漢喃研究院(Han Nom Insutitute)の訪書(2001年9月5日から14日)
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 今回訪書したのは漢喃研究院(Sino-Nom Institute, 183. Dang Tien Dong Str.〔鄧進東街〕, Dong Da〔棟多郡〕, Hanoi〔河内〕,Vietnam〔越南〕, Tel:84-4-8-574-956, Fax:84-4-8-570-940)の蔵書で、ここはベトナム社会人文科学国家センター(National Centre for Social Sciences and Humanities)に所属する。

 漢とは中国文字(文献)であり、喃とは漢字のヘンやツクリを組み合わせたベトナム固有文字(文献)のこと。喃文字を初めて見て思ったが、日本独自のいわゆる国字(峠・町・鮟鱇など)がおよそ名詞に限定されるのに対し、ハングルほどではないにしても助詞的文字まであり、かなり多機能なことだった。これが80年間のフランス支配でベトナム社会から消えてしまったのはなんとも残念と感じたが、こうした機関があって保存・研究しているのは立派といえよう。

 さて下写真のように当研究院の入り口の扁額には「院研究漢喃」(写真では光って南字の左上にある口ヘンが見えない)と書かれており、これはベトナム語の文法によろう。愚考するにInsutitute(院) for Study(研究) Han Nom(漢喃)の語順なので、ベトナム語の根本にはインドを介したアーリア系の要素があり、そこに日本と同様に中国語の語彙が重なったのだろうか。

 当研究院所蔵の漢喃文献は約5000点、また漢喃碑文の拓本が5万点近くある。文献はフランスとの共同で1993年に目録が完成・出版。その修復とマイクロフィルム化はハノイ西友社長の荒川研氏の尽力により、日本政府の援助で現在ほぼ完成しつつある。さらにベトナム政府の資金で、CD-ROM化を計画中という。一方、拓本の整理と目録化が現在行われているようで、2階にある下写真左の閲覧室では研究員が連日その作業を行っていた。研究員の多くは中国語を様々なレベルで話すので、調査にも大きな不便はなかった。

 閲覧室は金曜午後と休日の土日以外に開かれる。午前は8:30に閲覧文献を受け付け、8:45頃に文献が出て、11:15に返却。午後は14:00に開室と受け付け、14:15頃に文献が出て、16:15に返却というスケジュール。こののんびりペースは昼寝の習慣と、夕方からのアルバイトを配慮してのことらしい。普通の公務員の給料だけでは、絶対に生活不可能という事情があるのだ。

 さて私が閲覧できた文献は上述のペースゆえ約50点にとどまったが、いずれも93年以前に補修がなされたものだった。下写真右がその一例で、みな線装部を包んだ独特の包背装(街の骨董店で偶然購入できた『医学入門』の1859年ハノイ版は原装だが、やはり同様の包背装だった)。写真で黄色い表紙以外は漆を塗ってあるが、フランス統治時代の方法で、伝統的な方法ではないという。

 そこで現在の補修を拝見させていただいた。ベトナムの伝統紙は刊本も写本も楮紙で、中国の竹紙や藁紙のような種類はないという。ただ日本や朝鮮の楮紙より繊維が短く、そのためか柔らかい。日本のに近い薄いクリーム色で、朝鮮楮紙のように白くはない。下写真左は破損した写本に中葉楮紙で裏打ちし、乾燥した状態。

 上写真右はそれに新しい表紙をあて、版心の折り目を固定しているところ。この表紙は楮紙を3枚重ね貼りし、{木+忌}樹の果汁と明礬で焦げ茶色に染めた「板紙」という独特のもので、骨董店で見た100点以上の写本も皆この表紙だった。このあと右写真の絹糸で四針眼装訂して裁断し、さらに書背と糸掛けした角布をあてる部分にも板紙と同じ液を塗っていた。

 この{木+忌}樹の果汁に防虫効果があるのだろうか、ベトナムの高温・多湿にもかかわらず、いわゆる紙魚による虫損がある書は計150点ほど見た中に2点しかなかった。骨董店で見た書は特別な保存をしてきたわけではなく、多くが著しく破損していたにもかかわらずである。日本や中国の古書で、かくも虫損が少ないということはありえない。ベトナム古書の面白い側面をかいま見た思いだった。