾乳(1)、金屑(1)、水銀(1)、孔公{艸+自+辛+子}(1)、理石(1)、鉄精(1)、石花(1)、石灰(1)、赤銅屑(1)、石斛(1)、{艸+免}絲子(2)、忍冬(1)、丹参(1)、白花藤(1)、苦参(1)、{台+木}耳子(1)、地楡(1)、白前(1)、百部根(1)、垣衣(1)、虎杖根(1)、{艸+(勸−力)}{艸+朔}(1)、松脂(2)、柏実(1)、五加(1)、槐実(1)、鼠李(1)、木天蓼(1)、熊脂(1)、羚羊角(2)、免頭骨(1)、麋脂(1)、{鼠+晏}鼠(2)、鷹屎白(1)、亀甲(1)、伏翼(1)、{けものへん+胃}皮(1)、露蜂房(2)、蝮蛇胆(1)、{魚+(陵−こざとへん)}鯉甲(1)、蓼実(1)、麻{艸+賁}(1)、{豆+支}(1)、腐婢(1)。

[5]唐蘇敬等撰・尚志鉤輯校『唐・新修本草』安徽科学技術出版社(1981)99頁「紫石英」の項に、「惟太山最勝、余処者、可作丸酒餌」とある。

[6]『馬王堆古医書考釈』(馬継興著、張碧金・王一方責任編輯、長沙・湖南科学技術出版社、1992)の8頁に、「可知其墓葬的準確年代為公元前168年、即漢文帝初元十二年」とある。よって、紀元前2世紀以前の記載と思われる。

[7]馬王堆漢墓帛書整理小組『馬王堆漢墓帛書(肆)』北京・文物出版社(1985)25-81頁。酒に関する記載は、「諸病」部の26-27・29頁、「傷痙」部の30-31頁、「犬筮(噬)人傷者」部の34頁、「毒鳥{立+豕}(喙)者」部の35頁、「{虫+元}」部の37・39頁、「白処方」部の41-42頁、「【□{虫+(勸−力)}者】」部の43頁、「【人】病馬不間(癇)」部の44-48頁、「{禿+貴}({やまいだれ+禿+貴})」部の50・52頁、「【脈】者」部の53頁、「【牡】痔」部の56頁、「雎(疽)」部の57-59頁、「闌(爛)」部の61頁、「加(痂)」部の64頁、「乾騒({やまいだれ+蚤})方」部の70-71頁、「□蠱者」部の73-74頁にある。なお、残片は除いた。

[8]前掲注[7]所引文献、99-119頁。酒に関する記載は、「加」部の100頁、「為醪勺(酌)」部の101頁、「為醪勺【治】」部の101-102頁に2箇所、「【麦】卵」部の102頁、「【除中益気】」部の110頁、「【治力】」部の113頁に2箇所、「【醪利中】」部の114頁に2箇所、「【走】」部の115頁の計10箇所がある。

[9]前掲注[7]所引文献、123-129頁。酒に関する記載は、「益内利中」126-127頁に1箇所がある。

[10]前掲注[7]所引文献、133-141頁。酒に関する記載は、「懐子者」部の138頁、「求子之道曰」部の139頁の計2箇所がある。

[11]前掲注[7]所引文献、145-152頁。酒に関する記載は、「【・】黄帝問於容成」部の146-147頁に1箇所、「文執(摯)見斉威王」部150-151頁に1箇所(4文字)の計2箇所がある。

[12]前掲注[7]所引文献、159頁に酒に関する記載が1箇所ある。

[13]『武威漢代医簡』(甘粛省博物館・武威県文化館編、北京・文物出版社、1975)の「武威漢代医簡{(墓−土)+手}本釈文注釈」23頁に、「根据上述有関墓室、殉葬品和銭匝的特征、初歩灘坡墓的年代当属東漢早期」とある。

[14]「馬王堆医書」の和訳は『新発現中国科学史資料の研究釈注篇』(山田慶兒編、京都・京都大学人文科学研究所、1985)、『武威漢代医簡』の和訳は「武威漢代医簡について」(赤堀昭、東方学報、1978)に依拠する。

[15]前掲注[7]所引文献、145-152頁。酒に関する記載は、「【・】黄帝問於容成」部の146-147頁に1箇所、「文執(摯)見斉威王」部150-151頁に1箇所(4文字)の計2箇所がある。

[16]残存した43の病を分類すると、次のようになる毒虫・蛇・犬による咬み傷:8。皮膚病:8。外傷(切り傷など、痙、やけど):5。痔:4。神経性の疾患(癲など):4。陰部の疾患(淋・{やまいだれ+隆}など):4。蠱毒による疾患:2。毒をうける・鬼にとりつかれる・漆によるかぶれ:各1。病気の種類がはっきりしないもの:5。

[17]『馬王堆漢墓帛書校釈(壱)』(魏啓鵬・胡翔{馬+華}撰、成都・成都出版社、1992)46頁に、「諸病;従後面各方来看、是指因金刃、趺打所引起的出血、感染、{やまいだれ+於}血阻滞等創傷」とある。
[18]前掲注[13]所引文献、医簡番号の13・14・51に金瘡の記載がある。

[19]前掲注[17]所引文献55頁に、「傷痙;即破傷風、又名金瘡痙。多因外傷而中風邪、傷或癒或未癒即発寒発熱、顔面肌肉痙攣、呈苦面笑容、牙関緊閉、舌強口噤、流涎」とある。

[20]前掲注[4]所引、『唐・新修本草』、380-381頁「牡狗陰茎」、467頁「薤」、前掲注[2]巻19「蘖米」。

[22]前掲注[7]所引文献、30頁。

[23]前掲注[7]所引文献、61頁。

[24]前掲注[7]所引文献、60頁に、「爛、焼傷。『左伝』定公三年注:「火傷曰爛。」本標題第一字、従残筆看可能之火字」とある。

[25]前掲注[7]所引文献39頁。

[26]「五十二病方」に他の病名として「狂犬齧人」があるため、正確には狂犬病にかかっていない犬にかまれた傷である。

[27]前掲注[7]所引文献37頁の「{虫+元}」に対する注に、「{虫+元};毒蛇『名医別録』:“{虫+元}、蝮類、一名{兀+虫}、短身土色而無紋。”…本病即被這種毒蛇咬傷」とある。

[28]前掲注[17]所引文献64頁、「毒烏{立+豕}(喙)者;烏頭汁名射罔、古代用以製毒箭。帛書整理小組指出、這裏所載症候、”是被毒箭射傷”」による。

[29]前掲注[7]所引文献、34頁。

[30]前掲注[7]所引文献、37頁。

[31]前掲注[7]所引文献、39頁。

[32]前掲注[17]所引文献69頁に、「蘭:古代沢蘭与佩蘭常混淆、此当為沢蘭。『神農本草経』称沢蘭治“廱腫瘡膿。”今『福建民間草薬』載以沢蘭治蛇咬傷、方法与本方同」とある。『神農本草経』の記載より、毒を消す効果よりも傷を治す効果を期待して使用したのでは、と推察する。

[33]前掲注[7]所引文献41頁に、「白処;応為有皮膚色素消失症状的皮膚病、如白癜之類」とある。
[34]前掲注[7]所引文献57頁の注による。

[35]前掲注[7]所引文献63頁に、「痂、『説文』大徐本:「疥也。」小徐本:「乾傷也。」是疥癬類皮膚病、与後世字義不同」とある。

[36]前掲注[7]所引文献70頁に、「{やまいだれ+蚤}、疥」とある。

[37]前掲注[7]所引文献、41頁。

[38]17処方のうち、薬物や使用法がはっきりしない5処方を除くと、8処方に体や患部を温める目的があった(桂・薑・椒を含む処方−2、患部を温水や煮汁で洗う−2、服薬後、温衣を着る−2、患部を温める−1、汗がでれば治る−1)。

[39]前掲注[7]所引文献57頁の注による。

[40]「茹芦」は「茜根」の一名。前掲注[5]所引『唐・新修本草』196頁の「茜根」は、主治に「黄疸(『神農本草経』文)」とあり、尚志鈞の注に疸は「疽」という。「桃葉」は同文献275頁の「羊桃」の主治に「悪瘍(『名医別録』文)」「可作浴湯(『神農本草経』文)」、また「人取煮以洗風痒及諸瘡腫、極効(『新修本草』文)」とあり、「五十二病方」の処方と一致する。「陵{(叔−又)+攴}(菱{艸+支})」は『新修本草』立項されていなかった。しかし陵{(叔−又)+攴}(菱{艸+支})は「五十二病方」の「加(痂)」の処方にも使われており、それは「乾騒({やまいだれ+蚤})方」の処方とほぼ同じで、酒の代わりに「小童弱(小児の尿)」が使用されていた。前掲注[5]所引『唐・新修本草』367頁「人溺」の主治には「療寒熱、頭痛、温気(『名医別録』文)」しかないため、陵{(叔−又)+攴}(菱{艸+支})に皮膚病を治す力があると考えてられていたと推察できる。

[41]前掲注[7]所引文献65頁参照。

[42]前掲注[17]所引文献105-106頁に、「脈者;当即脈痔。『諸病源候論・脈痔候』:“肛辺生瘡、痒而復痛出血者、脈痔也。”即肛裂」とある。

[43]前掲注[17]所引文献109頁に、「牝痔:『諸病現候論・牝痔考』載、“肛辺腫生瘡而出血者、牝痔也。”即肛周膿腫及部分混合痔」とある。

[44]前掲注[7]所引文献、53頁参照。

[45]前掲注[7]所引文献、56頁。

[46]前掲注[5]所引、『唐・新修本草』179頁「防風」、同190頁「{艸+麻+非}蕪」、同257頁「鳥頭」をみても、皮膚に関する効果はみられない。なお以上4薬物は、性が温もしくは大温の点で共通している。

[47]前掲注[7]所引文献44頁に、「{やまいだれ+(降−こざとへん)}、即{やまいだれ+隆}字。『素問・宣明五気』:膀胱不利為{やまいだれ+隆}、『黄帝内経太素』巻二楊注:淋也」とある。

[48]水で煮る処方に使用された薬物で{やまいだれ+隆}に効果があったのは「鬚」、「葵」(4処方)、「棗」、「膠」(2処方)、「牡荊」である。酒で煮る処方に使用された薬物は、「膠」「頭垢」「石韋」「酢」である。酒で煮る場合、1処方に1つしか{やまいだれ+隆}に効果がある薬物が処方されていないのに対して、水は2種類の薬物を処方する場合もある。

[49]前掲注[7]所引文献47頁に、「一、{やまいだれ+(降−こざとへん)}。坎方尺有半、深至肘、即焼陳藁其中、令其灰不盈半尺、薄洒之以美酒、□茜莢一、棗十四、{立+豕}({艸+(立+豕)+おおがい})之朱(茱)臾(萸)、椒、合而一区、燔之坎中、以隧下。已、沃。(別方。{やまいだれ+隆}病には、一辺の長さが一尺五寸、深さが肘まで入る四角い穴を掘り、そのなかで古い藁を焼き、その灰の厚さが五寸未満になるようにし、これに上等の酒をかるくふりかける。p莢一個、棗十四個、呉茱萸、山椒を□、混ぜ合わせて、一つにまとめ、それを穴の中で焼き、患者を降ろす。治ったら、水を注いで洗う)」とある。前掲注[17]所引文献60頁によれば、「隧下:隧読為燧、這裏是説燻{火+考}下身。『太平聖恵方』有通二便関格方、“用p莢焼煙於桶内、座上燻之、即通”、与本方相似」とあるので、穴の中で薬物を焼き、患部を燻すことで治療するのだろう。そうであれば、灰や酒がなくとも{やまいだれ+隆}は治療できる。酒を使用する目的がはっきりしない。

[50]前掲注[13]所引文献、医簡番号の9・10にあたる。

[51]前掲注[5]所引『唐・新修本草』98頁「滑石」の主治に、「{やまいだれ+隆}閉、利小便(『神農本草経』文)」、同172頁「{艸+免}糸子」の主治に「茎中寒、精自出、溺有余瀝(『名医別録』文)」、同217頁「瞿麦」の主治に「関格諸{やまいだれ+隆}結、小便不通(『神農本草経』文)」とあり、それぞれ{やまいだれ+隆}に効果がある。また、「{艸+免}糸子」には「得酒良(陶弘景注文)」ともある。

[52]前掲注[14]所引文献、210-211頁による。

[53]前掲注[7]所引文献、73頁に□蠱者の注として「『素問・玉機真蔵論』:「病名曰疝{やまいだれ+(暇−日)}、少腹熱而痛、出白、一名曰蠱。」古人以為中蠱毒所致」とある。

[54]前掲注[5]所引文献『唐・新修本草』425頁「蝮蛇胆」に「肉、除蠱毒」とある。

[55]前掲注[7]所引文献100頁に、「加、『国語・魯語』注:益也、在此義為補益」とある。

[56]前掲注[5]所引、『唐・新修本草』188頁「蘭草」の主治として「久服益気、軽身、不老(『神農本草経』文)」とある。また、同301頁「松脂」の主治として「久服軽身、不老、延年(『神農本草経』文)」とある。この処方でほかに使用された薬物は「蔓華」である。

[57]前掲注[6]所引文献667頁に、「治」部の解題として「本篇継上篇之後治療症状的壮陽方」とある。

[58]前掲注[5]所引、『唐・新修本草』402頁「蜂子」の主治に「久服令人光沢、好顔色、不老(『神農本草経』文)、軽身益気(『名医別録』文)」とある。(また、同「大黄蜂子」にも「軽身益気(『神農本草経』文)」とある。)「疸{米+臭}」は、前掲注[7]所引文102頁に「疸、読為{食+(壇−土)}。{米+臭}、『説文』:「熬米麦也。」{食+(壇−土)}{米+臭}、稠厚的炒米粉或炒麺」とある。

[59]前掲注[7]所引文献102頁に「{亡+口+(月+虫+凡)}中虫、当即蝸牛肉」とある。前掲注[5]所引、『唐・新修本草』の437頁の「蝸牛」に、不老などの効能はみられなかった。しかし、『養生方』には5回処方されており、『養生方』が書かれた当時には不老などに効果があると考えられていたのではなかろうか。

[60]前掲注[7]所引文献101頁注による。

[61]前掲注[5]所引、『唐・新修本草』332頁「紫威」の主治として、「益気(『名医別録』文)」、同207頁「干姜」に「生姜、…久服去臭気、通神明(『神農本草経』文)」、同491頁「黍米」の主治に「益気、補中(『名医別録』文)」とある。

[62]前掲注[7]所引文献112頁注によると、「知力」部と「醪利中」部の間に3、4個の小題目があったが失われ、当方がどの題目に属するかはっきりしない。本論では前掲注[6]に従い、当方を「益寿」部とする。

[63]前掲注[7]所引文献115頁注に、「走、行走。本条是旅行時増加足力的薬方」とある。

[64]前掲注[13]所引文献、医簡番号6-7。

[65]前掲注[5]所引、『唐・新修本草』157頁、「沢瀉」の主治に「主大風(『名医別録』文)」、同256頁、「烏頭」の主治に「主中風、悪風(『神農本草経』文)」、「蜀椒」の主治に「傷寒(『名医別録』文)」とある。
 
[66]前掲注[14]所引文献「武威漢代医簡について」の99頁に「『説文』巻七下「{やまいだれ+於}。積血也」とある。

[67]前掲注[13]所引文献、医簡番号9-10。

[68]前掲注[5]所引、『唐・新修本草』189頁「{艸+弓}{艸+窮}」の主治に「婦人血閉無子(『神農本草経』文)」、同203頁「当帰」の主治に「除客血内塞(『名医別録』文)」、同227頁「牡丹」の主治に「除…{やまいだれ+於}血(『神農本草経』文)」など、{やまいだれ+於}に対する効能がみられる。

[69]前掲注[13]所引文献、医簡番号17-18。

[70]前掲注[14]所引文献「武威漢代医簡について」の102頁に「『素問』腹中論「帝曰、病有少腹盛、上下左右皆有根、此処為何病、可治不、岐伯曰、病曰伏梁、帝曰、伏梁何因而得之、岐伯曰、裹大膿血、居腸胃之外、不可治、治之毎切按之致死」とある。

[71]前掲注[13]所引文献、医簡番号46-47。

[72]前掲注[13]所引文献、医簡番号85甲。

[73]十三経で「酒」の字を検索した結果、『周易正義』『尚書正義』『毛詩正義』の3書に記載があった。『周易正義』は魏の王弼・韓康伯の注、唐の孔穎達らの正義、『尚書正義』は漢の孔安国の注、唐の孔穎達らの正義、『毛詩正義』は漢の毛亨の伝、鄭玄の箋、唐の孔穎達らの正義である(藤堂明保編『学研漢和大字典(机上版)』1602頁、東京・株式会社学習研究社、1988、第11版による)。

[74]「先秦諸子」で「酒」の字を検索した結果、『荀子』『荘子』『列子』『墨子』の4書に記載があった。『荀子』は前230年頃、『荘子』は前290年頃、『列子』は前400年頃、『墨子』は前390年頃の成立とされている(『中国の古典名著・総解説』78・110・115・147頁、東京・自由国民社、1981による)。

[75]前掲注[73]参照文献1609頁に、「漢の司馬遷(前145-前86)の著した古代通史。前91年成立」とある。また前掲注[74]参照文献27頁に、「中国の伝説時代から、夏・殷・周王朝、春秋戦国時代、秦帝国による統一と瓦解を経て、前2世紀、漢帝国初期に至るまでの歴史がつづられている」とある。

[76]前掲注[73]参照文献1609頁に、「西晋の歴史家陳寿(233-279)の著。成立年代不明。漢王朝没落のあと、魏・蜀・呉の三国が天下に覇を争った、いわゆる三国時代のことを記した正史」とある。

[77]前掲注[73]参照文献1609頁に、「後漢の歴史家班固(32-92)の著。建初三年(78)ごろ成立。前漢の高祖から平帝までの231年間の歴史をしるした正史」とある。

[78]前掲注[73]参照文献1609頁に、「南朝、宋の范曄(397-445)の著。元嘉三年(426)ごろ成立。後漢の歴史をしるした正史」とある。

[79]十三経の検索で、以下の書の各篇(括弧内に「記載箇所・1字以上の文字数」を示す)に「酒」の字がみられた。『周易正義』では第2巻「需」(1・2文字)、第3巻「習坎」(1・2文字)、第5巻「困」(1・2文字)、第6巻「末済」(1・2文字)の計4箇所8文字。『尚書正義』−第7巻「夏書」五子之歌(1)、第10巻「商書」微子(2)、第16巻「周書」無逸(1)、第10巻「商書」説命(1)、第14巻「周書」酒誥(4・12文字)、第7巻「夏書」胤征(1・2文字)の計10箇所19文字。『毛詩正義』では第4巻「国風」鄭風(2・3文字)、第8巻「国風」幽風(1・2文字)、第20巻「魯頌」(2・3文字)、第9-15巻「小雅」(17・37文字)、第19巻「周頌」(3)、第6巻「国風」唐風(1)、第2巻「国風]{止+おおざと}風(1)、巻16-18巻「大雅」(7・11文字)の計34箇所61文字。以上の書で計48箇所・88文字だった。

[80]「先秦諸子」の検索で、以下の書の各篇(括弧内に「記載箇所・1字以上の文字数」を示す)に「酒」の字がみられた。『荀子』では「非十二子」(1)、「礼論」(2・4文字)、「楽論」(1)、「大略」(2)、「解蔽」(1)、「哀公」(1)、「栄辱」(1)の計9箇所11文字。『荘子』では「斉物論」(1)、「人間世」(2)、「{月+去}篋」(1)、「達生」(1)、「徐無鬼」(3・4文字)、「則陽」(1)、「漁夫」(1・3文字)、「列禦寇」(1)の計11箇所14文字。『列子』では「天瑞第一」(1)、「黄帝第二」(1)、「周穆王第三」(2)、「湯問第五」(2)、「楊朱第七」(1・3文字)、「説符第八」(1)の計8箇所10文字。『墨子』では「節葬下」(1)、「法儀」(1)、「尚賢中」(1)、「尚同中」(1・2文字)、「非攻下」(1)、「天子上」(2)、「天志中」(2)、「天志下」(2)、「明鬼下」(3・7文字)、「非楽上」(1)、「非命上」(1)、「非命中」(1)、「非命下」(1)、「非儒下」(1・2文字)、「経説下」(4)、「貴義」(1)、「公孟」(1・4文字)、「備梯」(1)、「号令」(4・5文字)の計30箇所37文字。以上の書で計58箇所・72文字だった。

[81]『墨子』天志中、前掲注[1]「台北故宮『寒泉』古典文献全文検索資料庫」による。

[82]柿村峻・藪内清訳『韓非子 墨子(中国古典文学大系第5巻)』404頁、東京・平凡社(1968)。

[83]『荘子』「達生」、前掲注[1]所引文献「台北故宮『寒泉』古典文献全文検索資料庫」による。

[84]池田知久訳『荘子下(中国の古典6)』89-90頁、東京・学習研究社(1986)。

[85]『列子』「湯問第五」。前掲注[1]所引文献「台北故宮『寒泉』古典文献全文検索資料庫」による。

[86]麦谷邦夫訳『老子・列子(中国の古典2)』327頁、東京・学習研究社(1983)。