解説 真柳 誠・小曽戸 洋
通行の『千金方』は北宋の一〇六六年、校正医書局が校訂・初刊した版本に由来するが、大規模な改訂のため本来の姿をかなり失っている。一方、この宋改前の『千金方』を遣唐使が日本に齎しており、その古鈔本をかつて当欄で紹介した。別にもう一系統、宋改を経ない『千金方』の古版本二種が日本とイギリス・ロシアに現存する。今回はそれらを紹介しよう。
東京の静嘉堂文庫に所蔵される『新雕孫真人千金方』三〇巻は、巻一(図1)〜五・一一〜一五・二一〜三〇が南宋版で、その他は元明版で補配されている。この宋版部分が宋改を経ていないことに最初に気づいたのは清の大蔵書家・黄丕烈で、入手した一七九九年のことだった。のち本版は清末四大蔵書家の一人、陸心源の蔵書となる。当時、中国には江戸医学館本の覆宋版『千金方』が日本から輸入されていた。その校勘記が引く遣唐使本系と本版の文字に多くの合致を認めた陸心源は、まことに孫真人の真本と賞賛したのだった。
この書は陸心源の没後、他の蔵書とともに息子の陸樹藩より三菱財閥二代目の岩崎弥之助が購入し、明治四十年に静嘉堂文庫に収められ現在に至る。なお遣唐使本系は巻一のみだが、本版は計二〇巻が伝存し、その貴重性は計り知れない。一九八九年に影印本(オリエント出版社)、一九九六年に中国簡体字本(人民衛生出版社)が出たことはまことに慶ばしい。
他方、イギリスのスタインは一九一七年五月の第三次中央アジア探険のとき、一一世紀に出現し一四世紀末に流沙に埋没したカラホト(今の内モンゴル額済納旗付近)で多数の文献遺物を発掘した。そのすべてが大英博物館と大英図書館に分蔵されている。うち大英図書館の KK.2..0285.6.iv(図2、馬継興氏提供)は、静嘉堂の未宋改本と図3のように文字の位置まで完全に合致し、巻一三第一四葉右下の一部だったことを小曽戸が発見した。むろん他の宋改本系ではこうならない。しかし各々の薬量数字は図2で生薑が肆(四)、枳殻が弐に似た貳(二)の異体字なのに、図3では四と二になっており、両者は同系の別版と分かる。すると図2は未宋改本に基づく翻刻本の残紙に違いなく、翻刻は南宋〜元初頃か金の平水だったろう。
さらにスタイン以前の一九〇七〜〇八年、ロシアのコズロフもカラホトで大量の文献遺物を発掘し、いまサンクトペテルベルグの東方学研究所に保存される。その中に『孫真人千金方』巻一三第二〇葉〜巻末第二四葉までと、巻一四第一葉(図4、馬継興氏提供)の計六葉があった。うち李継昌氏発表の図4部分の翻字が静嘉堂本とのみ合致するのに気づいた小曽戸は、スタインとコズロフの発掘した両残紙は同版本かつ同一本からの別れと推定。当推定は図4を入手した馬継興氏が、図5の静嘉堂本と所々の字形に相違を認め(『敦煌吐魯番研究』第二集、一九九七)たことで確証された。ただし馬氏は静嘉堂本、スタイン−コズロフ本ともに、より早い刊行年代を推定する。