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中央研究院学術活動中心3009室2001年7月28日撮影

独り寝の部屋には、やはりギターがいい

窓の外は炎暑にもえる亜熱帯の裏山
だが朝夕はどこからか紫煙がただよい、道士が煉丹でもしている雰囲気

ここのゲストハウスは超高速のLANが自由に使えるのが特徴 ただ市内から遠すぎて付近になにもない

テレビは70チャンネル以上あって混乱するので、料理番組とニュースが無難

 下左写真は8月中旬にゲストハウスの都合で転居した3033室。この頃から毎日午後にはスコール様の雨が降り、湿度が100%近くなるため室温を25度に設定していても、写真のように窓の外側に結露してしまう。温度・湿度ともに日本の梅雨のレベルではない。

 しかし、のどかなゲストハウスにも災害は来た。ベトナムの訪書を終え、台湾に戻ろうと9月16日にハノイ空港へ行くと、台北は台風なので欠航という。翌17日の同便は何もいわず出航したが、台北では豪雨と暴風のなか、かつて未体験の激しい揺れをおしての強行着陸でキモを冷やした。着くと台風はまだ台北にいて、むろん市内行きのバスなどない。仕方なくタクシーに乗り、南港区の中央研究院へというと、あそこは洪水が一番ひどく、行けるかどうか分からないという。しかし帰国も迫っており、無理に行ってもらって驚いた。
 高速を降りると一帯は真っ暗で泥だらけ。そろそろとゲストハウスに着くと、入り口の非常灯以外は全部停電していて、受付の小姐はこんな中なぜ来たの、という始末。翌日以降も停電と断水が3日ほど続いた。むろんバスも地下鉄も全部止まっている。1日目朝はレストラン残存食品の配給があったが、この時点で危機感にかられた日本人ほか10人ほどが市内の高級ホテルへ逃げて行った。残ったのは左下写真の4人(右から東大院生の水口拓寿君、失念したがオーストラリアとアメリカの高名な研究者、私)だけ。この4人で、昼食は清掃員のおばさんが家で作ってきてくれた焼きビーフン、夜は洋食堂に残った食材での妙に豪華な夕食だった。
 しかし2日目朝からはもう何もなく、付近のコンビニでも行ってみようと話していた。ところが朝になると配給があるという。玄関に行くとターバンを巻いたインド系らしきボランティアの人々が来ており、小型バスいっぱいに積んだパンを好きなだけどうぞと配ってくれた。その嬉しい写真が左下。しかし外人のボランティアに外人が助けられるとは!! 他にはトイレの水が流せず臭くて困ったが、飲み水は廊下の浄水器に貯まっていたのでなんとなった。さらに自家発電の非常用電気が廊下に来ているのに気づき、そこにパソコンを持ち出し仕事をしているのが右下写真
 この台風は一度沖縄まで北上したのに、なぜか逆に南下してきたためか速度が遅く、けっきょく計4日ほど台北の真上にいて豪雨を降らし続けた。この災害は台湾史上空前といい、水に埋もれた台北の地下鉄は以後半年とまった。中央研究院の欧米研究所図書館は地下にあったためひどいことになり、同情を禁じ得なかった。