韓国での国際会議(2003年11月18日-22日)
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 2003年11月18〜22日の五日間、ソウルに出張した。19日にソウルの慶煕大学にて開催された韓国医史学会・韓医学研究院共催の国際会議「國際東亞細亞傳統醫學史學術大會」に出席・発表するのが主目的。また20日には韓医学研究院主催の東アジア伝統医学史シンポジウムが別会場であり、講演をした。さらに20・21日は国立中央図書館およびソウル郊外にある韓独医薬史料館にて古医籍を閲覧・調査した。

 これら日程に参加した外国のゲストは、真柳の他に中国から中華医学会医史学分会(中華中医薬学会中医薬史分会)の朱建平常任理事(中国中医研究院医史文献研究所教授、『中華医史雑誌』編集委員長)、また北京中医薬大学基礎医学院医史文献教研室の梁永宣助教授である。

 右写真は当大会後の様子。演壇左から真柳と朱氏、祝辞者の左が梁氏で、司会は慶煕大学校韓医科大学医史学研究室の金南一教授。朱氏は中国中医研究院所蔵の韓医学文献の書誌調査結果、梁氏は江戸時代に来た朝鮮通信使随行医官と日本の漢方医との筆談録について、私は高麗が宋に献上した『針経』に現『霊枢』が由来する新知見、また韓医学研究院医史文献部門の安相佑教授が韓医学文献のデータベース構築と文字処理方法を講演した。この他に一般口演もあり、それら全文は同年12月発行の『韓国医史学会誌』16巻2号に掲載された。

 当大会後にも三か国医史学会の今後の学術連携についての協議が持たれ、以下の点について中国・韓国の合意が得られた。ついては日本医史学会も今後の総会等で承認を得た後、積極的に協力したい旨を私から伝えた。

1.各国医史学会は各々の学会誌の年度末号に、他学会の学会誌が昨年度に掲載した論文タイトル・著者名等を掲載し、研究の相互理解を促進させる。当件は『日本医史学雑誌』が以前から実施中。『日本医史学雑誌』の昨年度論文リストは『中華医史雑誌』と『韓国医史学雑誌』に提供ずみで、『中華医史雑誌』にすでに掲載された。

2.各医史学会の総会(年会)等行事予定を事前に相互連絡し、各々の学会で会員に通知する。

3.各医史学会は各々の総会に他国学会からの祝賀花籠を各自の負担で会場に設置する。当件は三か国ともすでに実施中で、右写真は当大会会場に設置された日本医史学会からの花籠。

4.各医史学会は各々の総会・各種公開会議に他国医史学会会員が参加・発表を希望する場合、入会を不要とし、自国学会員と同一の参加費用を負担する条件で許可する。

5.隔年で三か国医史学会の連合学術大会を各国学会の総会と合同で開催し、第一回は2006年に北京で開催の中華医史学会の年会と合同、第二回は2008年にソウルで開催の韓国医史学会と合同で行う。また2010年の第三回は日本での開催が求められた。

 20日の韓国医学研究院主催東アジア伝統医学史シンポジウムでは、梁氏が『医方類聚』について、私は急遽講演を求められたため既発表の日中韓医学文献の三カ国における流通と変遷について講演した。さらに20日に訪問調査した国立中央図書館は念願だった機関で、その充実した古医籍蔵書に接し、04年度の本格調査を決意した。

 21日に訪問したソウル郊外の右写真の韓独医薬史料室はドイツとの合弁製薬会社の施設で、国宝を含む所蔵品のすばらしさに圧倒された。写真の人物は左から梁・車・朱の各氏。ここは国立中央図書館・ソウル大奎章閣に次ぐ韓国第三の古医籍蔵書を誇り、十数年前に古書市で購入したという李朝古活字『医方類聚』零本は、宮内庁本の欠落部分でもあり、とても驚いた。しかし現在は書籍担当者がなくて一般の閲覧が不可で、いささか残念だった。

 なお今回の訪問に際しては、慶煕韓医科大医史学研究室の車雄碩教授が自ら車を運転し、私ども外国人の全日程に随行され、大変お世話になったことを感謝を込めて付記しておきたい。