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第1回「双中北医史講座」での講演(2006年3月16日)←この報道『科学時報』06年3月28日版

 2006年の3月8日から18日まで学生の中国短期語学研修と研修旅行を引率して中国に行った。うち二人の学生が発病して北京の中日友好医院に入院という大変なアクシデントもあったが、全員が予定の日程で何とか帰国できたのは幸いだった。

 その合間の半日、友人の鄭金生教授から依頼されていた講演
「漢字文化圏接納中国医学的史学傾向」、彼の研究所がある中国中医科学院大白楼東612会議室にて行った。こ れは第1回の「双中北医史講座」で、当初は何が「双中北」と思った。が、当講座を共催する中国中医科学院中国医史文献研究所と中国科学院自然科学史研究所 の双中、および北京大学医学史研究所と北京中医薬大学基礎医学院の双北のことときいて納得した。面白いことを言うものだが、在京の4機関が連合して講座を 開催するとは歓迎すべき新しい動きといっていい。ずいぶんと開放的になったものだ。























 下写真
は当講座の趣旨を説明する中国医史文献研究所副所長の朱建平教授。

 下写真は私を紹介してくれている北京中医薬大学基礎医学院医史学教室の梁永宣助教授。

 下写真で私の左が医史文献研究所の肖永芝助教授、私の右が鄭教授、一人おいて前をにらんでいるのが中国科学院自然科学史研究所所長の廖育群教授。立って撮影しているのは偶然、北京に来ていた千葉大和漢診療学講座の平崎医師だろう。その左は大阪市大の博士課程院生で北京中医薬大学に留学中の三鬼君。手前の列でスクリーンを見ている女性は北京中医薬大学診断学教室の梁榮教授。とても友人・知人が多い会だった。

 下写真でも分かるように、中国でも最近の学生はペットボトルのお茶を持ち歩いている。

 下写真は講演の後のコメントで、たぶん廖教授が言った冗談で鄭教授と一緒に笑っている。私は学生が入院中でもあり、いささか緊張していたが、講演し終わったので少しはリラックスした。私は普段からの持論を話したのだが、相当に刺激的に受け取られたらしいことは後日の新聞報道で分かった。しかしねー、という誤認も多いけど、まーいいか。