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北京中医薬大学での講演出張(2004年12月8日-12日)
2004年12月8日〜12日の5日間、北京中医薬大学での講演のため北京に出張した。旅費・滞在費とも同校梁永宣助教授の科研費「教育部直属高校聘請外国専家重点項目−中日朝医学交流研究」による支弁。かつて滞在費を出してくれることは多かったが、旅費までというのは初めてで、中国の好景気ぶりを身を以て分かった。また今回はかつて妻の流産癖を治療いただいた同校名誉教授の王綿之先生に会い、妻が描いた王老の油絵を手渡すために妻も同行してくれた。
私の講演は北京中医薬大学外国専家学術報告会の一環として9日にあり(通知張り紙のワードファイル)、左上写真のように最初は同校責任者の挨拶や紹介から始まった。右上写真はパソコンとプロジェクターがやっとつながったので、冒頭に冗談を飛ばしているところ。今回講演したテーマは「中国周縁国の中国医学受容傾向−現存古医籍の調査より−(パワーポイントファイル、1.76MBもあるのでダウンロードには注意)」で、ここ4年ほど文科省の科研費で梁永宣助教授と中医研究院の鄭金生教授も共同研究者として進めてきた東アジア古医籍流通史の調査研究の初期成果である。
曜日が良くなかったとかで聴講者は40名ほどで、多くは院生と若手教官・医師だった。また鄭教授や医古文の銭超塵教授、診断学の梁栄教授、北京や上海に医学史関連で留学している日本人の院生4人(久保・三鬼・松本・吉田)の各君も聞きにきてくれていた。講演は2時間くらいでとのことだったので、時間の節約で最初は中国語で話していた。しかし日本語を学んでいる教官や学生が多く、生の日本語を聞きたいとの希望があったのを想い出し、上写真のように途中から梁氏に通訳をお願いした。あるいは私の好い加減な中国語ではちっとも話が見えないので、そう言ってくれたのかも知れない。
私の話は今まで誰も気づいていなかった各国伝統医学との関連史と、かなり刺激的な背景解釈があったためか中途退席者もなく、上写真のように驚くほど熱心に聴講していた。講演後の質疑も熱心で多かった。中には日本通の梁栄氏や鄭氏に説明してもらったほうがいいものもあり、代返してもらっている間に用をたしてニコチンも補給できて助かった。なお写真の手前から二人目は北京蔵(チベット)医院の医師で、翌日の同医院古典籍室の見学ではお世話になった。前列中央は鄭氏、その右側は鄭氏の院生の白華君。